第22話
図書塔から戻ったあと、僕たちは一度医務室でセレナの状態を確認し、そのまま学園長室へと呼び戻された。
扉の前に立つと、中から低く重い声が聞こえる。
「入りなさい」
中に入ると、先ほどとは違い、部屋には数人の教師と、見慣れない服装の人物がいた。
深い紺色の軍服、肩章には帝国の紋章。
灰色の髪をオールバックに撫でつけた男が、学園長の隣に立っている。
「あれは……」
セレナが小さく呟いた。
「帝都直属の近衛騎士団、その連絡官よ」
空気が一気に張り詰める。
学園長アーデルバルトが、ゆっくりと口を開いた。
「戻ったか。まずは無事で何よりだ」
僕たちが軽く礼をすると、近衛騎士団の男がこちらを見た。
冷たいというより、仕事に徹する鋭い目。
「私は“近衛第二隊”所属、
《レオンハルト・グレイヴ》と申す。
ヴァレリア皇帝陛下の命により、
本学園の異常事態調査に派遣された」
ザンが小さく息を呑む。
(皇帝の命令……もうそんな段階まで来ているのか)
学園長が机の上の書類を軽く叩く。
「今回の一件――
学園の結界をすり抜けた得体の知れない存在、
死霊系に近い魔力、
そして“特定の生徒”を狙った形跡。
これらはすでに帝都にも報告済みだ」
レオンハルトが、僕を正面から見据えた。
「特に――アルス・アドマイヤ君」
名前を呼ばれ、背筋が伸びた。
「君に関する報告は陛下も目を通されている。
“異常な魔力制御能力”と、
“千年前の英雄譚との奇妙な符合”」
心臓がどくりと大きく鳴った。
セレナが少し身を寄せる。
ザンとヴァイスも、さりげなく僕の両側に立った。
レオンハルトは続ける。
「誤解しないでほしい。
君を疑っているわけではない。
むしろ――“守るべき存在”として
帝都は認識し始めている」
守るべき、存在。
嬉しいというより、怖かった。
(また“特別”に縛られる……?)
その不安を読んだように、学園長が言った。
「帝都は、
『アルス君を強制的に保護・隔離せよ』
という命令は出していない。
少なくとも、現時点ではな」
レオンハルトが頷く。
「陛下はこう仰せだ。
“彼が望まぬ檻を作るな。
彼が望むならば、共に歩む道を用意せよ”と」
思わず顔を上げていた。
「……陛下が……?」
「帝都は愚かではない」
レオンハルトの口元がわずかに緩む。
「千年前、世界を救ったのは
あるひとりの“英雄”ではない。
英雄を支えた人々、
共に戦った仲間たち。
歴史書の行間に、陛下はそれを見ておられる」
学園長が椅子から立ち上がり、
僕たち四人を見渡した。
「だからこそ、我々大人は“枠組み”を整える。
君たちは君たちのやり方で、
この学園と、日々を守りなさい」
ヴァイスが静かに尋ねる。
「具体的には……何を?」
レオンハルトは机の上に一枚の地図を広げた。
学園とその周辺の簡易図。
そのいくつかに赤い印がついている。
「まず、学園の結界は帝都直属の術師団が再構築する。
同時に――」
赤く印をつけられた箇所を指でなぞる。
「学園近辺の“霊脈の乱れ”を調査する。
死霊系術式や、千年前の聖戦紋が現れるということは、
どこかで“古い層”が動いている」
セレナが地図を覗き込み、息を呑んだ。
「この印……
全部、最近小さなトラブルがあった場所……」
「そうだ」
学園長が続ける。
「魔法道具の誤作動、
原因不明の小規模暴走、
霊的な影の目撃報告。
一つひとつは“よくある不具合”として
片付けられていたが――
こうして線で結ぶと、ひとつの“円”になる」
僕にも、見えた。
赤い点が、学園を中心に
うっすらと輪を描いている。
「これは……包囲……?」
ザンが眉をひそめる。
「包囲というより、“儀式陣”だ」
ヴァイスが呟く。
