5. 夏期講習
パパはいつも通り、日曜日の一番遅い便で札幌へ戻っていった。多分パパは疲れていると思う。でもギリギリまで家族の時間を大切にしてくれているのだろう。その背中を見送ったあと、私もようやく腰を上げた。今週の中頃から塾の夏期講習が始まる。気持ちを切り替えて、テキストを開く。
――目指せ白楓、絶対白楓!
自分を鼓舞して勉強を頑張る。夏期講習が始まると復習もしないといけないから、何日か分まとめて予習した。
そして――夏期講習初日を迎えた。
「紬、久しぶり~!はい、お土産。」
塾に着くと、紬がすでに席に座っていた。
「あ、これ北海道土産の定番のクッキーじゃん。さんくす!で、北海道はどうだった?」
「じゃじゃーん。ものまねの"ひめのりぼん"ちゃんと写真を撮ってもらいました。」
そう言って、紬に写真を見せると、紬が目を大きく見開いた。
「え、ほんとに!?お店にいたの?」
「そうそう、ジンギスカン食べに行ったらいたの。」
紬にはパパのことは言わなかった。紬は"現金"な性格だ。パパがテレビ局のプロデューサーだなんて言ったら、何を頼まれるか分からない。この場合、沈黙は金だ。――悪い子じゃないんだけどね。
「引きが強いわね。前もあかね、ほら、誰だっけ?アイドルの子と撮った写真見せてくれたことあったじゃん。」
そんなことあったっけ。よく覚えてないけど、紬が言うなら事実だろう。
「そういう星のもとに生まれているのよ、きっと。」
とりあえずそう言って、ごまかすことにした。そんな話をしていると、教室の扉が開いて和田くんと早乙女さんが入ってきた。
「あの二人、ほんとビジュいいよね!」
「そうだね。」
ビジュねえ。紬は顔しか見ていないのか。
ふと顔を上げると、早乙女さんと目が合った。なぜか胸の奥がざわついて、私は視線をそらした。そっと耳を澄ますと、早乙女さんと和田くんの会話はなんだか全然噛み合っていない。サッカー部の和田くんとダンス部の早乙女さん――意外と共通の話題がないのかも。そういえば、早乙女さんが和田くんのこと身勝手だってこぼしてたな。
「いいなあ。私もあんなかっこいい彼氏ほしい。」
私もみんなが『かわいい』というから、早乙女さんのことを『かわいい』と思っていた。和田くんのこともそうだ。みんなが『かっこいい』というから、『かっこいい』と思っていた。他人が下した評価に、いつの間にか自分の中の『かわいい』や『かっこいい』が乗っ取られているような気がした。
「ねえ紬、和田くんってかっこいいのかな?」
「え、何いってんのあかね?みんなかっこいいって言っているし、和田くんのこと好きだっていう子もたくさんいるよ。ファンクラブだってあるじゃん。」
「紬自身は、本当に"かっこいい"と思う?」
「え?かっこいいじゃん。だって、みんなも言ってるし……。」
もしかして紬は、『かわいい』や『かっこいい』の評価だけじゃなくて、『好き』だという感情も周りに流されているのかな?
「――うーん。私は紬と違って、もっと自分の中の『好き』を大事にしたいかな。」
そう言って思わず、自分の『好き』や『カワイイ』を大事にしている高倉くんの横顔が脳裏に浮かんだ。
「どうした、あかね?今日ちょっとおかしいよ。北海道行って変な風邪でも、もらってきたんじゃない?」
――ビィーーーー!
すべてをかき消すように、学校のチャイムとは違うベルが鳴った。背筋を伸ばして顔を上げる。夏期講習が始まる。




