第58話
黒騎士が、剣を地面に突き立てた。
鈍い音が響いた瞬間――
足元の大地が、低く唸るように震える。
頭部のないその騎士は、ただ静かに立っているだけなのに、
闘技場全体の“重力”が一段階重くなったような圧を放っていた。
「……やばいわね、これ」
セレナが額に汗を浮かべながら呟く。
マリーヌは耳を伏せ、尻尾をぴんと立てた。
「アルス様……あれ、“生き物じゃない”……
匂いが、空っぽです」
エリシアは魔力視を全開にし、目を細める。
「魔力構造が……ぐちゃぐちゃ。
一定の法則で動く“存在”というより、
“迷宮の意思をそのまま鎧に詰め込んだ化け物”」
リズが短く祈りの言葉を紡いだ。
「なら――こちらも遠慮は要らないわね」
ルクレツィアは剣を構え、
闘技場の中央へ歩み出る僕の隣に並んだ。
「アルス。
あんたが前に出るのは止めない。
でも、絶対に一人にはならないで」
セレナも僕の反対側に立つ。
「そうよ。
隣で戦うって言ったでしょ。
もう勝手に“前だけ”見させないから」
マリーヌは僕の背中側に回り、
守るように低い姿勢を取る。
「アルス様の死角は、私が絶対に守ります!」
エリシアは少し離れた位置から。
「解析と補助は任せて。
あれを“倒せる未来”を、一緒に探すわ」
リズが静かに宣言する。
「私は、その未来を“願う力”を供給する」
ルクレツィアは、最後にもう一度だけ僕を見る。
「そして私は、
――あなたの隣で剣を振るう女として、胸を張る」
胸が熱くなった。
(こんなにも――俺は、一人じゃない)
黒騎士が、ゆっくりと剣を持ち上げる。
刃が空気を切り裂いただけで、
空間がビリビリと振動するような重さ。
《深層守護者 アイン・ヴァンガード》
迷宮が発した“名”が、
直接頭の中に響く。
僕は、剣を構えた。
「行こう――全部守って、全部勝つ」
七つの声が同時に返る。
「「「おおおおおっ!!」」」
◆◆◆
最初に動いたのは――黒騎士だった。
地を蹴る音もなく、
次の瞬間には目の前にいた。
「っ!!」
反射で剣を合わせる。
重い。
ただひとかち合わせただけなのに、
腕が痺れ、膝が沈みそうになる。
(……これ、本気を出したら“地形ごと”潰せる)
黒騎士の剣筋は単純だ。
振り下ろす、薙ぐ、突き出す。
それだけ。
なのに――
一撃一撃の密度が、人間とは違う。
セレナが後方から炎の槍を放つ。
「《紅焔槍!!》」
炎の槍が、黒騎士の側面に突き刺さる――
はずだった。
だが、槍は鎧に触れた瞬間、
まるで“吸い込まれる”ように消えた。
エリシアが顔をしかめる。
「魔力吸収……!?
攻撃した魔力を、自分の防御に変換してる……!」
マリーヌが低く走り、足元を狙う。
「なら、物理で!!」
だが、黒騎士の脚もまた重く、
マリーヌの斬撃は弾かれた。
「くっ……!」
反撃の一振りがマリーヌを襲う――
「させるか!!」
僕が飛び込み、
黒騎士の剣を受け止める。
ギリギリと金属音が鳴り、
足元の床にヒビが走った。
(《フェイトリード》――少しだけ)
“マリーヌが死なない未来”
その枝を、ほんの指先で掴む。
黒騎士の剣先が、
ほんのわずか数センチ外れる。
その隙間をついて、
マリーヌが転がるように後方へ避難する。
「ありがとう……アルス様……!」
「気をつけて。
あれ、冗談抜きで“即死級”だから」
セレナが舌打ちする。
「ほんっとに、あんたっていつもギリギリで守るわね!
心臓いくつあっても足りないんだけど!?」
エリシアが冷静に分析を続ける。
「魔力攻撃は基本吸収。
物理攻撃も、厚い鎧と異常な耐久で通りにくい。
でも――“通らない”とは言ってない」
リズが聖印を掲げる。
「なら、神聖属性を混ぜてみるわ。
外側の気配には、聖属性が有効な場合が多い」
ルクレツィアが前に出る。
「アルス、次の一撃は私も入る。
合わせてくれる?」
「もちろん」
黒騎士が動く。
巨大な剣が、真上から振り下ろされた瞬間――
僕とルクレツィアは同時に踏み込んだ。
「――――ッ!」
僕は“受け”に全てを注ぎ、
ルクレツィアは“斬り上げ”に集中する。
ガァァン!!
