第64話
光の奔流が止まった瞬間、視界が戻った。
僕は――膝をついた姿勢で床にいた。
まず息をして、手を握り、身体の存在を確かめる。
孤独の階層は夢や幻ではない。
“心の傷を残すタイプの罠”だ。
立ち上がろうとしたとき――
ひた走る足音が聞こえた。
「アルス!!」
炎のような赤。
迷いも恐れも押し切る、まっすぐな走り。
セレナが僕に飛びつくように抱きついてきた。
「よかった……っ、よかった……!」
声が震えていた。
泣いているのをごまかすため、必死に強い言葉を選ぼうとしているのがわかる。
僕は背中に手を回した。
「大丈夫。戻った」
「当たり前でしょ……!!
戻ってこなかったら、殴りに行くところだったんだから……!」
そう言いながらも、腕の力は弱まらない。
離れようとしない。
本当は――
“捨てられた未来”を見せられたことが怖かったのだろう。
胸が締めつけられた。
セレナがやっと腕を離したその直後――
「アルス様っ!」
今度はマリーヌが抱きついてきた。
震え方は、セレナよりずっと大きい。
「生きてて……よかった……っ
本当に、消えちゃったのかと思って……!」
背中の毛が逆立っている。
涙が服に落ちて、熱い。
僕は、頭を優しく撫でた。
「ごめん。
もう“守れなかった未来”なんて見せられないようにする」
マリーヌは、首を横に振った。
「違います……!
守られるだけなのは嫌です……!
アルス様の隣に立てるって、証明したいんです……!!」
胸に、焼けるような痛みが走る。
それでも、うなずいた。
「できるよ。
お前は、それができる人だ」
マリーヌはしばらく泣いたまま離れられなかった。
やっと落ち着いた頃――
「よく戻ったわね」
エリシアが近づいてきた。
感情は抑えているが、握りしめた指が白くなるほど力が入っている。
「当たり前のように帰ってきてくれて嬉しいけど……
合理的じゃないわよ、あなたは」
「合理は必要だけど、
未来は“予定された答え”じゃないだろ」
エリシアは小さく笑った。
「だからあなたを信じたことが、
いちばん非合理で……
いちばん正しいって思った」
その横で、ルクレツィアが腕を組んで立っていた。
「……ここまで来て、置いて逃げられると思ってるわけ?」
口調は強いが、声だけが少し震えている。
僕が笑って近づくと、
彼女は視線を逸らして言った。
「私は――世界も、あなたも、両方手に入れるって決めた。
どっちも欲しがる、傲慢な女でいるのよ。
だから、二度といなくならないで。
勝手に“犠牲”になるのも禁止」
「なら、二度と離れない」
その言葉に、ルクレツィアは息を震わせて、黙って頷いた。
最後に――
リズが一歩だけ近づいた。
どの子よりも静かで、涙も、声の震えも見せない。
「戻ってきてくれてありがとう。
本当に、ありがとう」
それだけなのに、
一番深く刺さる言葉だった。
僕は言葉を失う。
リズは、僕の胸に軽く手を置き、
そっと目を閉じた。
「あなたを失うくらいなら……
世界を相手に戦う覚悟も、私はできてしまうの。
だからその未来を、本当に選ばせないで」
「選ばない。
どの未来でも、俺は七人で進む」
リズは涙は見せないまま――
ほっと微笑んだ。
◆◆◆
全員が再会し、
安堵し、
同時に傷ついていた。
でも、誰もその話を口にしない。
気づかないふりをして、
次の階層に目を向ける。
七人とも、前を見る顔をしていたのに――
歩き出した足は、
ほんのわずか、バラバラだった。
一番強く再会を望んでいたからこそ、
“自分だけが不安を抱えている”気がしてしまう。
気持ちは繋がっているのに、
距離だけがほんの一滴ずつ開く。
その誤差を、
僕だけが気づいていた。
(今、修復しないと危ない)
でも――
その機会は迷宮が奪う。
壁が音もなく閉ざされ、
七人は再び立ち止まった。
次の階層は、
真円の広間。
遠く離れた対岸に、
巨大な門がそびえている。
その中央で――
仮面の人物が一人、待っていた。
全員、身構える。
仮面の人物は、
いつもの冷たさではなく、
低く、沈んだ声で言った。
『お前たちの結束が本物かどうか――
ここで、一度だけ直接確かめる』
静かに剣が構えられた。
『安心しろ。
今の俺は“試すためだけ”の人格だ。
殺す気も、殺される気もない』
セレナが奥歯を噛む。
「人格……って何よ」
仮面の人物は、わずかに首を傾ける。
『俺はひとつじゃない。
憎しみの俺
怒りの俺
期待の俺
絶望の俺
愛の俺
そしていま目の前にいるのは――
“願いだけの俺”だ』
リズが息を呑む。
「……願い?」
仮面の人物が静かに剣を下ろす。
『七人で進む未来を守りたい――
本当は、そう思っている俺だ』
全員が、固まった。
仮面の人物は続ける。
『だが俺には力がない。
他の人格に押し潰されて消える前に――
ひとつだけ記憶を渡す』
手を伸ばし、
灰色の光をアルスへ投げる。
「――ッ!」
胸の奥が焼けるように熱くなり、
記憶が溢れる。
――血の中で泣いている少女
――剣を握れない腕
――抱きしめたのに救えなかった誰か
――名前を呼んだまま、返事を待てなかった時間
全員が息を呑む。
仮面の人物の声が震えた。
『これは“ノアの痛み”だ。
だがアルス――
この痛みすら、
七人で超えていくというのなら――』
仮面が、かすかに揺らめいた。
『俺は――お前の味方だ』
次の瞬間、
仮面の人物は霧のように消えた。
広間に残されたのは、
七人と、巨大な門。
静寂の中、
誰もすぐには動けない。
けれど――
一番最初に歩き出したのは、セレナだった。
「行きましょ。
怖いのなんか、もう全部まとめて踏み潰してやる」
マリーヌも涙を拭きながら言う。
「次は……絶対に誰も離れません……!」
エリシアが眼鏡を押し上げる。
「“全員で生き残る未来”――研究する価値、十分よ」
ルクレツィアは強く笑う。
「七人で行くと決めたんだから、
それが未来よ」
リズは静かに祈るように言う。
「アルスの願いも、私たちの願いも――
ひとつの未来になりますように」
僕は剣を握り、
七人の前で言った。
「俺たちは七人で進む。
七人で勝つ未来を――“作る”」
七人は肩を並べ、
巨大な門へ歩き出す。
距離のズレは、
もうなかった。
足音が重なる。
七人の未来が、
再び同じ方向へと進み始めた。




