2 血溜まりと消費期限
そりゃ、綺麗な女性、それもこれまで出会ったことがないほどの。
そんな女性の裸を見たくないかって言われたら、嘘になる。
でも、こういうのは、違う。
ああ、結局、こんな時でも、こんな場所でも真面目なんだよな。馬鹿みたいだ。
「やめなって!」
ぼろぼろのジャケットを脱いで、慌ててミアに被せるように放り投げて、視線を外した。
「とりあえず、服をちゃんと着てくれ」
「……でも……」
「断るとは言ってない。すまない、何もかも突然過ぎて、理解が追いつかないんだ。状況を説明してくれないか? それで、俺に手伝えることがあるなら、手伝うから」
……。
あれ?
反応がない?
デコルテの少し下、一瞬見えた胸元が脳裏に焼き付いていたが、恐る恐るミアの方に視線を送ると、俺の穴の開いたジャケットを、身を守るように、抱きしめるように身体の前で掴んだまま、俺の方をじっとみていた。
「うわーん、わー!」
聞き間違いか、と思うほど。
子供っぽい泣き声が、ミアの口元から森の中に響き渡った。
***
「まぁ、そりゃ、喜ぶ男もいるかも知れないけど、約束を守ってくれるかどうかなんて、分かんないんだしさ。それは交渉としては良いやり方じゃないんじゃない? それを使うにしても、まぁ、例えば、もう一つお願いを聞いてくれたら、とか、そうやって、上手く立ち回らないと、さ」
「なるほど……さすが剣聖様……」
ふむふむ、と言いながら、泣き止んですっかり落ち着いたミアは、どこかから取り出したメモ帳らしきものに俺の言葉を書き込んでいる。
一体、俺は何を教えているのだろう。
ああ、でも、会社の部下もこれくらい熱心に話を聞いてくれて、メモとかとってくれちゃったりしたら、ちょっとはこっちもテンション上がるのになぁ。
俺はミアから、さっき襲われていたヘドロ人間のこと、ミアが置かれている状況をざっくりと聞き出していた。
あれを、ミア達は「壊れた者」(バウグ)と呼んでいた。
ミアの国は、数ヶ月前に、大群の、さっきのヘドロ人間をはじめとした「壊れた者」の襲撃を受け、地方都市から次々と攻め落とされ、抵抗むなしく、王都も陥落。
ミアの国の前に、隣国も攻め落とされていた。その他の遠方の国も連絡がつかない。
王都に仕える高位神官の娘だったミアは、父親から、一つだけ、最後の望みがあると一枚のメモを渡された。
「国守りの大樹」に突き刺さったまま、誰も抜くことのできない聖剣。その力の凄まじさ故に、「この世界の者には抜けない呪い」がかかっていると言われていた。
では、別の世界の者を召還すれば、抜くことができるかも知れない、と。
神官候補として魔術を学んでいたミアに父親はメモを渡すのと、王都の大門が「壊れた者」達に破壊されるのはほぼ同時だったそうだ。
この世界の魔術には男系術と女系術があり、メモの召還術は、女系の文法だった。つまり、父親には行使できない。何より、父親は最終防衛ラインとして、王の側に、そしてミアの退路を守らなくてはならなかった。
そうして、ミアは一人、王都から「壊れた者」の追撃を受けながら、聖剣の下にたどり着き……。
俺を召還した。
何もかも、ミアにとっては極限の状態だったのだ。
これで、俺に断られでもしたら、全てが無駄になってしまう。
何も持たず、震えながら、自分の衣服に手をかけた彼女は、もうあらゆるものを投げうつ気持ちだったのだろう。
そりゃ、子供みたいに大泣きするわ。
見たところ年は……多分17、8くらいだよなぁ。
「……剣聖様は本当に別の世界から来られたんですね」
「俺の気が狂ってなけりゃ、そうだね」
気が狂ってるにしては、リアルだ。
異世界に来たってことは、認めざるをえないだろう。
そう受け入れたら、案外すっきりした。
「その……本当に、引き受けてくれるんですか? 何のお礼も……」
「お礼か……俺、この世界のこと何にも分かんないからさ、案内役をしてくれよ。食事とか寝るとことかもないし。それでどう?」
「そんなことでいいんですか?」
「うん」
ミアが呆気にとられたように目を見開いた後、頬を緩めた。
「……優しいんですね」
うーん。
それ、ほめ言葉なのかなぁ。
まぁいいや。ミアに案内してもらえるなら、こっちでやっていく目処が立ちそうだ。
どこか、この状況を楽しんでいる自分がいた
もうあっちの世界で、週5日勤務、22時退勤がデフォ、プラス何だかんだちょいちょい休日出勤、上司部下からのパワハラ付きなどという生活をしなくて良い。
「本当に、ありがとうございます。いくらお礼を言っても、足りないですけど……」
何か、こんなにストレートに頼られたり、ありがたく思われたりしたことなんて、今までなかったな。
化け物は強そうだけど……この剣、めちゃくちゃ強そうだし、何とかなるんじゃね?
「まぁ、これからは安心して……」
(安心してるようだが、気を付けな)
「?」
藪の方から、がさがさと音がした。
「「壊れた者」!」
ミアが叫んだ。
次の瞬間、俺は自分の胸元にヘドロにまみれた槍が突き刺さっているのを見た。
それは背中から前に貫通していた。
俺は、血を吐きながら、聖剣を掴むと、聖剣は相変わらずオート機能のように俺の身体を動かして、槍のような頭をした「壊れた者」を真っ二つにした。
地面に膝をつく。
口から、滝のように血が噴き出して、驚いた。
視界が歪む。
激痛の中、浮かんできたのは、くだらないこと。
冷蔵庫の中のシュークリーム、明日が消費期限だったよなぁ……。
ミアの叫び声が聞こえる。
いやっ!
もう、治癒の力が……!
剣聖様!
***
次に目が覚めたとき、俺が見上げたのはくすんだ、見慣れた、薄汚れた天井だった。
安物の冷蔵庫の、うなり声のような駆動音が耳障りで、何も敷いていないフローリングの冷たさが背中に染み込んだ。
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