第3章:ねじれた世界 I
城門の前に立ち、**閃光**たちはついに王都へと足を踏み入れた。
クミの瞳が、瞬時に輝きを増す。
どこまでも続く街並み、重なり合う屋根、風にたなびく旗、そして夕暮れと共に灯り始めた提灯。
溢れかえる色彩、行き交う人々、力強い生命感。そこは、紛れもない王都だった。
荷馬車を空にし、最後の木箱を下ろし終える頃、空は温かなオレンジ色へと溶け始めていた。別れの時だ。
【クミ】:「これ、持っていきなさい。大した額じゃないけど、役に立つわ」
彼女は数枚の硬貨を閃光の手の中に押し込んだ。
【閃光】:「えっ、あ……だ、ダメですよ! そんなの受け取れません。街まで送ってもらう約束だったじゃないですか」
閃光は顔を赤くし、慌てて断ろうと手を振る。
【クミ】:「いいから……そうね、これは荷運びを手伝ってくれた『バイト代』。ほら、受け取った」
彼女はいたずらっぽくウィンクをして、強引にその手を握らせた。
「お祭り、楽しんでくるのよ」
【閃光】:「……あ、ありがとうございます!」
少しの葛藤の後、彼はようやくそのお金を受け取った。
二人が手を振って去ろうとしたその時、それまで黙っていた老人が二人を呼び止めた。
【老人】:「センコ」
【閃光】:「?」
老人の眼差しは静かで、どこか遠くを見つめているようだった。
【老人】:「時にはな……すべてを手放さなきゃならんこともある」
【閃光】:「手放す……? どういう意味ですか?」
【老人】:「目的が見つからぬ、理由が見つからぬ。それはお前の視界が曇っておるからだ。目が霞んでいる者には、光も闇も見えん……ただ『ボヤけた何か』が見えるだけだ。そしてそのボヤけは、色んなものが原因で引き起こされる」
老人は、不意にリンゴを一つ閃光へと放り投げた。
閃光は反射的にそれをキャッチする。
【老人】:「わしが農園を歩くとき、そこには自分の畑が見える。そりゃあ美しいもんだ。陽の光を浴びて輝くリンゴは、見ているだけで心が満たされる。それが、神様がわしにくれた『リンゴを育てる』という役割なのだ」
老人は、その言葉を閃光の胸の奥まで届けるように、鋭い視線を向けた。
【老人】:「お前の役割は、案外すぐ目の前に立っておるのかもしれんぞ。だが、目が曇っていては気づくこともできん。だから、視界を濁らせる余計なものは、一度全部放り出してみなさい」
閃光は立ち尽くし、目を見開いてその言葉を噛み締めていた。
すると、老人は急に「わはは」と笑い声を上げた。
【老人】:「……ま、死にかけのジジイが賢ぶって喋っとるだけだと思って、聞き流してくれても構わんがな。わははは!」
【クミ】:「もう、おじいちゃん。急にカッコつけないでよ。びっくりするじゃない」
クミが少し皮肉を込めて笑う。
【老人】:「いいじゃないか。このまま小説でも書こうかと思ったわい。わはは」
老人は少しだけ体を向け直した。
【老人】:「それと、ネル」
【ネル】:「?」
今度は桃がネルに向かって投げられた。
【老人】:「お互い、ちゃんと助け合うんだぞ。……じゃあな。元気でやれよ」
【閃光】:「はい! 頑張ります!」
【ネル】:「……ん」
【閃光&ネル】:「本当に、ありがとうございました!」
二人は深くお辞儀をして感謝を伝えると、賑やかな街の中へと駆け出していった。
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夜が訪れ、唯一神による新たな一年の誕生に向けた準備が整いつつあった。
