第42話
大聖堂の東側は、半分崩れかけていた。
尖塔の一部が折れ、巨大な石片が斜めに引っかかっている。
今にも落ちてきそうなその下には、避難しきれなかった人たちがうずくまっていた。
泣き声。
助けを呼ぶ声。
それをかき消すように、まだあちこちで魔力の爆発音が響いている。
「間に合う……!」
自分に言い聞かせるように呟き、僕は速度を上げた。
隣を走るセレナの息は荒い。
マリーヌは耳と尻尾をピンと立てて、周囲の気配を探っている。
エリシアは走りながら詠唱を組み立て、
ルクレツィアは前を睨みながら剣を握りしめていた。
「アルス! 崩落はいつ起きてもおかしくないわ!」
セレナの声は、焦りを隠そうとして隠しきれていない。
エリシアが即座に応じる。
「支柱の魔力構造が限界。
――あと三十秒以内に“軽く”しないと、崩壊」
(三十秒……!)
足りない。
普通にやっていては間に合わない。
「ザン! 先行して衝撃を受け止めろ!!」
「任せろォ!!」
ザンが一足先に飛び出し、崩れかけた塔の真下へ走る。
土属性強化を全身に纏い、腕を構えた。
「来いよ、デカブツ……!!」
そこへ、塔の上部がずるりと滑り落ち始めた。
悲鳴が上がる。
ルクレツィアが叫ぶ。
「支えきれるの!?」
「支えるんだよォォォ!!」
ザンの咆哮が響き、
落ちてくる塔の一部と拳が激突した。
轟音。
地面がめり込み、亀裂が走る。
それでも――ザンは、止めた。
膝をつき、歯を食いしばりながら。
「ぐ、ぅぅ……ッ! 早くしろ……!! 長くは、持たねぇ……!」
「ティノ! 風で瓦礫をどかせ!! ヴァイス、防御結界!」
「わかった!! 《ストーム・ブレード》!」
「《アクア・バリア》展開!」
風の刃が小さな瓦礫を切り刻み、
水の壁が崩れる粉塵を防ぐ。
カイルは震えながらも、補助魔法を連射していた。
「ザン強化! セレナ強化! アルス超強化!!
俺はただの天才サポーターだぁぁ!!」
状況を、かろうじて押しとどめることができている。
だが、それだけでは終わらない。
瓦礫の影から、灰色フードの一団が現れた。
「見つけたぞ、アルス・アドマイヤ!!
大人しく来れば、市民の犠牲は最小で済む!!」
同時に、反対側の路地からは王家軍の一隊が駆けてきた。
「アルス殿を確保せよ!! ここで拘束、王城へ護送!!」
二つの勢力が、同時に剣を向けてくる。
(……ふざけるな)
今この瞬間、救うべき人が目の前にいる。
それなのに――僕の首輪をつけることしか考えていないのか。
怒鳴ろうとしたその時、先に声を張り上げたのはルクレツィアだった。
「全軍、アルスに手を出すな!!!」
彼女の声は鋼のように響いた。
王家軍の先頭にいた将校が戸惑う。
「で、殿下!? しかし陛下の勅命は――」
「勅命は後回しよ!! 今は市民の救助を優先しなさい!!
ここで誰かを見捨てれば、“王家そのものが見捨てられる”!!」
言葉に力がこもっていた。
将校たちは顔を見合わせ、
やがて一人が膝をついて頭を下げる。
「……了解いたしました。
いまは殿下の命に従い、市民救助に全力を尽くします!!」
次々と敬礼が続き、王家軍は戦線から外れて、市民の避難に動き始めた。
マリーヌが思わず呟く。
「ルクレツィア様……!」
ルクレツィアは、ちらりと僕の方を見もしないで言う。
「勘違いしないで。
“王女として当然のことをしただけ”。
――……それに、あなたを渡すつもりなんて初めからないわ」
頬が少しだけ赤いのは、見なかったことにする。
問題は灰色フードの一団だ。
彼らの指揮官が叫ぶ。
「王家は信用できん!! あの“姫”も含めてな!!
アルスを渡せば、この騒乱はすぐに収束する!!!」
セレナが杖を構え、怒りに震える声で言う。
「黙りなさい!!!
あなたたちは世界を救うって言いながら、
目の前の命さえ守れないの!?」
エリシアも冷たく睨む。
「論理矛盾。
“未来のために今を犠牲にする”のは、救済じゃなく暴力よ」
灰色フードたちは引かなかった。
「未来のための犠牲は“当然”だ!!
