第18話
翌日、学園の空気はどこか重かった。
マリーヌが負傷した件は生徒には公表されていない。
けれど、朝から教師たちがいつもより頻繁に校内を巡回し、
正門や裏門には見慣れない警備兵の姿があった。
「なんか……物々しくない?」
そんな囁きが廊下のあちこちから聞こえる。
(……やっぱり、ただの“事故”じゃないってことだよな)
僕は授業中も落ち着かなかった。
黒い布をまとった何者か、魔力の斬撃、死体の匂い――
マリーヌの震える声が頭から離れない。
守れなかったという後悔と、
誰かが僕を狙っているという確信が、
胸の奥で渦を巻き続けていた。
◆◆◆
午前の授業が終わり、教室で荷物をまとめていると、
カイルが机の上にドン、とお弁当を置いた。
「アルス、顔が死んでるぞー。大丈夫か?」
「……ちょっと考えごとしてただけだよ」
「無理すんなって。マリーヌさんの件、気にしてるんだろ?」
ティノも心配そうに覗き込んでくる。
「俺も話聞いた。命に別状はないって言ってたけど……
あれ、絶対ただの盗賊とかじゃねぇよな?」
そこへ、ノートを閉じながらヴァイスが静かに口を開いた。
「現場には、まだ微量の魔力残渣が漂っていた。
教師たちは気付いてないみたいだけどね」
「……気付いてたの?」
「残っていた術式の断片からすると、
“斬撃系の中級以上の攻撃魔法”だ。
素人が扱える代物じゃない」
ヴァイスはいつも通り淡々としているが、
その目はわずかに険しかった。
セレナも席を立ち、僕の方を向く。
「今日は、お昼を食べたあと医務室へ行きましょう。
マリーヌが目を覚ましているかもしれないわ」
「……うん。行きたい」
そう言った僕の肩を、カイルがぽんと叩いた。
「じゃ、今日は全員で行こうぜ。ひとりより、その方がいいだろ?」
ティノも拳を握りしめる。
「当然だ!アルスの大事な人は、俺たちの仲間でもあるからな!」
その言葉が、少しだけ胸の重さを軽くしてくれた。
◆◆◆
昼休みのあと、僕たちは全員で医務室へ向かった。
途中、廊下の端で壁にもたれかかっているザンの姿を見つける。
彼は僕たちを見ると、ゆっくりと体を起こした。
「……アドマイヤ。医務室に行くんだろう?」
「うん。マリーヌのところに」
「俺も行く。話は少し聞いた」
その声はいつもの棘だらけの調子ではなく、
どこか落ち着いていた。
カイルが眉を上げる。
「お、ザンも来るのか。珍しいな」
「勘違いするな。気になるだけだ」
そう言いながら、ザンは僕たちの後ろについてきた。
誰も、それを拒む者はいなかった。
◆◆◆
医務室の扉をノックすると、中から静かな声が返ってきた。
「どうぞ」
中に入ると、ベッドがいくつか並ぶ一番奥で、
マリーヌが上半身を少し起こしていた。
まだ顔色は悪いが、目ははっきりと開いている。
「……アルス様」
僕の姿を見つけた途端、涙がにじんだ。
「マリーヌ……! 大丈夫なの?」
「はい……少し、ふらつきますが……
こうしてお姿を拝見できて、本当によかった……」
か細い声に胸が締め付けられる。
「ごめん……僕のせいで――」
首を横に振るマリーヌの表情は、弱々しいながらも強かった。
「違います……アルス様のせいではありません……
わたし、アルス様をお守りするためにここへ来たのですから……」
それでも、謝らずにはいられなかった。
「……それでも、怪我させてしまったことは事実だよ」
黙って聞いていたセレナがそっと口を開く。
「マリーヌ。無理をさせるつもりはないけれど……
覚えている範囲で、何があったのか聞かせてくれる?」
マリーヌは小さく息を整え、ゆっくりと話し始めた。
「……わたし、アルス様の様子が心配で……
寮の方へ向かう途中でした。
その時、不自然な気配を感じたのです。
風もないのに揺れる影のような……冷たい……」
言葉を選ぶように、マリーヌは眉を寄せる。
「気配のする方へ向かうと……
黒い布をまとった人物が、学園の塀を越えて入ってくるところでした。
顔はフードで隠れていましたが……あれは、間違いなく刺客です」
「声とか、背格好とかは?」
ティノが身を乗り出すが、マリーヌは首を振る。
「背は……アルス様と同じか少し高いくらい。