頭上には、神自らがお灯しになった提灯――星々と遠くの銀河が天に散りばめられ、その中心には美しく白い満月が鎮座している。それは見慣れた、けれど決して見飽きることのない、神が創造せし壮大なキャンバスだった。
地上の街は、空の輝きを映し出していた。色とりどりの祭提灯が長い列をなし、通りを温かな赤や金、そして柔らかな光で満たしている。夜風に揺れるその光は、まるで街そのものが呼吸しているかのようだ。
道という道は群衆で溢れ、肩を寄せ合わなければ歩けないほどだった。重なり合う声、笑い声、おしゃべり、そして音楽。それらが混ざり合い、鮮やかな屋台の迷路を縫うように歩く人々の活気ある喧騒となって響いている。
子供たちは大人たちの足の間をすり抜け、おもちゃや菓子、化粧品を手に走り回る。
その弾んだ笑い声は、喜びの火花のように雑踏を切り裂いていった。
アリの巣を囲む境界線のように、無数の屋台が軒を連ねている。
食べ物が焼ける音、客を呼ぶゲームの呼び声、きらめく小物たち。そのどれもが魅力的で、祭りの圧倒的な情緒を彩っていた。
屋台や家々から下がる提灯の向こう側で、群衆もまた自らの輝きを放っている。色とりどりの着物が混ざり合い、通りを無数の色彩で染め上げていた。
そして祭りの中心では、新年の龍が人波の中をうねり、陽気な色を閃かせながら、太鼓の音と祝福のリズムに合わせて鱗を輝かせて舞い踊っていた。
【閃光】 「よしネル!このチャンス、絶対逃したらあかんで!」
【ネル】 「……何するん?」
【閃光】 「見ればわかるやろ!この屋台の数々を見てみぃ!」
彼はネルの肩に腕を回し、メインストリートを埋め尽くす屋台を指差した。
【閃光】 「金魚すくいに、ヨーヨー釣り、射的……。そんで極めつけは、この『型抜き』や!ほんま、これだけは昔から嫌いやわぁ」
【ネル】 「……こんなん、一回もやったことない。全部やるつもり?」
【閃光】 「ちゃうわネル、甘いな。全部『やる』んやなくて、全部『勝つ』んや!」
閃光は自信満々にニカッと笑い、目を輝かせた。初心者の友達の前で「ええ格好」をするには絶好の機会や。
【ネル】 「……めっちゃ面倒くさそう。ほんまにやらなあかんの?」
ネルは退屈そうに声を漏らした。屋台の数は膨大やし、彼にとってはどれもただ疲れるだけの遊びにしか見えへん。何より、閃光のこの異常なまでの張り切りについていけへんかった。
【閃光】 「当たり前やろ!このゲーム抜きで何がお祭りやねん!」
【ネル】 「でも、全部勝つ必要ある?」
【閃光】 「俺の辞書に『敗北』の文字はない……生まれてこの方な!」
閃光の瞳に情熱の炎が宿り、魂が燃え上がる。彼は揺るぎない決意とともに拳をギュッと握りしめた。
【閃光】 「……それに、全部勝てば賞金でガッポリ稼げるかもしれんしな」
【ネル】 「……最初からそれが目的やったん?」
【閃光】 「……かもな」
【ネル】 「でも俺、やり方ひとつも知らんで」
【閃光】 「心配すんなネル!俺は経験者や。俺がリードしたるから、勝利は約束されたも同然よ!」
彼は空を指差し、もう勝ったかのような勝利のポーズを決めた。
【ネル】 「……もう嫌な予感しかせぇへん」
【閃光】 「よっしゃ!魂燃やして、目ぇ見開いて、いざ突撃や!」
【ネル】 「……ほんま、面倒くさい」
閃光は子供みたいにはしゃぎながら、明らかに乗り気じゃない友達を引き連れて走り出した。
彼の目的は全てのゲームを制覇すること。自信満々で、これ以上ないほど楽観的やった。
あぁ、楽観的であることは、なんて素晴らしいんやろうか。
