Episode.06 ???への想い③ ★
アスファルトを叩く雨音は、いつの間にか世界を遮断する重低音のカーテンへと変わっていた。
前方を行く妙子ちゃんたちの背中は、白く霞む雨の向こう側へと遠ざかり、私と相澤くんの歩調だけが、狭い路地に孤独なリズムを刻んでいる。
車道側を歩く彼の、広くて頼もしい背中。
私はその内側、古びた大谷石の塀に沿うようにして、一歩一歩、自分の心音を確かめるように歩を進めていた。
手元では、常にガラケーのバックライトが淡く灯り、水滴に濡れた液晶が、私の横顔を幽霊のように青白く照らしている。
――その静寂を、暴力的な轟音が引き裂いた。
背後から、水飛沫を上げる巨大な「塊」が迫る。
水捌けの悪い路地を、速度を落とさぬまま大型の自動車が強行突破しようとしていた。
「――っ!?」
凄まじい走行音と、目の前を塞ぐような水の壁。
車道側の相澤くんと私に、視界を覆い尽くすほどの飛沫が襲いかかる。
それと同時に、私はその音と迫力に、完全にパニックを起こした。
――バシャアアッ!! と、壁を叩くような激しい水音。
驚きのあまり、私は持っていた傘を放り出し、濡れた路面で足を滑らせた。
「……ひ、っ……!」
バランスを崩した私の体が、重力に引かれるまま彼の方へと倒れ込む。
咄嗟に支えようとした相澤くんの胸元に、私は衝突するように飛び込んでしまった。
細い腕が、必死に彼の制服の背中に回され、震える指先が生地を強く、爪を立てるほどに握りしめる。
どくん、どくん、と。
彼の胸板越しに、自分のものか彼のものかも分からない、今にも破裂しそうな心音がダイレクトに響いてきた。
「……詞條さん、大丈夫?」
彼の、少し上擦った、けれど優しさに満ちた声。
私は彼の胸に顔を埋めたまま、過呼吸気味に肩を上下させた。
――。
一瞬の沈黙。その時、私は気づいてしまった。
私の差していた傘は、風に煽られて遥か後方へと転がっていった。
雨は容赦なく、無防備な私の背中を、そして密着した私たちの隙間を濡らしていく。
白く、薄い学校指定のブラウス。
それが大量の水分を吸い込み、私の肌に、冷たく、執拗に張り付いていく。
あ……。だめ……。見ないで……。
透けるような肌の感覚。
その奥に浮き上がっているであろう、自分でも「子供っぽい」と卑下していた、あの淡いピンク色の下着の質感。
顔を上げると、相澤くんが、あまりにも不自然に、そして必死に視線を逸らそうとしているのが分かった。
その優しさが、今の私には、鋭利な刃物のように恥部を抉る。
密着した体温。雨に濡れた髪の匂い。そして、暴かれてしまった、私の「秘め事」。
「……っ、……あ、あ、あああ……っ!!」
声にならない悲鳴。
私は弾かれたように彼の胸から離れ、濡れた路面に散らばった自分の持ち物を、パニックに任せてかき集めようとした。
その拍子に、私が誰にも見せないと誓い、命よりも大切に抱えていた一冊のノートが、扇状に開いて泥水の上に落ちた。
彼は、私が拾い上げるよりも早く、そのノートを救い出した。
――だめ。
そこには、私の醜い独り言が。
誰にも届かないと思っていた、私の「魂」が綴られているのに。
開かれたページ。
そこには、私の繊細な、けれど執念すら感じる筆致で、びっしりと「詩」が綴られていた。
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雨の音は、世界の余計な声を薙いでくれる。
私の汚い沈黙だけを、一滴ずつ、アスファルトに埋葬していく。
このまま、雫になって、雨の中へ消えてしまいたい。
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雨をテーマにした、暗く、澱み、それでいて息を呑むほどに純粋な、私の告白。
対面での会話を一切拒絶し、文字の世界にだけ生きてきた私が、密かに育んでいた「ポエム」。
「……詞條さん、これは……」
「――いやっ!!」
私は、彼の手からノートをひったくるように奪い取った。
瞳には、雨よりも大粒の涙が溜まり、今にも溢れ出しそうに震えている。
自分の内臓を引き摺り出され、衆目に晒されたような、そんな凄絶な羞恥。
私は震える指で、狂ったようにガラケーを連打した。
液晶の光が、雨の暗がりのなかで不気味に、激しく明滅する。
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見ないで。
私の汚い中身を、そんな綺麗な目で見ないでください。
もう、お終いです。貴方には、二度と顔向けできません。
でも。でも、助けてくれて。
あの時、抱きしめてくれて、ありがとうございます。
恥ずかしすぎて、爆発しちゃいそうです。さようなら。
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絶望と、感謝と、そして制御不能な好意が混濁した、魂の絶叫を画面に映し出し、私はそれを、震える手で彼に突きつけた。
そして。
私は、濡れたブラウスを両腕で隠すように抱きしめ、雨の中を泣きながら走り去った。
背後から相澤くんの声が聞こえた気がしたけれど、私は一度も振り返らなかった。
――。
遠くの街角で、妙子ちゃんたちが私たちを見ていた。
澪さんの冷たい視線も、秤さんの邪悪な笑みも、今の私にはどうでもよかった。
ただ、胸の奥が、痛い。
妙子ちゃんが、あんなに大切にしていた幼馴染。
彼女の宝物を、私は今、たった数時間で汚してしまったような気がして。
彼の中に、私の「醜い詩」が、一文字でも刻まれてしまったことが、恐ろしくて堪らない。
泣きながら走る。冷たい雨が、私の頬を叩く。
けれど、さっき彼に触れられた背中だけが、いつまでも、焼けるように熱かった。
私は、自分の心が、修復不可能なほど激しく波立っていくのを感じていた。
―――――あとがき―――――
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