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ブラインド☆ラブ  作者: 秋山リョウ
第1話「奪われた未来」
3/7

第2章「栄光に潜む影」

 蓮が高校に入学する2年と少し前のこと。

夏の強い日差しが降り注ぐ日曜日、中学1年の蓮はサッカー部のエースストライカーとしてピッチを駆け回っていた。


「蓮!頼んだ!!」


チームメイトのパスを受けた蓮は、素早く反応しボールをキープ。相手ディフェンスを巧みにかわしていく。


「まかせろ!」


勢いよく放たれたシュートがゴールネットを揺らす。キーパーは一歩も動けなかった。


「よっしゃああ!!」


歓声が沸き起こる。仲間たちは駆け寄り、保護者や応援に来ていた生徒たちもスタンドで盛り上がっていた。


「ナイスゴールだぜ、蓮!」


「おう!」


仲間とタッチを交わす蓮。女子からも人気のある蓮は応援席から黄色い声援を浴びる。しかし、その声援に負けじと聞き慣れた元気な声が響いた。


「れーーん!かっこよかったよーー!」


――ひなた、だ。


思い切り手を振って叫んでいる彼女を見て、蓮は思わず視線を逸らす。


「おい、藤島さんが呼んでるぞ?返事しろって!」


「い、いいよ……あいつ、うざいから……」


赤くなった頬を隠すように下を向く。


「照れてんじゃん!このゴール決めたら“付き合って”とか言えよ!」


「ば、バカやろ!言えるかそんなこと!あんなブス興味ねぇし!」


「え~?じゃあ俺が告ろうかな~?藤島さん、タイプだし?」


「……は!?ふざけんな!ぶっとばすぞ!」


「お前、むきになってんじゃん!やっぱ好きなんだろ~?」


「う、うるせぇっ!もう、行くぞ!!」


一方その頃、無視されたひなたは唇を尖らせていた。


「もうっ……返事くらいしなさいよっ!それになんなのあいつら!蓮のことなんも知らないくせに!」


応援席で応援している女子を睨む。しかし、そんな怒りも楽しそうにチームメイトと話している蓮を見ていると自然と頬が緩む。


「……なに話してるんだろ?でも、楽しそう……」


そこへ、誰かが声をかけてきた。


「おつかれ、ひなた。……なにニヤニヤしてるのよ?」


「さ、彩綾!?べ、べつにっ!!」


慌てて顔を赤らめるひなた。彩綾の隣には、白杖を持った弟・暁斗の姿があった。


「あ、弟くんもこんにちは!ひなただよ!」


見えない暁斗に配慮し、ちゃんと名前を名乗るひなたに、暁斗はにこっと笑った。


「ひなたお姉ちゃん!こんにちは!」


「暁斗、ここ段差だから気をつけて。抱っこしようか?」


「いいってー。もう、お姉ちゃん、心配しすぎ!」


「ご、ごめん……でも、暁斗に何かあったら、私……」


いつもはクールな彩綾も、弟の前では過保護なお姉ちゃんだ。


「あはは、確かに彩綾は心配しすぎだって!」


その冗談に彩綾がひなたをギロリと睨む。


「ひっ!?……う、うそうそ、冗談だってば!」


3人は並んで座る。ひなたは心の中で感心していた。


(すごいな……彩綾。私なら、目が見えない人のサポートなんて、とてもできないよ……)