第一ゲーム:金魚すくい —— 敗北
「ま、まあな……一回負けたくらい、どってことないわ」
第二ゲーム:ヨーヨー釣り —— 敗北
「う……今のは運が悪かっただけや……」
第三ゲーム:射的 —— 敗北
「こんくらいで諦める俺やないぞ!」
第四ゲーム:型抜き —— 無残に敗北
「……はい、ギブアップ」
結局、楽観主義は何の役にも立たへんかった。
【ネル】 「……俺にもやらせて」
【閃光】 「え? あ、ああ、ええけど……」
溜息をつきながら、閃光はネルに場所を譲った。初めてのネルに多くを期待してるわけやない。しかもネルが選んだのは、閃光が一番苦手とする、最も難易度の高い「型抜き」やった。
【閃光】 「まあ、あんま期待はしてへんで?ネルは初めてやし、一回目で失敗すんのは当たり前やからな。あんま気負わんと……って、ちょ、何やそれ!?」
言い終わるより先に、閃光は目を見開いて絶句した。
「おめでとう!あんたの勝ちや!」
ネルが勝った。
「10回連続成功やから、特別賞金も出しとくで!」
それも、必要以上の大勝利や。
【ネル】 「……これ、意外と楽しいかも」
【閃光】 「……嘘やろ……」
【ネル】 「お金も貯まったし、なんか甘いもん買おう。俺、たい焼き食べたい」
閃光の目が、苛立ち、恥ずかしさ、嫉妬……いろんな負の感情が混ざり合ってピクピクと痙攣した。
自分は経験者やとか言うてたくせに、一回も勝てへんかったのに。
「ただの初心者」と見くびっていた相手に、自分が不可能やと思ってたゲームで完勝された。おまけに10連勝、完璧にな。
なんとも言えん気まずさ。
【閃光】 「……もう、死にたいわ」
抗えへんほど美味そうな屋台のスイーツを食べて、散々な連敗の傷を癒した後のこと。
閃光は二本入りのアイスキャンディーを分け合いながら、のんびりと夜道を歩いてその一日を締めくくった。
【閃光】:「正直、お祭りのことなんて忘れかけてたよ」
彼はふっと柔らかく笑った。
【閃光】:「でも、来てよかったな。結構、楽しめたし」
【閃光】:「……いい気分転換になっただろ?」
【ネル】:「ああ……そうだな」
ネルはぶっきらぼうに頷く。その声に興奮の色はない。
【閃光】:「もう、そんな顔すんなよ」
閃光はニカッと笑い、親しげにネルの肩に腕を回した。
【閃光】:「あのテリヤキ味のお菓子、気に入ってたじゃん。……いや、大好きだったろ!」
【ネル】:「……ああ。そうだったな」
ネルは一瞬だけ目を閉じ、口の中に残るその味を思い浮かべた。思い出すだけで、また全身が「美味しい」という感覚に包まれる。
【ネル】:「……すごく、美味かった」
二人は少しの間、静かに歩いた。
やがて、閃光が不意に顔を上げる。
高く掲げられた月は、奇妙なほど青く輝き、天から青白い光を放っていた。
それに気づいた瞬間、閃光の広かった笑顔が、ゆっくりと消えていく。表情から陽気さが抜け落ち、その瞳が鋭く細められた。
【閃光】:「……時間だ」
その声は低く、わずかに震えていた。
ネルは一瞬だけ沈黙し、
【ネル】:「川沿いのベンチで待ってる」
平坦な声でそう言った。その視線は、一瞬だけ閃光の上に留まった。
【閃光】:「うん。また後で」
二言目はなかった。閃光は視線を低く落としたまま、背を向けて去っていく。
広大な群衆の中。
一人の男の顔に、邪悪な笑みが浮かんだ。ひしめき合う人々の中に身を隠し、誰にも気づかれることなく、その瞳は二人をロックオンしている。
「……ようやく見つけたぞ」
男は低く呟いた。
「期待外れじゃなくて、何よりだ」




