1 剣聖様
高いところから、スカイダイビングの様に落下する夢を見た。
スカイダイビングなんてやったことないけど。
気が付いた時、足下は、踏み慣れた山手線の車両の床、ではなく、ほんのり湿った、雑草の生えた地面だった。
休日夕方の、案外混雑した電車。俺が座ろうと思っていた、隣の車両の右手、空席があったはずの場所には、樹齢何千年です、というような巨大な木。
そして、よく見るとその木の根本に、何か光る物が刺さっている。
木漏れ日をきらきらと弾き返して輝くそれは、西洋風の剣だった。
「助けて……! 助けてくださいっ!」
剣の刺さった巨木と俺を挟んで、反対側から女性の高い叫び声が聞こえた。
栗毛色の柔らかいウェーブのかかった長い髪に、何かの司祭や僧侶のような白地のローブ姿、土や濡れた草が張り付いて汚れている。
日本人ぽくも見えるが、少し欧風なニュアンスもある。髪の隙間から見える耳が少し尖っているような。ハーフっぽい?
何にしても、見たことがないくらいの美人。
その周りを……ヘドロのような、灰色の人型の何かが取り囲んでいる。
いや、ちょっと待て。
電車は、ビル街はどこに行った。
ちょうど上野駅に停車したタイミングだったはず。そこで、隣の車両で女性の2人連れが降りて、優先席が空いたのが見えた。車両間の貫通扉を開けた。
薄手のジャケットに安物のワイシャツとスラックス姿で、土曜の休日出勤。結局夕方まで資料を整理して、軽く頭痛がしてたんだ。
こんな時くらい、座ってもバチは当たらないだろうって。夕食のチェーン店のトンカツ、今日くらい豚汁を付けようかって。
「お願いです! 助けて……!」
女性の声は、もう若干かすれていて、何かにすがるような悲痛さで、俺の思考を目の前の状況に引きずり戻した。
「剣を……その剣を抜いて!」
人型のヘドロの一体がこっちを向いた。
それが、ヘドロをまき散らしながら走ってくる。
飛び散ったヘドロがくっついた先から、草花が微かな煙を上げて灰色に朽ちていく。
しかも案外、足が速い。
何一つ理解できない。
でも、多分。
これに襲われたら、死ぬ。
「うわああああああ!」
後ずさり、後ろを見ながら逃げ出す。
ヘドロが加速した。
背中の上を、何かが斜めに走り抜けた感触。
直後、強烈な熱さと痺れのような感覚。
「っっ!!」
激痛だ。
背中を、抉られた。
バランスを崩しながら、倒れ込んだ先は、巨木の根本だった。
熱でじんじんする辺りに右手を這わせると、激痛とともに、どろどろした液体に、ぬるりと手が滑った。
視線を落とした右手は、赤黒い。
え?
え、死ぬの?
俺、平日に終わんなかった、資料作り、言うこと聞かない新人の分まで、やったよね?
パワハラ糞課長の言うことも、ちゃんと聞いてきたじゃんか。
あいつ、上手いんだぜ、言葉遣いだけ丁寧だから、周りからパワハラって見えにくいんだ。どうすれば、人を追いつめられるか、よく知ってる。巧妙なやり方で。相手に能力がないのが問題って周りに信じ込ませるやり方で。だから壊れたら負け。
壊れないように、壊れない程度に。
毎日、真面目にこなしてきた。
俺、真面目だったよなぁ?