大地が悲鳴を上げるような音。
黒騎士の剣がわずかに止まり、
その瞬間――
リズの聖光が、黒騎士の腕に直撃した。
「《聖破光》!!」
黒い鎧に白い亀裂が走る。
セレナの炎も、その亀裂に流れ込むように爆ぜた。
「《連鎖爆炎》!!!」
マリーヌが背後に回り込み、
エリシアの補助魔法で加速しながら脚を斬る。
「えいっ!!」
黒騎士の動きが、
初めて明らかに鈍った。
(――通った)
ほんのわずか。
けれど確かに、“傷”が入った。
◆◆◆
その瞬間だった。
視界の端に、別の“世界”がちらついた。
荒れ果てた大地。
黒い空。
燃え尽きた塔。
その中に、
同じ黒騎士が立っている。
ただひとりの少年と向かい合って。
金髪、蒼い瞳。
この世界の僕より、ずっと冷たい顔。
ノア。
ノアが黒騎士に剣を向け、
低く呟いた。
『……邪魔だ。
俺の邪魔をするな』
黒騎士は、今と同じように沈黙していた。
ただ剣を構え、ノアを試すように立っている。
世界がノイズを走らせる。
視界が、戻る。
(今のは――)
記憶。
いや、“迷宮が見せてきた”過去。
黒騎士は、昔からそこにいた。
ノアの時代にも。
そして今、アルスの前にも。
試している。
“何を”?
考えるより先に、
黒騎士の剣が再び振り下ろされる。
◆◆◆
戦闘は続く。
攻撃を重ねるほど、
黒騎士の“何か”が変質していくのがわかった。
最初は、ただの巨大な壁だった。
だが今は――
(俺たちの“連携”に、慣れてきている)
セレナが苛立った声を上げる。
「ちょっと!
さっきから、防がれ方が露骨に進化してない!?」
「向こうも“学習”してるのよ」
エリシアが歯を食いしばる。
マリーヌが後方から叫ぶ。
「でも、アルス様のほうがもっと上です!!」
リズが一瞬こちらを見る。
「アルス。
さっき、何か見えた?」
目が合った瞬間――
誤魔化せないと悟った。
「少し……昔の俺が、こいつと戦ってる記憶を」
セレナの表情が揺れる。
「ノアとしての、ってこと……?」
「たぶん」
沈黙。
数秒だけ。
でも、その数秒で、
全員の心に“嫉妬”と“不安”と“期待”が混ざっていくのがわかった。
ノアの記憶。
そこにいたリズ。
アルスではない誰か。
ルクレツィアが、剣を握る手に力を込める。
「……アルス」
呼ばれて、振り向く。
視線がぶつかる。
「どんな記憶を思い出してもいい。
でも、今、隣にいるのは“私たち”だってことだけは、
忘れないで」
その言葉が、胸に刺さる。
リズが静かに言葉を重ねる。
「ノアとしてのあなたも、
アルスとしてのあなたも、
両方知っているのは、今は私だけ。
でも――
この戦いが終わったら、
“みんなで”知ればいい」
セレナが睨みながらも叫ぶ。
「勝手に独占するんじゃないわよ、あんた!!
……でも、その案には乗ってあげる!」
マリーヌは涙目で笑う。
「今のアルス様が一番大事です……
でも、アルス様の過去も、一緒に背負いたいです……!」
エリシアは頷く。
「知ることは、恐怖だけど――
それでも知りたい。
あなたのことだから」
胸の奥で、何かがほどけた気がした。
(そうか。俺は――
“誰にも見せられない”って勝手に決めつけてた)
黒騎士の剣が再び振り上げられる。
同時に、胸の奥で《フェイトリード》が脈動した。
未来の枝が、無数に見える。
一歩間違えれば誰かが死ぬ。
一歩違えば、世界が壊れる。
でも――
「選ぶのは、俺だ」
ルクレツィアを守る未来。
セレナを守る未来。
マリーヌを守る未来。
エリシアを守る未来。
リズを守る未来。
そして――
全員が生きて笑っている未来。
その枝は、
たった一本だけ、遠くのほうに見えた。
(届かせる。
どれだけ無茶でも、
俺が“導く”)
◆◆◆
黒騎士が踏み込む。
その動きに合わせて、
僕は叫んだ。
「セレナ、炎を最大出力!!
エリシア、吸収無効の術式上書き!!
マリーヌ、右脚の関節!!
ルクレツィア、俺と一緒に正面から!!
