プロローグ:蒼い月
「……っ、動け……ねぇ……」
少年は、指先一つすら動かすことができなかった。脳の命令を、体が完全に拒絶している。
あまりの激痛に、彼は瞼を閉じた。
全身を焼くような、それでいて芯まで貫くような、信じられないほどの痛みが少年を襲う。
だというのに、彼の体に血は流れておらず、左頬に赤みが差している以外に目立った痣すらない。
(全身が……痛ぇんだよ……っ!)
その耐え難い痛みと共に、彼は後頭部と背中に硬い感触を覚えた。まるで岩か巨石に背をもたせかけているような感覚。
いや、叩きつけられたのだ。後頭部にはズキズキとした鋭い痛みも混じっていた。
「何が……起きたんだ……!?」
さらに、胸の上に重い何かがのしかかっているのを感じ、少年は強引に目を開けた。
視界は数秒の間ぼやけていたが、次第に鮮明さを取り戻していく。
最初に映ったのは、自分と同じ年格好の少年だった。彼は半失神状態で、震えながら苦痛に喘いでいる。
少年の体は彼とは違い、全身が痣だらけで、口角からは一筋の血が滴り落ちていた。
「ネ、ネル……!!!」
自分の命よりもその身を案じるように、彼は恐怖に引き攣った声で少年の名を呼んだ。しかし、返事はない。
「ネル! クソッ、何があったんだ? うっ……頭が……!」
頭部の痛みだけでなく、脳を霧で覆われたような眩暈が彼を襲う。
生存本能に突き動かされるようにして、少年は重い頭を上げ、周囲を窺った。
そこで彼が目にしたのは、あまりに対照的な二つの景色だった。
それは、ひどく静謐で、穏やかで、そして悲しい光景。
夜空に浮かぶ**『蒼い月』**が、冷たく独特な魅力を放ちながら、暗闇の中に細く淡い青色の光を投げかけていた。
だが、彼にその美しさを享受する余裕などなかった。全身を苛む激痛、そして何より――蒼い月の下で、あまりに邪悪な光景が広がっていたからだ。
月の静寂を背景に、少し離れた場所にその男は立っていた。
男の瞳には、禍々しい殺意が宿っている。青白い肌に、真っ黒な瞳。
男は傲慢で不気味な落ち着きを払い、宝物でも見つけたかのような悦びを浮かべながら、空中で湾曲した短刀を軽やかに振るっていた。
「さて、さて、さて……」
男は悠々と歩み寄りながら、鼻歌まじりに言葉を紡ぐ。
「あんまり時間ないねん。まずはその手足から、バラさせてもらおか」
滑らかな口調。その端々に、確固たる自信を覗かせる笑みを浮かべて。
少年の瞳が、恐怖に大きく見開かれた。この男こそが、彼ともう一人の少年にこの惨状をもたらした元凶であることを思い出したのだ。
(まずい……! 動かなきゃ……!)
彼は全身の繊維を振り絞り、動こうとした。
(動け、動け、動け、動け、動け……ッ!)
だが、それはすべて徒労に終わった。
彼の体は完全に限界を迎えており、もう一人の少年共々、絶体絶命の無防備な状態で放置されていた。
「あかん……ッ! これじゃ、本当に……!」
少年の顔が歪む。逃げるしか選択肢はない。だが、それすら不可能だった。
意識が追いつくよりも早く、男の姿が消えた。
直後、一筋の風が吹き抜け、襲撃者が二人の頭上に現れた。
高く掲げられた刃。その瞳は、獲物を屠る血への渇望にギラついている。
「……ちょお、痛いかもしれんなぁ」
煌めく刃の輝き。
それが、死を受け入れ瞼を閉じた少年が、最後に見た景色だった。
ガキィィィィンッ!!!




