第50話
帝都防衛戦から――十年が経った。
僕は十五歳になった。
本来なら、まだどこかの学園で机に向かっている年頃だろう。
だが今の僕は、そんな平凡な道からだいぶ外れている。
ギルドカードに刻まれた肩書きは――
『世界最強の迷宮攻略者』
……自分で名乗ったわけじゃない。
勝手にそう呼ばれるようになっただけだ。
◆◆◆
朝の迷宮都市。
世界各国から冒険者や商人、王族に至るまでが集まるこの都市は、
十年前の怪物襲来をきっかけに“世界の境界”になった。
都市の中心には、相変わらず《大迷宮アトラ》がそびえ立つ。
見上げるだけで首が痛くなるような黒い塔。
その内部には、未踏破の階層と、世界の理から外れた“何か”が眠っている。
僕は、アトラを何度も潜り、
最深とされる第七十階層の先――正確には「七十階層以降」としか呼べない、
存在自体が曖昧な領域にまで到達した唯一の人間らしい。
らしい、というのは、僕にもどこまでが正確な記録なのかわからないからだ。
迷宮の深淵に触れた者は、
時々“時間感覚”をなくす。
十年前、帝都防衛戦で見た怪物と同じ“匂い”が、
深層には確かにあった。
だからこそ、世界は僕に期待している。
アルス・アドマイヤ。
ヴァレリア帝国公爵家の長男であり、
十年前の帝都防衛戦の“少年英雄”。
そして今は――
世界最強の迷宮攻略者。
「……はぁ。肩書きって、勝手に増えていくよなぁ」
ギルド本部の最上階。
大きな窓から迷宮を見下ろしながら、
僕は椅子の背にもたれて伸びをした。
扉がノックもなく勢いよく開く。
「アルス!! また溜め息ついてる!」
紫がかった髪をポニーテールにまとめた少女――セレナが、
軽やかに部屋へ飛び込んできた。
十年前の面影は残っているが、
背も伸び、体つきもずいぶん女性らしくなった。
けれど、眉間に皺を寄せて怒鳴り込んでくる性格はあまり変わっていない。
「本日の依頼報告、まだギルド長に出してないでしょう?
“世界最強”が報告サボるってどういうことよ」
「今から行くってば。ちょっと休んでただけだよ」
「“ちょっと休む”って、あなたの場合、
平気で半日くらいボーッとしてるから信用ないのよ」
そう言いつつも、セレナは僕の前の机に書類をポンっと置いた。
「ほら、軽くまとめておいたわ。あとは署名だけ」
「……ありがと」
素直に感謝を伝えると、
セレナは少し耳まで赤くし、視線を逸らした。
「べ、別に、あんたが迷宮で倒れられると困るだけだから。
十年前から、あなたは“私の隣で生きてる”のが前提なんだからね」
十年前。
帝都防衛戦のあと、僕は彼女たちと約束した。
――全員で生き残る。
――答えを急がない。その代わり、絶対に逃げない。
その約束は、今もまだ続いている。
セレナだけじゃない。
「アルス様ぁぁぁぁ!!!」
勢いよく背後から抱きついてきたのは、
ふわふわした茶髪に獣耳のついた少女――マリーヌ。
十年前の小さなメイド見習いは、
今では立派な――と言っていいのか少し悩むが――
《迷宮専属メイド兼前衛斥候》になっていた。
「今日の朝ごはんちゃんと食べましたか!?