彩綾は弟の隣に腰を下ろしても、常に暁斗に気を配っていた。


「暁斗、暑くない?ジュース買ってこようか?」


「え!いいの?ありがとうお姉ちゃん!」


「じゃあ、私ちょっと離れるね?なにかあったら、ひなたに言うのよ?」


「うん!よろしくね、ひなたお姉ちゃん!」


「うん、まかせて!」


だがその直後、彩綾は真顔でひなたに告げる。


「……わかってるわよね?暁斗に何かあったら、許さないわよ?」


鬼の形相。


「わ、わかってるってば!もー、過保護なんだから……!」


「こらっ!お姉ちゃん、ひなたお姉ちゃん怖がってるでしょ!お姉ちゃんはジュース買ってきて!」


「あっ、ご、ごめんね!すぐ行ってくるからっ!」


彩綾は叱られた子犬のようにしゅんとし、そそくさと売店へ走っていった。


「ごめんね?ひなたお姉ちゃん。」


「ううん、全然平気!彩綾が弟くん大好きなこと、私、よく知ってるから。」


「えへへ、ありがとう!」


「え?なにが?」


「お姉ちゃんと仲良くしてくれて!」


目が見えない暁斗は顔を向けて話すが、視線はどこにも合っていない。それでも、まっすぐな気持ちは伝わってきた。


「あはは、当たり前じゃん!彩綾は親友なんだから!」


「ねぇねぇ、今どっちが勝ってるの!?蓮兄ちゃんは?」


「えっとね、こっちが勝ってるよ!蓮、すっごくかっこよかったんだから!」


ひなたは不慣れながらも試合の様子をできるだけ詳しく伝える。ふと、また蓮が前線へ走っていく姿を見つけた。


「あっ、蓮だよ!」


暁斗は立ち上がり、全身で叫んだ。


「蓮兄ちゃん、がんばれーー!!」


蓮が声に気づいて振り返る。


「あ、暁斗。来てたんだな……やっぱ、声出さねぇとな。」


蓮は軽く手を振って応えた。


「応援、頼むぜー!暁斗ー!」


それを見たひなたは、またぷくっと頬をふくらませる。


「なによ、私は無視するくせに……!」


視線の先には蓮しかみえなかった。夏の午後の太陽に照らされ、ピッチを走り回る彼は誰よりもかがやいていた。


「かっこいいよ。蓮。」


ひなたはぽつりとつぶやく。


「ひなたお姉ちゃん?」


「あ、ごめんごめん!なんでもないよ!応援しよっか!」


「うん!がんばれー!」


暁斗の大きな声はどこまでも届きそうだった。



試合も大詰め、夕日が差し込むピッチでは、なおも選手たちが汗を流していた。


試合終了を告げるホイッスルが鳴り響く。


名門校のスカウトも見守る中、蓮のゴールラッシュにより、試合は見事な勝利で幕を閉じた。


試合後、ピッチには保護者や応援に来ていた生徒たちも降りてきて、選手たちを祝福していた。


その中に、ひなたの姿もあった。


彼女の足はまっすぐに、ベンチで仲間と談笑する蓮のもとへ向かっていた。


「みんな! おつかれさま!」


天使のような笑顔で声をかけるひなた。


「お、藤島さん。応援ありがとね!」


「ううん。少しでも力になれたなら、それで十分!」


その瞬間、蓮はそろそろとその場を離れようとした。


「蓮? どこ行くの?」


声は笑顔をまとっていたが、微かに怒気をはらんでいた。


「はは、おれらは邪魔だな」


「だな。お二人さん、ごゆっくり~」


ニヤニヤしながらその場を離れていく仲間たち。


「お、おい! 待てってば!」


逃げようとする蓮の襟元を、ひなたが素早く掴んだ。


「待つのは、あんたでしょ!」


「うぇっ!? ごほ、ごほっ……な、なんなんだよ……」


「頑張ってたね。すごくかっこよかったよ」


「……あー、まあ。ありがと」


蓮は照れ隠しのように目を逸らした。


「でもさ。私のこと、無視したでしょ?」


蓮が肩をすくめて小さくため息をつく。


「あのな……あんなでかい声で呼ばれたら、恥ずかしいだろ。バカ」


「はあ!? 今バカって言った!? 彩綾の弟くんには返事してたくせに!」


