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Seamripper  作者: レニュ 蘭世
第1アーク: 目的との邂逅
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第3.5章:ねじれた世界 II

静穏なる月は、ただ見つめていた。じっと凝視し、そして、すべてを見届けていたのだ。


群衆から抜け出し、城壁の向こう側へと足を踏み出すと、背後では街の賑やかな喧騒が遠ざかっていく。センコは木々が点在する草原を、独り歩み進めた。


太鼓の音、笑い声、祝いの気配――それらは一歩ごとに薄れていく。やがて、聞こえるのは自らの足音と、遠くで鳴く夜鷹の声だけになった。


まるで世界から音が消え去り、己の思考だけが頭の中で果てしなく反響しているかのような錯覚に陥る。


頭上では、蒼い月が夜のとばりを通して、優雅で、しかし弱々しい光を投げかけていた。森の入り口付近では、数メートル先の樹木の輪郭を辛うじて判別できる程度の、心もとない灯りだ。


歩みを止めることなく、ゆっくりと、だが着実に進む。脳裏には断片的な記憶の残滓が明滅した。足を進めるたびに胸の重圧は増し、一歩ごとに過去の呪縛が彼を強く締め付けていく。


数分が経過した。彼にとっては永遠にも感じられる時間の果てに、目的地へと辿り着く。


視界が開け、茂みと高い木々に囲まれた広々とした草地が現れた。空気は重く、生気のない匂いと、とうの昔に失われた記憶の残滓に満ちている。


地面には無数の墓標が深く埋まっており、その上部だけが地表に顔を出していた。


中には花が供えられ、手厚く手入れされているものもある。だが、多くは孤独に佇み、誰に見向かれることもなく放置されていた。


時の流れに飲み込まれ、表面が滑らかに削り取られた古い石も少なくない。


その光景は、ただ不穏な感覚だけを呼び起こす。


胸の内に静かな不快感が居座る。それは、すべての生ある者に待ち受ける避けられぬ運命――。


死。


センコは音もなく立ち尽くした。深い哀しみがその背中に重くのしかかる。


そこは墓地だった。


そして彼は、一基の墓の前に立っている。


他の墓とは違い、その場所だけは清められていた。


周囲の石には苔が這っているというのに、この墓だけはまるで時の侵食を拒むかのように、手入れが行き届いている。


特に、その石に刻まれた名前だけは。


【閃光】「戻ったよ……、ロリヤさん」


彼は膝をつき、一本の梅の枝を墓前にそっと供えた。


「これ、持ってきたよ。運よく少しお金があったから」


絞り出すような、囁くような声。


「君の好きだった花……だよね?」


声は夜風に消えそうなほどか細い。


「数日早く来られなくてごめん。お祭りを避けることができなくてさ」


彼は静かに息を吐いた。


「正直、あんな行事には興味ないんだけど……ネルが喜ぶと思って」


視線を落とす。


「心配しないで。僕たちはうまくやってるよ。家がなくても……二人でいれば幸せだ。たまに、厳しいこともあるけれど」


微かな微笑が唇に浮かんだ。


家も家族もない寂しさは消えない。けれど、同じ痛みを知る親友が隣にいてくれるから、耐えてこられた。


「あいつとは、いろんなことを一緒に乗り越えてきたんだ」


服の懐から、小さなカードを取り出す。


「ああ、見て。このカード、二人で作ったんだよ。僕が描いて、ネルが色を塗ったんだ」


震えるような、小さな笑い声を漏らす。


「結構いい出来だと思ってたんだけど……誰かさんに酷い出来だって言われちゃった。……あはは、本当のことかもね」


だが、その笑みも次第に消えていく。


「……それでね。また例の『声』が聞こえ始めたんだ。毎日、頭の中で響いてる。特に夜、眠りにつく前がひどい。ただでさえ眠れないのに、余計に辛くなるんだ」


彼は膝を抱え込み、沈黙が支配する中で自らの手をさすった。


虚空を見つめるその半眼は、濁り、冷たく沈んでいる。目の下に刻まれた隈も相まって、それはまるで生気のない死人のような顔だった。


「……君は今、きっともっといい場所にいるんだね。この忌まわしい世界の鎖から解き放たれて。……正直、少し羨ましいくらいだ。――っ、ごめん。今の、忘れて。口が滑ったよ」


その言葉を一言で表すなら、「空虚」だった。


「この世界は苦痛だ。この世界は悲哀だ。……この世界こそが、真実だ」


静かな溜息が漏れる。


「……ごめん。つまらない独り言を言っちゃった」


彼は長い間、そこに留まった。微動だにせず、哀しみを顔に刻んだまま。遠い記憶が脳裏をよぎり、その瞳は冷たい墓石に釘付けになっていた。


やがて、待たせている友人のことを思い出し、これ以上長居はできないと悟る。


センコはゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げた。


「また来るよ……いつも通り。来年も」


抑えていた感情が溢れ出し、一筋の涙が頬を伝って零れ落ちた。感情を押し殺すことには慣れていたはずなのに、時としてそれは、抑えきれずに溢れ出してしまう。


彼は背を向け、ゆっくりと歩き出した。


「また来るからね、ロリヤさん」


足取りは覚束なく、震えている。墓地の門を通り抜け、再び森の奥へと足を踏み入れる。夜の暗闇が、彼を完全に飲み込もうとしていた。


「おやおや……えらい長居しとったなぁ」


背後から、彼を嘲弄するような声が響いた。

聞き覚えのない声。冷徹で、悪意に満ちている。

センコの心臓が跳ね上がり、驚愕に見開かれた瞳が周囲を彷徨う。ここに自分以外の誰かがいるはずなどないのだ。


彼は弾かれたように振り返った。その顔には恐怖が張り付いている。


【閃光】「?!!」


声の主の姿を捉えるよりも早く、強烈な衝撃が彼の首筋を打った。


抗いようのない力。彼の身体は瞬時に崩れ落ち、力なく地面に叩きつけられた。


「感謝しいや」


嘲笑を含んだ声が降ってくる。


「無意味な祈りか何や知らんけど……最後まで待ったったんやからな」


「安心し。殺しはせえへんよ。少なくとも……今は、な」


影のような人影が、倒れた彼を見下ろしている。


「自分にはまだ、使い道があるさかいな」


センコは薄れゆく意識を必死に繋ぎ止めようとした。視界が歪む中、顔を上げようとするが、身体が言うことを聞かない。襲撃者の顔を確認することさえ、許されなかった。


暗闇が迫り、希望が指の間から零れ落ちていく。その時、彼の脳裏に浮かんだのは――恐怖でも、己の身案じでもなかった。


ネルのことだ。


今も自分を待ち続けている、親友のこと。


【閃光】「ネ、ル……」


その言葉は助けを求める叫びではなく、静かな、祈るような案じだった。


こんな状況にあってさえ……彼は、それだけを思っていた。


その一言を最期に、意識の糸がぷつりと切れる。


世界は、深い闇へと沈んでいった。


[続く]

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