第69話
空間が、完全に固定された。
灰色の世界は円環を描き、
その中心に――仮面の人物、《裁きの俺》が立つ。
剣を構えたその姿は、
今までの人格とは明らかに違っていた。
感情が、ない。
怒りも、憎しみも、哀しみも。
ただ、
「正す」という意思だけが、
刃のように研ぎ澄まされている。
『始めよう』
その一言と同時に、
世界が“判定”を下した。
◆◆◆
一歩。
裁きの俺が踏み出した瞬間、
空間そのものが“斬られた”。
音はない。
だが次の瞬間、
僕の視界に未来の枝が爆発的に広がった。
(――速い!!)
今まで見たどの敵よりも、
行動が未来に直結している。
未来を読む、というより、
「未来を確定させる」動き。
「来る!!」
叫ぶと同時に、
セレナが前に躍り出た。
「だったら――
確定させる前に燃やすだけよ!!」
炎が奔流となって走る。
だが裁きの俺は避けない。
剣を一閃。
炎が“否定”され、
存在しなかったかのように霧散した。
セレナの目が見開かれる。
「ちょ、今の――!?」
『感情に基づく攻撃は、
裁きの場では無効だ』
次の瞬間、
剣先がセレナの喉元に迫る。
「セレナ!!」
だが――
剣は止まった。
ルクレツィアが、
剣でその軌道を受け止めていた。
「感情だけじゃないわよ」
ぎり、と金属音が響く。
「これは――
覚悟と責任で振るう剣よ!!」
力と力がぶつかり、
衝撃が空間を揺らす。
その隙に、
エリシアの魔法陣が展開された。
「論理と再現性を伴う術式ならどう?」
魔導式《因果固定》。
結果を“過去に縛る”魔法。
裁きの俺の足元が光に縫い止められる。
『……ほう』
初めて、
わずかに声色が変わった。
だが次の瞬間、
空間そのものが歪み、
魔法陣が砕け散る。
『世界が許可していない』
エリシアが歯を食いしばる。
「……相手は、
世界側の存在ってわけね」
◆◆◆
マリーヌが、
震える手で短剣を握りしめた。
怖い。
それでも、足は前に出る。
「私……
足手まといでも、
守られるだけでも――嫌です!」
駆け出す。
その姿は、
未来の枝では“真っ先に折れる存在”として
何度も映っていた。
(――違う!!)
僕は、
その未来を叩き潰すように踏み込んだ。
「マリーヌ、右!!」
声と同時に、
彼女は直感で動いた。
裁きの俺の剣が、
“外れる”。
わずか一拍。
その隙を、
マリーヌは逃さなかった。
短剣が、
仮面の胸元に突き立つ。
浅い。
だが――
『……』
裁きの俺が、
一瞬だけ“沈黙”した。
それは、
予定にない行動だった。
マリーヌが息を呑む。
「……当たった……?」
ルクレツィアが叫ぶ。
「いいわ、そのまま下がって!!」
リズの祈りが、
即座にマリーヌを包む。
「恐怖に負けなかった。
それだけで、もう十分よ」
◆◆◆
裁きの俺が、
ゆっくりと仮面に触れた。
『……七人で在る、か』
声に、
ほんのわずかな揺らぎが混じる。
『個の最適解を捨て、
集合の不確定を選ぶ――
最も愚かで、最も困難な選択』
その瞬間、
世界が“次の段階”へ移行した。
空間が分断される。
七人の足元に、
それぞれ異なる光が灯る。
『最終判定だ』
裁きの俺が告げる。
『個として最も価値ある者を、
ここに残せ。
他の六人は――
救われる』
空気が凍る。
セレナが即座に叫んだ。
「は!?
誰がそんな選択すると思ってんのよ!!」
エリシアも首を振る。
「論外ね。
それは“七人の未来”じゃない」
裁きの俺は、
淡々と続ける。
『世界は、
そうやって最適化されてきた』
視線が、
僕に向く。
『アルス。
お前なら理解できるはずだ。
未来を視る者なら――
“最も損失の少ない選択”が、
どれか』
未来の枝が、
再び強制的に流れ込んでくる。
一人を犠牲にすれば、
六人は生きる未来。
それぞれの“最善”。
(……くそ)
喉の奥が焼ける。
だが、
次の瞬間。
誰かが、
僕の手を強く握った。
リズだった。
「アルス」
静かで、
それでいて逃げ場を与えない声。
「選ばないで。
そんな未来」
セレナも、
肩を並べる。
「一人を選ぶ時点で、
あんたは一人になる」
マリーヌが、
必死に首を振る。
「私……
そんな未来、嫌です……!」
ルクレツィアが、
剣を地面に突き立てる。
「王として言うわ。
民を救うために仲間を差し出す国なんて、
滅びたほうがマシよ」
エリシアが、
眼鏡を押し上げる。
「統計的にも感情的にも、
“七人全員で生きる未来”を
探し続けるほうが、
価値が高い」
七人の視線が、
一点に集まる。
僕は、
剣を構え直した。
「……世界が何を正解だと言おうと」
一歩、前に出る。
「俺たちは、
その正解を拒絶する」
フェイトリードが、
これまでになく強く輝いた。
未来の枝が――
一本だけ、はっきりと見える。
犠牲なし。
確率は、限りなく低い。
だが――
“ゼロではない”。
「その未来を、
俺たちは“作る”」
◆◆◆
裁きの俺が、
しばらく沈黙した。
そして――
初めて、剣を下ろした。
『……理解不能』
仮面に、
ひびが走る。
『だが――
拒絶は、確認した』
空間が崩れ始める。
『アルス・アドマイヤ。
七人の物語は、
もはや世界の想定外だ』
ひびが、
仮面全体に広がる。
『ゆえに――
お前たちは、
“観測対象”から外れる』
仮面が、砕けた。
そこにいたのは――
怒りでも、裁きでもない。
ただ、
疲れ切った“誰か”。
『……せいぜい、
最後まで抗え』
その声を最後に、
裁きの人格は消滅した。
◆◆◆
静寂。
灰色の世界が、
ゆっくりと色を取り戻していく。
フェイトリードの軋みが止まり、
未来の枝が――
以前よりも“遠く”に見えるようになった。
セレナが、
大きく息を吐く。
「……勝った、のよね?」
ルクレツィアが苦笑する。
「ええ。
ただし――
世界に嫌われる覚悟つきで」
マリーヌが、
へなへなと座り込む。
「こ、怖かったです……
でも……
選ばれなくて、よかった……」
リズが、
そっと僕の肩に触れた。
「これで――
もう戻れないわね」
僕は頷いた。
「ああ。
でも、それでいい」
この瞬間、
七人は確かに“世界の外側”へ足を踏み出した。
物語は、
もう守られていない。
だからこそ――
自由だ。
◆◆◆
遠く、
どこかで。
誰かが、
静かに笑った。
「……やっと、始まったね」
それが誰なのかは、
まだわからない。