リズ、“最後”だけでいい!! 全力を!!」
一瞬だけ、全員が驚く。
でも――
次の瞬間には動き出していた。
セレナが吠える。
「《業火連鎖陣》!!!」
エリシアが高速詠唱で術式を被せる。
「《魔力経路改変》!!
“吸収”を“負荷”に書き換える!!」
マリーヌが地を蹴る。
「いっきまぁぁぁす!!!」
ルクレツィアが隣に並び、
僕と剣を揃える。
「あなたの隣は、譲らない!!」
黒騎士の剣が、
僕たちへ振り下ろされる。
――そこに、未来をねじ込む。
《フェイトリード》
黒騎士の剣の軌道が、
ほんのわずか、数センチだけずれる。
その隙間に、
マリーヌの短剣が右脚の関節へ刺さる。
「えいっ!!!」
黒騎士の動きが崩れる。
セレナの業火が、
全身に吸い込まれ――
エリシアの術式が書き換える。
「吸い込んだ魔力全部――逆流しなさい!!」
黒騎士の鎧の隙間から、
白い火柱が中から爆発した。
ルクレツィアと僕が同時に踏み込み、
剣を振り下ろす。
「はああああああっ!!!」
黒い鎧が砕け、
亀裂が全身を走る。
最後に――
リズが聖印を掲げた。
「《聖終光》!!!」
光が、黒騎士を包み込む。
無音の閃光。
黒騎士は、
ゆっくりとその場に膝をついた。
頭部のないその体が、
天へ剣を掲げるように持ち上げ――
パリン、と
ガラスのような音をたてて、崩れた。
粉々になった黒い破片は、
やがて灰色の光になって消えていく。
◆◆◆
静寂が訪れた。
誰もすぐには動けなかった。
セレナが最初に、どさっとその場に座り込む。
「はぁっ……はぁっ……
生きてる……生きてるわよね私……」
マリーヌはへにゃっと座り込み、
その場で泣き笑いをした。
「アルス様ぁぁ……
生きてますぅぅ……」
エリシアは眼鏡を直しながら、
でも手が震えている。
「理論的には自殺行為よ、今の。
でも、成功したんだから……認めざるを得ないわね」
ルクレツィアは剣を杖にして立ちながら、
息を整えた。
「ほんと……
あなたって、人の心臓に悪い男ね」
リズは静かに目を閉じ、
祈りを一つだけ捧げる。
「……ありがとう、アルス」
僕は剣を収め、
みんなの顔を一人ずつ見た。
生きている。
誰一人欠けていない。
(――この未来を、選んだ)
胸の奥で、《フェイトリード》が静かに落ち着いていく。
そのときだった。
崩れた黒騎士のいた場所に、
ひとつだけ“残骸”が残っているのが見えた。
黒く、小さな欠片。
拾い上げた瞬間、
頭の奥に声が響いた。
『さすがね、アルス。
――次は、もっと深くまで来て』
仮面の人物の声。
ルクレツィアとリズが同時に顔を上げる。
「今の……」
「聞こえた?」
セレナも眉をひそめる。
「やっぱりあいつ、迷宮と繋がってるわね」
エリシアは小さく震えながら呟いた。
「黒騎士は、“試験官”。
合格したからこそ、次へ進む“招待状”が届いた」
マリーヌは僕の袖を掴み、涙目で言う。
「アルス様……
これからもっと危険になるんですよね……」
怖がりながらも、離れようとしない。
リズが真剣な顔で僕を見る。
「それでも、進む?」
問いかけ。
それは、
十年前と同じだった。
進むか
止まるか
世界か
仲間か
僕は、答えを知っている。
「進むよ」
迷いは、ない。
「だって――
“みんなと一緒に”未来を選びたいから」
セレナが笑う。
「ほんと、変わらないわね。
だから好きなんだけど」
マリーヌが顔を赤くしながら頷く。
「私もです……大好きです……!」
エリシアが小さく微笑む。
「研究対象としても、一人の人としても。
あなたは――興味が尽きない」
ルクレツィアは、誇らしげに胸を張る。
「だったら、私も一緒に行く。
帝国の王女としてじゃなく、“アルスの隣にいたい女”として」
リズは、静かに宣言する。
「ノアだったあなたも、アルスのあなたも――
全部まとめて、私が見届けてあげる」
黒い欠片が、
淡く光った。
迷宮の奥から、
新たな階段が現れる。
まだ見ぬ深層へと続く道。
そこに何が待っているのか。
敵か、真実か、過去か、未来か。
たぶん――全部だ。
僕は剣の柄に手を置き、
一歩前へ踏み出した。
「行こう。
迷宮の底まで」
七人の足音が重なる。
運命の枝が、さらに深く、
暗闇の奥へと伸びていく。




