第7話 謎
放課後の鐘が鳴り、教室から人の波が流れ出していく。
カイルは「またあとで!」と手を振りながら、騎士塔の訓練場へ向かって行った。
僕は机の上の本をまとめながら、ちらりとセレナの席を見る。
彼女はそのまま立ち上がらず、静かに本を閉じて僕を見ていた。
(行くって、言ったんだ)
緊張が喉奥をつつくような感覚。
けれど足は自然とセレナのところへ向かっていた。
「……行こう」
僕が声をかけると、セレナは小さく頷いた。
教室を出て、廊下を歩く。
窓から差し込む夕方の光が床に長い影を描き、沈みゆく太陽の色が校舎を淡く染めていた。
誰も話さないまま歩く時間が逆に心拍を速める。
やがてセレナが言った。
「中庭へ行きましょう」
僕は頷き、校舎を抜けて中庭へ。
昼間は生徒たちの声で賑やかな場所だが、今は放課後で静かだ。
噴水の水音だけが響き、風が草木を揺らしている。
セレナは噴水の前で立ち止まり、僕の方に向き直った。
「……今日、嫌だったでしょう?」
唐突な問いだった。
「え?」
「特別扱いされて、注目されて、敵を作られて。
嬉しいはず、ないわよね」
静かで淡い声。
それなのに、心の核心をつかれたように胸がざわつく。
僕は少し考えてから答えた。
「……嬉しくはなかった。でも、仕方のないことなんだと思う。
僕は生まれただけで“特別扱い”されてる……それは、事実だから」
言った瞬間、セレナの表情が揺れた。
「事実、でも……それが“悪いこと”だなんて、誰が決めたの?」
「え……?」
セレナは噴水の水面へ視線を落とし、すこし声を沈めた。
「特別扱いされる者は、幸せだと思われる。
羨ましがられて、憧れられる。
でも本当は――“普通”に憧れるのよ」
その声は震えていた。
「友だちと笑って、競い合って、ただのクラスメイトでいられる時間。
それが、何より欲しくても……与えられない」
僕は言葉を失った。
それは――僕の気持ちでもあったから。
セレナの瞳は、夕日を映した蒼い湖みたいに静かだった。
「アルス。あなたも同じなんでしょう?」
問いかけというより、確認だった。
「あなたも“普通が欲しい”んじゃないの?」
僕は――ゆっくりと頷いた。
「……そうだよ。僕は、普通になりたかった。
普通の友だちを作って、普通に笑って、普通に過ごしたかった」
言葉が胸から自然に溢れた。
「でも僕は、特別扱いされる。
それをありがたいと思えない自分もいて……誰にも言えなかった」
ほんの少しだけ胸の奥の重さが軽くなった。
セレナは小さく息を吐いた。
「……よかった。あなたと話せてよかった」
その言い方は、喜びというより――安堵のようだった。
風が木々を揺らし、沈黙が静かに流れる。
けれど苦しい沈黙ではなかった。
やがてセレナは僕の方に体を向け、ほんの少し笑った。
「ここから先、私たちはきっと注目される。
敵もできる、味方もできる。
だから――あなたとは、ちゃんと話しておきたかった」
その言葉に胸が温かくなる。
「僕と……友だちになってくれるってこと?」
そう言った自分の声が震えていて驚いた。
どれだけその言葉を求めていたんだろう。
しかしセレナは、ゆっくり首を横に振った。
「違うわ」
心臓が一瞬止まりそうなほど、胸が冷えた。
断られたのではないかと思った。
けれど次の瞬間、セレナは言った。
「友だちより“特別”よ」
呼吸が止まった。
どういう意味?
恋とか、そういう……?
いや、それにしては早すぎ――
考えがぐるぐる回っていると、セレナが続けた。
「勘違いしないで。今すぐ仲良くしましょうとか、あなたが好きとか、そういう意味じゃない」
(そうだよな、早とちりした……)
安堵と失望が入り混じった瞬間――
「ただ、私たちは……お互いを必要とする“運命”になる。
これは確信なの」
運命――その言葉に背筋が震えた。
「なぜそう言えるの?」
尋ねると、セレナはほんの少し視線をそらした。
「理由は……今は言えない。言ったら、きっとあなたを苦しめるから」
また静寂。
水の音と風だけが響く。
セレナはゆっくり歩み寄り、僕のすぐ隣まで来た。
距離が近い。息が触れそうだ。
「アルス。もしあなたが“普通じゃない自分”を苦しむなら――」
その声は、誰にも聞こえないほどの小さな声。
「私は“普通じゃない自分”のあなたを受け止める」
胸が、熱くなる。
涙が出そうになるのを必死でこらえた。
(どうして……どうしてこんなことが言えるんだ)
その時、セレナはふっと距離を取った。
「今日はこれだけでいい。また話しましょう」
そして背を向けたまま一言だけ、風に乗せるように言った。
「アルスは……愛してはいけないと言われているのよね」
僕の身体が固まった。
それを、どうして――?
振り返ったセレナの表情は、優しくて、悲しくて。
「大丈夫。愛してはいけないなんて、誰にも決めさせない」
それだけ言って、セレナは歩き去っていった。
僕は噴水の前に立ち尽くしたまま動けなかった。
胸の奥で、誰かの声がまた蘇る。
『愛を求めてはいけない――』
だけど今は、あの声よりも大きく響く。
『それでも、あなたは愛していい』
セレナの言葉だった。
夕日が沈み、学園の灯りがともり始めた。
それでも、僕は動けなかった。