ほら、まだおにぎりありますよ!!」
「マリーヌ、ここギルド本部。食べ物出さない」
「なに言ってるんですかセレナ様、
“アルス様最優先”がギルドの暗黙ルールですよ!?」
「そんなルール認めてないから!」
騒がしい二人に、
扉の外から苦笑混じりの声がかかる。
「……朝から元気ね、ほんと」
銀縁の眼鏡をかけた少女――エリシア。
十年前より背も伸び、落ち着いた雰囲気に拍車がかかった。
今では迷宮都市でも屈指の魔導研究者であり、
《大陸魔導評議会》からも名指しで意見を求められるほどだ。
「ギルド長がそろそろ呼びに来るから、
その前に書類片づけてね、アルス。
あと、セレナとマリーヌ。
公私混同しないで」
「うぐっ」
「はうっ」
二人が同時にうなだれる。
最後に、廊下の向こうから、
堂々とした足音が響いた。
真紅のマントを翻し、
整った金髪を揺らして現れた少女――ルクレツィア。
今は正式に“ヴァレリア帝国の第一皇女”として即位している。
そして同時に、迷宮都市との外交代表でもあった。
「まったく……世界最強の迷宮攻略者にして、
帝国の友好象徴でもあるあなたが、
提出書類をため込むなんてどういうことかしら」
「ごめん……」
「反省しているのね?」
「……反省“は”してる」
「じゃあ次から気をつけなさい。
――それで済む程度には、私は甘いわ」
そう言いながらも、ルクレツィアは微笑んだ。
その表情は、十年前と同じだった。
王女である前に、一人の少女として、
僕を見てくれている。
四人四様の視線を受けながら、
僕は苦笑しかできなかった。
十年前、戦いが終わっても、
誰一人として僕から距離を取らなかった。
むしろ――距離は近くなった気がする。
恋も、約束も、未来も。
どれ一つとして終わっていない。
全部、今も続いている。
「……よし」
僕はペンを取り、
セレナがまとめてくれた報告書に署名をしていく。
その瞬間、ギルド本部の大鐘が鳴り響いた。
「……緊急召集?」
エリシアが眉をひそめる。
「通常の依頼じゃないわ。
この鳴らし方は――“世界級案件”」
ルクレツィアも表情を引き締める。
「帝都防衛戦のときと同じ。
国家単位じゃなく、“世界全体”に関わる案件ね」
マリーヌの耳がぴんと立つ。
「アルス様……!」
セレナは、いつの間にか杖を握っていた。
「どうするの? アルス」
質問の形を取っているが、
彼女の目にはもう“答え”が見えている。
僕は椅子から立ち上がった。
「行くよ。
十年前と同じだ。
守れるなら――守る」
四人が同時に微笑む。
その瞬間、扉が開いた。
ギルド長自らがやってきた。
白髪混じりの髭を揺らしながら、
厳しい表情で告げる。
「アルス・アドマイヤ。
君に《世界迷宮会議》からの名指し要請が届いた」
「世界迷宮会議……?」
エリシアが息を呑む。
「各国の迷宮都市、王家、魔導機関、教会勢力……
世界中の“迷宮に関わる全勢力”が集まる会議よ」
ギルド長は続けた。
「議題はひとつ。
――『迷宮アトラ最深部に、“帝都を襲ったものと同じ気配”が再び確認された』」
空気が凍りつく。
十年前、帝都を襲った“外側の怪物”。
その気配が、迷宮のさらに深くで見つかった。
ギルド長は真剣な眼差しで僕を見据えた。
「世界は、君に頼りすぎているのかもしれん。
だが――今回は、君抜きでは話が始まらない」
セレナが小さく息を吸う。
「アルス……」
マリーヌが不安そうに袖を掴む。
「また……命を懸けることになるんでしょうか……」
エリシアは淡々として見えるが、
握る手が震えていた。
「十年前と違って、今は“君の力の正体”がわかっている。
《フェイトリード》――運命を導く第三の力。
ただ、それでも未知の領域には違いない」
ルクレツィアはまっすぐ僕を見つめる。
「アルス。
選ぶのは、あなたよ」
十年前と同じ言葉だった。
運命を押しつけるのではなく、
僕に“選ばせてくれる”言葉。
だから――答えは決まっている。
「行くよ」
自然と、その言葉が口から出た。
「世界がどうとか、肩書きはどうでもいい。
また、誰かが泣くなら――僕は止めたい」
セレナが笑う。
「まったく……本当に、変わらないんだから」
マリーヌが涙をこらえながら頷く。
「だから……ついて行きたいって思えるんです」
エリシアは少し呆れたように微笑む。
「理屈で説明できないけど――
そんなあなたを、私は誇りに思うわ」
ルクレツィアも静かに笑う。
「じゃあ――“世界最強の迷宮攻略者”としてじゃなく、
一人のアルスとして、堂々と行ってらっしゃい」
僕は、十年前と同じように剣を腰に下げ、
仲間たちと並んでギルド本部を後にした。
迷宮都市の中心、アトラの黒い塔が、
相変わらず不気味に空を貫いている。
その深部で、何が待っているのかはわからない。
十年前に眠りについたカイとアッシュの気配も、
今なお迷宮のどこかで揺らいでいるような気がする。
でも――
「行こう」
ひとつ息を吸って、笑う。
「十年前に選んだこの未来の続きを、
ちゃんと掴みに行こう」
仲間たちの足音が、僕の隣に重なる。




