第54話
僕が灰色の扉に触れた瞬間、
視界が暗転した。
何かに引きずり込まれるような感覚。
足場がなく、上下もない空間。
そして――
光。
眩しいほどの青空。
草原の匂い。
風の音。
(ここは……どこだ?)
目の前に、一人の少年がいた。
金の髪、蒼い瞳。
わずかな笑みを浮かべて、剣を握っている。
――僕だ。
でも、今のアルスではない。
前世の姿。
“ノア”。
ノアが振り返り、静かに言った。
「ようやく来たんだな。
けど、ここで全部は思い出すな。
お前が壊れる」
声も仕草も僕に似ているのに、
雰囲気だけはまるで別人。
圧倒的な、孤独。
僕が言葉を探す前に、
ノアは淡々と告げる。
「伝えることは三つだけだ」
一つ指を立てる。
「外側の世界は、まだ終わっていない。
十年前に砕いたのは、“尖端”にすぎない」
二つ目。
「迷宮の最深部には、“扉”がある。
それは外側の入口じゃない――出口だ」
三つ目。
ノアがわずかに苦笑する。
「仲間を守れ。
だが“仲間を選ぶこと”から逃げんな。
結局逃げた瞬間、全部壊れる」
胸の奥が痛い。
言い返そうとした瞬間――
視界が揺らぎ、ノアの姿が遠のいていく。
「アルス」
ノアが名前を呼ぶ。
「もし俺が“敵”になっても――迷うな」
言葉の意味を理解する前に、
世界が砕け散った。
◆◆◆
現実へ戻った瞬間、
耳が痛いほどの轟音が鳴り響いていた。
灰色の部屋が崩壊している。
セレナが僕を抱きとめるように叫ぶ。
「アルス!! 返事して!!」
マリーヌの泣きそうな声。
「遅いですっ! 怖かったんですからっ!!」
エリシアは冷静さを必死に保ちながら。
「精神干渉からの帰還。
自力で戻ったのは信じられないレベルよ……!」
ルクレツィアは震える声で。
「無事じゃなかったら、私……私……」
リズだけが泣かずに言う。
「よく戻ったわ。
“扉は、あなたにとって毒”のはずだったのに」
僕は深く息を吸って言った。
「まだ大丈夫。
少なくとも、俺は“俺でいられる”」
そこで初めて――
足場が不自然に揺れていることに気づいた。
部屋の外から轟音。
空間がひび割れている。
「――分断される!」
セレナが叫んだ瞬間、
灰色の床が裂け、僕たちの足元から大きく割れた。
仲間の体が弾かれるように離れていく。
「アルスッ!!!」
「アルス様ぁぁぁぁ!!」
伸びてくる手。
でも届かない。
僕は三人――セレナ・マリーヌ・エリシアの側へ落下。
反対側には――
ルクレツィアとリズ。
完全分断。
宙に投げ出される瞬間、
ルクレツィアが涙混じりの怒鳴り声を上げた。
「絶対に死なないで!!
アルスのいない未来なんて、要らない!!」
リズも叫ぶ。
「私はあなたを取り戻す!!
何があっても――どんな未来でも!!」
視界が暗くなり――
別の階層へ叩きつけられる。
◆◆◆
着地と同時に、
耳をつんざく叫びが響いた。
周囲は巨大な闘技場。
中央に黒い霧。
その霧が、形を変えようとしている。
セレナが杖を構えながら歯を食いしばる。
「最悪……“実体化型”よ……!!」
霧はゆっくりと、形を持ち始め――
四足の巨獣へと変貌する。
黒い毛皮。
骨のような角。
人間の顔がいくつも埋め込まれた背中。
怒号と悲鳴の混じった咆哮。
エリシアが目を見開く。
「これ……十年前の個体と同系じゃない。
“都市全滅級”よ!!」
マリーヌは震えながらも前に出る。
「怖いです……怖いですけど……
アルス様の隣にいるって決めたんです!!」
セレナも吠える。
「いいわ、やるしかない!!
泣くのも文句も、死ななかったらいくらでも言ってやる!!」
僕は剣を構え、ゆっくりと息を吸う。
(ノアが言った……
“仲間を選ぶことから逃げるな”)
選ぶということは――
守るということだ。
今、目の前にいるのはこの三人。
なら守るべきは、迷わない。
「行くよ!!」
僕が走り出すと同時に、三人が声を重ねる。
「隣で戦う!!」
三方向から攻撃。
僕の一撃は巨獣の顎を砕き、
セレナの炎が体表を焦がし、
マリーヌが跳んで目を切り裂き、
エリシアが呪文で脚を縫い止める。
だが巨獣は止まらない。
再生が早い。
一度のミスで全滅するレベル。
(逃げ場はない……
なら――超えるしかない)
心の奥、熱が走る。
《フェイトリード》
未来を導く第三の力。
だがノアが言った。
「全部は思い出すな。壊れる」と。
まだ完全に“開けてはいけない”。
だから――
選択する。
僕は叫んだ。
「未来は奪わない。
“勝つために皆が生きてる未来”だけを引き寄せる!!」
熱が爆ぜ、視界が白く染まる。
巨獣の突進が急に鈍り、
足がわずかに滑り、
体勢が崩れた。
それは――運命のわずかな書き換え。
誰も死なない“未来の枝”を掴んだ。
「今!!!」
セレナの炎柱が爆発し、
マリーヌが急所を斬り、
エリシアが魔力を流して再生を封じる。
僕は――最後の一撃を振り下ろす。
黒く巨大な巨獣は、断末魔の叫びを上げながら霧へ溶けた。
戦いが終わった瞬間、
三人が同時に息を吐く。
セレナが怒鳴る。
「バカ!!!
一人で全部抱え込む顔して突っ込まないでって言ってるでしょ!!」
マリーヌは泣きながら胸に飛びつく。
「ほんとうに……ほんとうに死んじゃうかと思いました……!!」
エリシアは震えながら言う。
「あなたは、あなたの未来だけじゃなくて……
“私たちの未来も背負ってる”のよ」
胸が締めつけられる。
戦うのは簡単だ。
でも、“向き合う”のは難しい。
それでも逃げたくない。
僕は、三人の額にそっと手を置く。
「ありがとう。
助けてくれてありがとう。
俺は一人じゃ戦えない」
その言葉に、
三人の瞳が揺れた。
戦場なのに――
泣きそうな顔で微笑んだ。
その瞬間だった。
「――あら、甘い時間はそこまでにしてちょうだい?」
冷たい声。
闘技場の入口に、誰かが立っていた。
黒い衣、銀の仮面。
背丈はアルスと同じくらい――いや、少し高い。
そして声が続く。
「次の階層へ進むための“鍵”を持っているのは私よ。
アルス・アドマイヤ」
仮面の人物がゆっくりと手を伸ばす。
「あなたを迎えに来た」
その声音には――
深い執着と甘さと、敵意が混ざっていた。




