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愛を求めてどこまでも〜男はどこまでも行く。あの言葉を胸に〜  作者: 暁 龍弥
少年編

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第55話

灰色の闘技場に足音が響いた。

静かで、落ち着いていて――不気味なほど整った歩調。


黒衣の人物は、まっすぐ僕に向かって歩いてくる。

銀の仮面が青白く光を反射し、その表情は読めない。


セレナがすぐ前に立ちはだかった。

杖の先端から炎が生まれる。


「誰よ、あんた……

 敵なら容赦しない」


仮面は微かに首を傾けただけ。


「敵、ね。

 その定義は人によって違うでしょう?」


落ち着いた口調。

性別を感じさせない声。


マリーヌが身を低くして輪を描くように回り込む。


「アルス様の害になるなら、敵です」


エリシアが魔力を構えながら分析するように言う。


「もし迷宮からの使者なら――

 目的は“アルスの記憶”。

 それが扉を開く条件だった」


仮面がエリシアの言葉に反応し、静かに拍手した。


「賢い子だ。

 さすが“魔導の書庫の娘”」


エリシアの瞳が細まった。


「つまり、あなたは私たちの情報を――最初から知っている」


「もちろん」


仮面は迷いなく答えた。

それは、最初から“個々の情報を把握していた”という確信の口ぶり。


「セレナ・グレイス。

 怒りを燃料にする魔術師」


セレナの肩がわずかに震える。


「マリーヌ・ルクラン。

 “守られることより守ること”を選んだ斥候」


マリーヌが息を呑む。


「エリシア・フェルノート。

 理性に縛られた少女。

 感情を抑え込んで崩れないようにしている」


エリシアは表情を変えない――

けれど指先が震えた。


三人を見透かすような声。

まるで心の奥底を覗き込まれているようだ。


そして仮面は、僕のほうへ顔を向けた。


「アルス・アドマイヤ。

 ――いえ、“ノア”」


全身に冷たいものが走る。


「過去の名前を呼ぶな」

本能でそう声が出た。


仮面は手を軽く広げた。


「名は力。

 あなたの《本質》はノア。

 アルスは“生まれ直すための器”」


セレナが怒りを押し殺した声で言う。


「言ってることの意味はわからないけど――

 アルスを侮辱したら、殺す」


火柱が立ち上がる瞬間、

仮面はひらりと身をそらし、手を伸ばした。


「落ち着いて。

 私はアルスに会いに来た。

 殺しに来たわけじゃない」


次の瞬間――

仮面が消えた。


いや、速すぎて目で追えない。


背後。

僕のすぐ後ろ。


剣を抜こうとするより先に、

仮面は僕の首すれすれを指1本でなぞっただけ。


「殺すつもりなら、今ので終わってる」


セレナの炎槍が飛ぶが、

仮面は風のようにすり抜ける。


マリーヌの斬撃も、

エリシアの拘束魔法も触れられない。


速さとか技量とかじゃない。

“位置”の概念が違う。


仮面の人物は僕の正面に戻ってきて、静かに言った。


「アルス。

 忘れていると思うけど――

 あなたは昔、私のことが大好きだった」


空気が凍る。


セレナの目が見開かれる。

マリーヌの瞳が潤む。

エリシアが呼吸を止める。


仮面は続けた。


「あなたは私のために剣を握った。

 私のために世界を壊した。

 私のために死んだ」


心臓を握り潰される感覚。

ノアの記憶が、胸を物理的に軋ませる。


(――俺は昔、誰のために戦っていた?)


十年前の記憶。

いや、それより前。

もっと深い過去。


視界がわずかに揺れる。

仮面の言葉が心の奥に刺さる。


「思い出して。

 私はあなたの“始まり”」


僕は――呼吸が荒くなるのを自覚しながら言う。


「思い出さない。

 今の俺は“アルス”だ」


その瞬間、

仮面の態度が変わった。


優しさが消え、

声が刃のように鋭くなる。


「記憶から逃げるなら――奪う」


一歩踏み込んでくる。


セレナが叫び、炎盾を展開。

マリーヌが飛び込み、

エリシアが防御魔法を重ねる。


だが仮面の人物は、攻撃を避けるのではなく、

まるで“攻撃のない場所に世界を変えている”ように移動する。


僕の目の前に再び現れる。


「聞きたいことが山ほどあるだろう?」


剣を構えながら答える。


「あるさ。

 でも答え合わせは“殴り合い”のあとだ」


仮面は愉快そうに笑う。


「そう来なくちゃ」


次の瞬間、仮面が初めて“攻撃”を仕掛けてきた。


時間が歪むような速度。

正面からの打撃。

回避不能。


剣で受け止めた瞬間――電撃のような衝撃が両腕を痺れさせる。


(強い……人間の枠じゃない)


セレナ、マリーヌ、エリシアが追撃。


だが仮面は叫ぶように告げた。


「邪魔はさせないッ!!」


仮面の周囲に黒い波動が放たれ、三人が弾き飛ばされる。


誰も大きな損傷はない――

ただ、“アルスに近づけない距離”だけが生まれた。


仮面は僕にだけ語りかける。


「戦いながらでいい。

 質問は?」


怒りでも焦りでもなく、冷たい好奇心。


だったら――問う。


「お前は俺に何を求めてる」


「“完成”。

 ノアを、完全に思い出したあなたが必要」


「理由は?」


「世界を壊し、世界を作り直す。

 あなたはそれができる」


「そんな未来はいらない」


「構わない。

 だが“思い出したあなた”が、それでも同じことを言えるか?」


胸が痛む。

ノアの声が頭の奥を刺す。


“もし俺が敵になっても迷うな”


仮面の人物は一歩引いた。

その動作は、敬意にも、執着にも見える。


「今日は――試しに来ただけ」


黒い風が巻き起こる。


「次に会うとき、決めて。

 アルスとして生きるのか。

 ノアとして生まれ直すのか」


仮面は消える間際、

優しく、それでいて壊れるほど甘く囁いた。


「どちらでも――私はあなたの隣よ」


黒風が収まり、闘技場に静寂が戻る。


セレナが駆け寄り、怒鳴る。


「誰なのよ、あいつ……!!

 アルスの“過去”を知ってるなんて……!!」


マリーヌが涙目で服を掴む。


「アルス様を奪おうとしてる……

 絶対いやです……!!」


エリシアが震える声。


「“世界を作り直す”……

 ああいう思想の人物は――危険すぎる」


僕は三人の声を聞きながら、

奥歯を噛みしめる。


敵か

味方か

恋か

執着か

運命か


全部まだわからない。


ただ――

ノアの言葉を思い出す。


“もし俺が敵になっても迷うな”


この先、選択しなければならない時がくる。


仲間を守るために。

自分のために。


だから僕は、三人に向き直って笑った。


「大丈夫。

 一人じゃ戦わない」


三人が――泣きそうな顔で笑った。


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