第8話「決死の証明と暴かれる悪意」
鈴蘭が琥珀色の薬を飲み干した瞬間、広間は水を打ったように静まり返った。誰もが固唾をのんで、彼女の一挙手一投足を見守っている。もし薬が効かなければ、あるいは調合を誤り毒となっていれば、彼女はここで命を落とすことになる。
鈴蘭は、静かに目を閉じた。体の中を、温かい液体が巡っていく。しばらくすると、全身がぽかぽかと温かくなり、心地よい眠気が襲ってきた。それ以外の変化は、何もない。
「……陛下。ご覧の通り、この薬に毒性はございません」
鈴蘭は、はっきりとそう告げた。
侍医長が駆け寄り、彼女の脈を診る。
「脈拍、呼吸、共に正常です。異常は見当たりません」
その言葉に、広間に安堵のため息が漏れた。
しかし、宰相の魏巌だけは、苦々しい表情で唇を歪めていた。
「毒でないことは分かった。だが、それが奇病に効くという保証はどこにもあるまい」
魏巌の言うことにも一理あった。鈴蘭は病にかかっているわけではないのだから、薬の効果までは証明できない。重臣たちの間に、再び疑念の空気が広がり始める。
その時、広間の扉が勢いよく開かれ、一人の衛兵が駆け込んできた。
「申し上げます! 奇病の発生した村より、急使が参りました!」
現れた使者は、ぼろぼろの服をまとい、疲労困憊の様子だったが、その顔は喜びに輝いていた。
「陛下! お喜びください! 村の病人が、快方に向かっております!」
「何だと!?」
蒼焔が、身を乗り出した。
使者は、息を切らしながら報告を続けた。
「村の薬師が、鈴蘭様が言い当てられた『月雫草』を、谷底に落ちた荷の中から少量ですが見つけ出し、病人に与えたところ、たちまち熱が下がり、発疹が引き始めたとのこと! 月雫草が、奇病の特効薬であることは間違いございません!」
その報告は、鈴蘭の推論が正しかったことを、何よりも雄弁に証明していた。
広間が、賞賛のどよめきに包まれる。鈴蘭の顔にも、安堵の笑みが浮かんだ。
しかし、蒼焔の目は、鋭く魏巌を捉えていた。
「宰相。賊に襲われ、薬草もろとも谷に落ちたと報告があったはずだが、どういうことだ?」
冷たい問いに、魏巌の額に、じわりと汗がにじんだ。
「そ、それは……おそらく、報告の誤りだったのでしょう。いずれにせよ、薬が見つかって何よりでございますな、はっはっは……」
乾いた笑いでごまかそうとする魏巌を、蒼焔は見逃さなかった。
「衛兵隊長」
「はっ!」
「賊に襲われたという兵士たちを、今すぐここへ連れてこい。朕が、直々に尋問する」
蒼焔のその一言で、魏巌の顔色が変わった。兵士たちは、魏巌が金で買収した者たちだ。皇帝直々の尋問に耐えられるはずがない。
数刻後、蒼焔の前に引き据えられた兵士たちは、彼の凄みに満ちた眼光に射すくめられ、あっけなく全てを白状した。賊に襲われたというのは嘘で、宰相の魏巌に命じられ、薬草を奪って隠したのだと。
「宰相、魏巌!」
蒼焔の怒りに満ちた声が、玉座から轟いた。
「貴様、国の危機を利用し、朕の側近を陥れようとしたばかりか、民の命まで軽んじたな! その罪、万死に値する!」
ついに、悪事が暴かれた。魏巌は、観念したようにその場に膝をついたが、その目はまだ死んでいなかった。彼は、憎々しげに鈴蘭を睨みつける。
「おのれ、小娘……! 全ては貴様のせいだ!」
その時、魏巌の隣に控えていた珠妃が、悲鳴のような声を上げた。
「陛下、お待ちください! 宰相様は、わたくしのために……! 全ては、あの女が陛下をたぶらかしたのが悪いのです!」
珠妃は、魏巌を庇うことで、自分の罪を少しでも軽くしようとした。だが、それは火に油を注ぐ結果にしかならなかった。
「珠妃。お前も同罪だ」
蒼焔は、氷のように冷たい声で言った。
「嫉妬に狂い、国事をないがしろにした。もはや、お前を朕の妃にはしておけぬ」
蒼焔は、魏巌とその一派を捕らえ、珠妃には後宮の最も奥にある冷宮へ入ることを命じた。一夜にして、後宮の勢力図は大きく塗り替えられた。
全ての騒動が収まった後、蒼焔は鈴蘭を自室に呼んだ。
部屋には、二人きりだった。鈴蘭は、何と言っていいか分からず、ただうつむいていた。
「……鈴蘭」
静かに、蒼焔が彼女の名を呼んだ。
「お前は、また朕の命を救った。いや、国を救ったのだ」
「もったいないお言葉です。私は、父の教えに従ったまでです」
「お前の父、白蓮の件だが……」
蒼焔は、一度言葉を切った。
「今回の魏巌の罪を調べるうちに、十年前の事件にも、奴が関わっていたことが分かった。お前の父は、やはり無実だった」
その言葉に、鈴蘭は顔を上げた。彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。十年もの間、ずっと信じ続けてきた父の無実。それが、今、証明されたのだ。
「お父様……!」
蒼焔は、静かに立ち上がると、泣きじゃくる鈴蘭のそばに歩み寄り、そっとその肩を抱き寄せた。鈴蘭の体は、驚きで硬直した。
「すまなかった。もっと早く、気づいてやれずに」
耳元で囁かれた声は、いつもの冷たい皇帝のものではなく、一人の男としての、優しさに満ちた声だった。
温かい腕の中で、鈴蘭は声を上げて泣いた。それは、長年胸の内に溜め込んできた悲しみと、父の潔白が証明された喜びと、そして、この腕の中で感じている、今まで知らなかった安らぎがないまぜになった涙だった。
蒼焔は、何も言わず、ただ優しく彼女の背を撫で続けた。
この小さな体を、もう二度と傷つけさせはしない。誰にも、奪わせはしない。
彼の心の中で、燃え上がるような激しい独占欲と、愛しいものを守りたいという強い想いが、はっきりと形を結んでいた。