「剣を! 剣を抜いて!」
ヘドロが、近づいてくる。
よく見ると、洞穴みたいに落ち窪んだ目の奥が、うっすら赤く光っていて、気持ち悪い。
似ても似つかないのに、俺のことを見下ろすときの、課長と同じ目の光り方に見えた。
剣の柄は、頭上。
俺、帰って、駅前のチェーン店でとんかつと豚汁食いながら動画見たかったんだよ。
なんなら、帰り道の24時間スーパーで、ビールと箱アイスも買って、アパート帰りたかったんだけど。
なんなんだよ、ちくしょう。
巨木の根本を這い上がるようにして、俺は右手を剣の柄に伸ばした。
俺の手が剣の柄に届くのと、ヘドロが俺に、尖った爪の付いた右手を振り下ろすのは、同時だったと思う。
柄を握った手から、圧倒的な力の塊が流れ込んできた。
剣は巨木から、するりと抜ける。
刺さってなど、いなかったかの様に。
剣に導かれるように、身体がくるりと回転し、人型ヘドロは胴体を横に切り裂かれて、上下真っ二つになつて、森の雑草の上に吹き飛ばされた。
「剣聖……様……」
女性の、微かな声が聞こえた気がした。
身体全身がまるで強力なバネのようで、重力ら完全に解き放たれたような、身軽さ。
軽く、巨木の根を後ろ足に蹴ると、ミサイルのような速度で、女性の周りにいた2体のヘドロに飛びかかり、一体を股下から、返す刀でもう一体を頭から。
その剣は、一瞬で、怪物2体を一刀両断にした。
真っ二つになって崩れ落ちたヘドロは、ぶくぶくと泡を浮かばせながら、森の土の中に溶けていった。
静まりかえった、木漏れ日が差し込む森の中に、鳥の鳴き声だけが響いた。
「……」
人型のヘドロが溶けていった辺りを呆然と見つめる俺。
そんな俺を白いローブの女性もまた、呆然と見上げているのに気付いた。
近くで見ると、女性の周りの地面には何らかの言語と円や三角形を組み合わせた魔法陣が刻まれていた。
「ありがとう……ございました」
彼女に襲いかかっていた化け物は、全部いなくなった。しかし女性は、どこか、怯えているような、不安そうな。
警戒されている。
とにかく、情報が欲しい。
「……あの……」
俺は、彼女に話しかけようとして、背中の激痛に思わず膝をついた。
「……え? 本当に死ぬ?」
(死ぬよ。このままだと。傷が深い。血を止めないとね)
穏やかな声が脳内に響いた。
いやいやいや。
勘弁してくれ。そして。
「お前誰だ」
(君の右手の剣だよ)
……。
俺は、死に瀕して、気が狂ったのか?
「大変……止血を……」
いつの間にか、俺の横に白ローブの女性が膝をつき、俺の背中に手をかざす。ジャケットもワイシャツも、びりびりだよな。安物だけどさ。どっちも買い足さなきゃ。
……。
背中が、何て言うか、暖かくて気持ちいい。ものすごく絶妙な力加減で、くすぐられているみたい。
「……え?」
痛みが、消えた。ジャケットの下、シャツの裂け目から背中に触れても、皮膚の感触があるだけ。
「治癒の力が残っていて良かった……」
ほっとしたような顔で、ただ、少し強ばった表情のまま、彼女が、栗毛色の髪の毛と同系色の、宝石のような瞳を俺に向けた。
「剣聖……様……」
「……俺……のこと?」
彼女はこくりと頷いた。
「私は、ミア・ステラ。この国で逃げ延びた……最後の一人になりました」
「最後の、一人?」
再び、ミアはこくりとうなずき、そして、一度俯いた後、俺を真っ直ぐに見つめた。
「お願いです。私の国を、その剣で救ってください。どうか……」
何となく、そんなことを言われる気がしていた。
そして、思い浮かんでいたのは、さっきのヘドロと、切りつけられた背中の馬鹿みたいな痛みだった。
多分、躊躇がそのまま顔に出た。何せ、いきなり日常から切り話されて、死にかけたんだ。
そんな俺の顔を見て、ミアの顔が曇った。
そして、何かを決意するように口を開いた。
「そう……ですよね。何も……お礼できる物も、もう持っていなくて……だから……私……」
「え?」
震える手で、ミアは汚れた白いローブを脱ぎ始めた。
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