その中心こそ、滅びの子アルス!!」
(また“滅びの子”か……)
体の奥で、黒い炎がぴくりと動く。
だがそれは、さっき白フードとの戦いで刻んだ“第三の光”に包まれていた。
(もう、その呼び名に飲まれたりしない)
僕は前へ出る。
「アルス様!?」
マリーヌが袖を掴むが、
僕は振り向いて笑ってみせる。
「大丈夫。みんなが支えてくれてる」
灰色フードの指揮官と向き合い、叫ぶ。
「僕はここで“助けを求めている人たち”を見捨てない。
それを邪魔するなら――たとえ“未来のため”だろうと、敵だ!!」
一瞬、灰色フードの男の表情が揺れた。
(迷ってる? それとも……)
だが、その隙を突くように――
上空から黒い影が降ってきた。
漆黒のフード。
見慣れた、そして忘れられない気配。
「……やれやれ。
勝手に盛り上がっているところ悪いが――」
大聖堂の屋根から飛び降りた黒フード――カイが、
軽く指を鳴らした。
「本物の“災厄”は、まだ始まってもいないぞ」
地面が――わずかに、震えた。
遠くの城壁の方角から、
地鳴りのような魔力のうねりが迫ってくる。
エリシアが顔面蒼白になった。
「嘘でしょ……!?
あの規模……! 帝都の外から、“何か”が来る!!」
セレナも目を見開く。
「カイ!! あなた何を――!」
カイは薄く笑った。
「誤解するなよ。呼んだのは“俺”じゃない。
世界の外側から“這い寄っている”だけだ」
灰色フードの指揮官が驚愕する。
「なっ……!?
聞いていないぞ、カイ!!」
「言っていないからな」
カイはあっさりと答えた。
「お前たちは“アルスを保護する”と言いながら、
今この場で市民を犠牲にしようとした。
そんな連中に全部は任せられない」
その言葉に、灰色フードの男は言葉を失う。
(カイ……灰色側とも“完全には”手を組んでない?)
カイがこちらを見る。
フードの奥の目は、以前と変わらず深い赤。
「アルス。
選ぶのはお前だ。
帝都を守るのか、ここで退くのか――」
白フードと同じことを言う。
だけどその声には、かすかな怒りと焦りが混ざっていた。
「世界の外側から来る“あれ”は、
まだお前たちに触れちゃいけないレベルの化け物だ」
(なら、なおさら――放っておけないだろ)
僕は即答していた。
「守るに決まってる!!!」
セレナが息を呑む。
マリーヌは、目に涙を浮かべて頷いた。
エリシアは諦めたように笑っていた。
ルクレツィアは、どこか誇らしげに顔を上げた。
「……そう言うと思っていたよ」
カイはため息混じりに笑った。
「なら、案を一つやる」
彼は灰色フードの指揮官に顔を向ける。
「お前たち。“一時的に”引け。
アルスを追うのは、今回に限り保留だ」
「何を――!」
「帝都ごと潰されたら、元も子もないだろうが。
滅びの子がいようがいまいが、“あれ”は世界を壊す」
その一言に、灰色フードたちは沈黙した。
やがて指揮官が悔しそうに歯を食いしばり――
剣を納めた。
「……今回だけだ。
帝都の防衛に協力する。
――ただし、アルス、お前を“見張りながら”だ」
(見張り、か……それでいい)
王家軍と灰色フード、
騎士団と僕たち。
一度は刃を向け合った四つの勢力が――
ほんの一時だけ、同じ方向を向いた。
ルクレツィアがカイを睨む。
「あなたの目的は何?
アルスを“自由にしたい”のか、“世界を壊したい”のか」
「両方だ」
即答だった。
「世界が“アルスを犠牲にしないなら”守ってやる。
犠牲にしようとするなら、壊す」
(……やっぱり、極端だ)
でも、その極端さが、
今この瞬間だけは――帝都を救うために働こうとしている。
僕は大聖堂の崩れかけた塔を見上げた。
地鳴りは、どんどん大きくなる。
遠くの空が、奇妙な色に歪み始めている。
時間はない。
「みんな!」
振り返る。
セレナ。
マリーヌ。
エリシア。
ルクレツィア。
ザン。ヴァイス。ティノ。カイル。
そして――カイと灰色フードたち。
「帝都を守る!!
王家も、灰色フードも、黒フードも、関係ない!!
ここに生きてる人たちが、俺たちの“戦場理由”だ!!」
全員の返事が、重なる。
「了解!!!」
「はい!!」
「仕方ないわね……付き合うわ」
「そうこなくちゃ!」
「やってやるさ!!」
「全員、生きて帰るぞ!!」
カイも小さく肩をすくめた。
「……ったく。
やっぱり、お前は“滅びの子”には向いてない」
その目は、ほんの少しだけ――誇らしげだった。
帝都の外から迫る“外側の敵”。
内部でなお燻る政治の火種。
アルスを巡る思惑と恋と、守りたい日常。
全部を抱えたまま、
僕たちは再び走り出した。




