第76話
翌日。
帝都は、昨日までと何も変わらない顔で動いていた。
朝の鐘が鳴り、人々が通りを行き交い、
店主たちはいつも通りに店を開く。
世界が壊れる未来の話なんて、
どこにも書いていない朝。
「……こういうのが一番、落ち着かないわ」
セレナが伸びをしながら言った。
宿屋の一階、簡素な食堂。
焼きたてのパンの匂いが漂っている。
「昨日あれだけ重たい話を聞いたあとで、
普通に朝ごはんって……
脳が追いつかないんだけど」
「でも、嫌いじゃないでしょ?」
エリシアが淡々と返す。
「……嫌いじゃない」
セレナは認めるように頷いた。
マリーヌは、湯気の立つスープを見つめて、
少しほっとした表情を浮かべている。
「昨日のあとだと……
こうして座ってるだけで、
すごく……ありがたいです……」
「それが、“日常”ってやつだな」
僕がそう言うと、
マリーヌは小さく笑った。
「はい……
アルス様と一緒の、日常です……」
その言い方があまりに自然で、
胸の奥が、静かに温かくなる。
◆◆◆
朝食後、
特に予定を入れないことにした。
情報収集も、交渉も、
今日は一旦休み。
「一日くらい、
何もしない日があってもいい」
そう言ったのは、
意外にもルクレツィアだった。
「王族って、
もっと忙しそうなイメージだけど?」
セレナが言うと、
ルクレツィアは苦笑する。
「だからこそよ。
“何もしない時間”を忘れた王は、
必ず何かを壊す」
リズが、静かに頷いた。
「心が追いつかないまま前に進むと、
選択を誤るもの」
「……説得力あるな」
結果として、
七人は三々五々、
帝都を歩くことになった。
◆◆◆
僕とマリーヌは、
市場の方へ向かった。
露店が並び、
人の声が重なり合う。
「こ、こういう場所、
あまり来たことなくて……」
マリーヌは少し緊張しながら、
周囲をきょろきょろ見ている。
「貴族の屋敷にいると、
縁がないもんな」
「はい……
でも……」
彼女は、
一歩こちらに近づいて言った。
「アルス様と一緒なら……
怖くないです……」
「……ありがとう」
しばらく歩いていると、
小さな菓子屋が目に入った。
「ここ、入ってみる?」
「え……
いいんですか……?」
「たまには、な」
店に入ると、
焼き菓子がずらりと並んでいる。
マリーヌは、
目を輝かせて棚を見つめた。
「す、すごい……
全部、美味しそうです……!」
「どれがいい?」
「えっと……
あ、あの……」
しばらく迷った末、
彼女は小さなクッキーを指差した。
「これ……
控えめで……
優しそうなので……」
「マリーヌらしいな」
そう言うと、
彼女は顔を赤くした。
「そ、そんな……」
外に出て、
二人でクッキーを食べる。
甘さは控えめで、
素朴な味。
「……美味しいです」
「そうだな」
何気ない会話。
何気ない時間。
(守りたいのは、
こういう瞬間なんだ)
その想いが、
はっきりと形を持つ。
◆◆◆
一方、セレナとエリシア。
二人は、
裏通りの古書店にいた。
「意外な組み合わせね」
エリシアが言う。
「でしょ?
あたしもそう思う」
セレナは、
適当に棚を眺めながら続けた。
「でもさ……
頭使う人と一緒にいると、
ちょっと安心するのよ」
「それ、褒めてる?」
「一応」
エリシアは、
小さく息を吐いた。
「……昨日の話、
どう思った?」
「世界が壊れる未来?」
「ええ」
セレナは、
しばらく黙ってから答える。
「正直、怖いわよ。
でも――」
本を一冊、手に取る。
「アルスが一人で背負うなら、
絶対止める。
七人で背負うなら……
逃げない」
エリシアは、
その言葉を静かに噛みしめた。
「同意見よ」
◆◆◆
夕方。
七人は再び宿に集まった。
それぞれ、
何でもない一日を過ごしただけ。
なのに――
空気が、少し柔らかい。
「……こういう日、
定期的に必要じゃない?」
セレナが言う。
「賛成」
「異論なし」
「……はい」
自然と、
全員が頷いた。
リズが、静かに言う。
「嵐の前ほど、
静かな時間を大切にしないとね」
僕は、
皆の顔を見渡す。
笑っている。
ちゃんと、生きている。
(……大丈夫だ)
世界がどうなろうと。
重たい未来が来ようと。
この時間を、
何度でも選び直せる。
「明日からは、
また忙しくなる」
そう告げる。
「でも――
今日は、よく眠ろう」
マリーヌが、
小さく微笑んだ。
「……はい。
いい夢、見られそうです」
帝都の夜が、
静かに更けていく。
何でもない一日。
けれど確かに、
七人の絆を深くした一日。