でも、性別や年齢までは……
問いただそうと一歩近づいた瞬間、
わたしに向かって“魔力の刃”が飛んできました」
マリーヌの包帯が巻かれた腕に、じくりと痛みが走ったようだ。
「とても鋭くて……反応が一瞬遅れて……この有様です。
ですが、一番忘れられないのは――」
そこで、彼女は震え声になった。
「――“匂い”です」
「匂い?」
カイルがごくりと唾を飲む。
「どんな匂いだった?」
「……死体の匂いです。
生きている者の匂いではありません。
血が滞り、腐っていくような……
わたしは獣人ですから、間違えるはずがありません」
医務室の空気が一気に冷えた気がした。
死体の匂い。
アンデッドか、それに近い“何か”。
セレナの瞳が細くなる。
「結界をすり抜けて、そんな存在が学園に入ってこれるなんて……」
ヴァイスが静かに続ける。
「普通ならあり得ない。
少なくとも、正面からではない。
内部から“招き入れられた”か、
あるいは結界に穴を開けた者がいる……」
マリーヌはそこまで話すと、息を荒くして目を閉じた。
「これ以上は、まだ……申し訳ありません……」
セレナがそっと彼女の手を握る。
「いいの。もう十分よ。
あとはゆっくり休んで、体を治して」
「……はい……アルス様……本当に……ご無事で……」
マリーヌはそれだけ言うと、再び深い眠りに落ちた。
◆◆◆
医務室の外に出ると、誰もすぐには口を開かなかった。
重い沈黙を破ったのは、ヴァイスだ。
「“死体の匂い”……
少なくとも、生身の人間ではないね。
アンデッド、もしくは強い“死霊系の魔法”をまとった存在」
ザンも腕を組んだまま、低く言う。
「だが、学園には結界が張ってある。
そんなもの、普通は近づいた時点で弾かれるはずだ」
「だからこそ問題なのよ」
セレナは短く息を吐いた。
「結界の内側から誘導されたか、
あるいは結界そのものを部分的に弱めた誰かがいる。
“内部犯”の可能性を、考えざるを得ないわ」
カイルが顔をしかめる。
「ってことは、学園の誰かが敵ってことかよ……
先生か、生徒か、職員か……」
「決めつけるには早いけど、
少なくとも“学園の外だけが敵”ってわけじゃなさそうね」
ティノは拳をぎゅっと握りしめた。
「ふざけんなよ……。
アルスだけじゃなくて、関係ない人まで巻き込むとか……」
視線が自然と僕に集まる。
責める視線ではない。
支えようとする、まっすぐな目。
ヴァイスが僕を見据えた。
「アルス。
恐れるのは当然だ。狙われているのは君だから。
でも――“ひとりで恐れる”必要はない」
ザンも続ける。
「そうだ。
前にも言ったが、お前はもう“ひとりで戦う”立場じゃない。
普通になりたいなら、普通のように仲間を頼れ」
胸の奥が熱くなり、
視界が少しだけ滲んだ。
「……ありがとう。みんな」
その瞬間、廊下の奥から足音が響いた。
「お、ここにいたか。全員揃っているな」
顔を上げると、一人の教師が小走りで近づいてきた。
額には汗が浮かび、いつになく慌ただしい様子だ。
「アルス・アドマイヤ君、それと――
セレナ・フレイア君、ヴァイス・ミストレイ君、ザン・バレスト君。
四名は至急、学園長室へ来るようにとのことだ」
一瞬で空気が緊張に飲み込まれた。
「学園長室……?」
僕が問い返すと、教師は真剣な面持ちで頷いた。
「今回の一件について、直接話があるそうだ。
他の者は寮で待機してほしいとのことだ」
カイルとティノが同時に「えっ」と声を漏らす。
「お、俺たちはダメなのか……?」
「くそ、なんか仲間外れ感……!」
「後でちゃんと話すから」
僕がそう言うと、ふたりは不満そうにしながらも頷いた。
「絶対だかんな!変なことひとりで背負ったらぶっとばすからな!」
「そうだぞ!全部話せよ!いいな!」
「……うん。約束する」
背中に仲間の視線を感じながら、
僕はセレナ、ヴァイス、ザンと共に学園長室へ向かって歩き出した。
足は不思議と震えていない。
怖くないわけじゃない。
むしろ、先が見えないほど怖い。
それでも――
(もう、ひとりで立っているわけじゃない)
そう思えるだけで、
世界の見え方が少しだけ変わっていた。
学園長室の扉が、静かに目の前に迫ってくる。