「誰かが、学園全体を使って
大規模な術式を組もうとしている」
僕の背に冷たい汗が伝う。
「その目的が、
アルス君を狙うものかどうかはまだわからん」
学園長はきっぱりと言った。
「だが、君がその中心に
巻き込まれる可能性は高い」
レオンハルトが僕に真正面から問う。
「アルス・アドマイヤ君。
君に選択肢は二つある」
喉が固くなる。
「第一――
帝都へと一時避難し、
皇城の結界内で保護される道。
そこで精査を受け、
“王国級戦力”として育成されることになるだろう」
想像しただけで、息が詰まりそうだった。
檻。
それはたぶん、とても温かくて、安全な檻だ。
「第二――」
レオンハルトの声が少し柔らかくなる。
「学園に留まり、
仲間と共に日常を守りながら、
この事態の真相へ“自分の足で”近づく道」
僕はすぐに答えられなかった。
どちらも、正しい道だ。
帝都に行けば、多くのものを守れるかもしれない。
ここに残れば、危険も増えるだろう。
セレナが、そっと僕の手を握った。
「アルス。
わたしは、どちらを選んでもいいと思う。
ただ――」
少しだけ、声が震えている。
「“一緒にいたい場所”がここなら、
それを諦めてほしくはない」
ザンが腕を組んだまま言う。
「行きたきゃ行け。
だが、“守るために諦める”顔は二度とするな」
ヴァイスも淡々と続ける。
「帝都は合理的だ。
でも“君の心”までは計算できない。
選ぶのは君だ」
胸の奥で何かがほどけていく。
(前世では、きっと“選べなかった”)
与えられた役割、背負わされた罪、
守れなかった後悔。
でも今は違う。
「……残ります」
自分でも驚くほど、言葉はすっと出てきた。
「僕は、この学園が好きです。
ここでみんなと笑って、怒って、
困って、助け合って――
そういう日々を、手放したくない」
静寂。
レオンハルトが、ゆっくりと頷いた。
「そう言うと思っていた」
「えっ」
「陛下も、そう仰っていた。
“あの子はきっと、
檻よりも空を選ぶだろう”とな」
学園長が少しだけ笑う。
「ならば我々大人の役目は決まった。
檻ではなく、“風除け”を作ることだ」
レオンハルトが、腰のホルダーから小さな金属板を取り出した。
薄い銀色のプレートに、簡潔な紋章と術式が刻まれている。
「これは帝都発行の“臨時協力証”。
君たち四人は、学園と帝都双方に
正式に“協力者”として認められる。
必要な情報の一部が共有されるようになる」
ヴァイスの目がわずかに見開かれた。
「情報へのアクセス権……
これは、かなりの優遇では?」
「その代わり、
危険な場面に遭遇する可能性も高くなる」
レオンハルトは隠さない。
「それでも――進むか?」
僕は皆の顔を見た。
セレナはまっすぐに。
ザンは不器用に。
ヴァイスは静かな決意を。
それぞれの目で、頷いていた。
「……はい。進みます」
そう答えると、金属板はほのかに光り、
僕たちの手の中に温かさだけを残した。
――大人たちは動き始めた。
帝都も、学園も、
ただ守るだけでなく、“共に戦う”体勢へと。
それは同時に、
僕たちがもう“子どもだけの世界”に
いられないことも意味していた。
それでも。
(それでも、ここからが僕の物語だ)
学園長は最後に言った。
「アルス君。
日常を守りたいなら――
まずは、その日常を“ちゃんと楽しみなさい」
「明日も授業に出て、くだらないことで笑いなさい。
恐怖ばかりを見ていては、足元をすくわれる」
思わず笑ってしまった。
「……はい。ちゃんと、楽しみます」
大人たちは道を整えた。
その上をどう歩くかは、僕たち次第だ。
――世界は静かに変わっていく。
けれど、教室の窓から見える空は、まだ青かった。