「暁斗は……あれで喜ぶし、まあ……いいんだよ」


そう言いながら、蓮はそっぽを向いて立ち上がる。


「おれ、片付けあるから行くわ」


「ちょっと! まだ私が話してる途中でしょうが!」


その声に足を止める蓮。


彼は振り返らず、ぽつりと呟く。


「……髪、切っただろ」


「……え?」


突然の言葉に、ひなたは驚きで立ち尽くす。


「気づいてくれたの……?」


「ま、まあな。前はもっと長かったし」


「そっか……ありがと」


夕焼けが赤く空を染める中、二人の頬もうっすらと赤らんでいた。


「そ、そのほうが……に、似合ってる……」


「……あ、ありがと……」


「気をつけて、帰れよ!」


蓮は背を向け、早足でその場を去っていった。振り返ることは、一度もなかった。




胸の奥が、あたたかくて、少しだけくすぐったい。


「……バカ。そういう優しい言葉は、目を見て言うんだよ。ほんと、バカ……」


ひなたは微笑んだ。

けれどその瞳には、そっと涙がにじんでいた。





片付けと反省会を終えた蓮が帰り道を歩くころには、辺りはもう暗くなっていた。


仲間たちと他愛もない話をしながら、笑い声が夜の静けさに溶けていく。


「しっかし、やっぱ蓮はすげぇよな! 一人で点とりまくりじゃん!」


「別に一人じゃねーし。みんなのパスあってのゴールだから」


「かっこつけんなよ、このやろう!」


笑い声が響く。

そんな何気ない時間が、蓮にとっては一番幸せだった。


ふと、蓮がぽつりとつぶやく。


「なあ……最近、暗くね?」


「は? 誰が?」


「人じゃなくて。帰り道がさ。なんか……ぼやけるっていうか」


「そうか? いつも通りだけどな」


「……そっか。俺だけか」


「今日は大活躍だったし、疲れてるんだろ。ゆっくり休めよ」


「じゃあな。俺らはこっちだからなー!」


「……ああ。じゃあな」


蓮は小さく手を振り、ひとり夜道を歩いていった。


街灯の光が、妙に滲んで見える気がした。

それが“ただの疲れ”ではないことに、彼はまだ気づいていなかった。




蓮は、うっすらとした見えづらさを感じながらも、特に気にすることもなく、ゆっくり歩みを進めていた。


信号の光が少し滲んで見える。

看板の文字も、以前よりにじむように感じる。

――けれど、それでも家はすぐそこだった。


蓮の家は、どこにでもあるごく普通の一軒家。

会社員の両親と、三人で暮らしている。

その隣にあるのが、藤島ひなたの家だ。やはり、ごく普通の家庭。二階の窓に、柔らかな灯りがともっていた。


「……よかった。ちゃんと帰れたんだな」


そう呟いて、蓮は静かに玄関のドアを開ける。


「ただいま」


「おかえりー」


「おかえり、蓮。夕飯できてるわよ。さ、みんなで食べましょ」


リビングから母と父の声が聞こえる。蓮はこの温かい家が、家族が大好きだった。

蓮は洗面所で手を洗い、口をゆすぐと、いつもの席へとついた。


「いただきます」


いつも通りの夕飯、そして、ささやかな家族の会話が始まる。


「今日の試合見に行けなくてごめんな。父さんも母さんも急な仕事でな。しかし、また活躍したんだってな。スカウトから電話が何本か来てたぞ。なあ、母さん」


「そうよ。ぜひうちに、って……蓮、行きたい高校は決まってるの?」


「いや……まだ。練習きつくないとこがいいなーってくらい」


「蓮らしいね。でもさ、もし遠くの高校に進んで、寮に入るってなったら……この家も、ちょっとさびしくなるかもなあ」


「やだわ、お父さん。でも、ひなたちゃんのほうが寂しがるかもよ?」


その瞬間、蓮は味噌汁を噴き出した。


「ぶっ!?げほっ、ごほっ!!」


「あらあら、もう……」


「ははは。蓮のことだ。きっと、ひなたちゃんと何かしら“けじめ”つけるだろ。なんなら連れてっちゃえばいいじゃないか」


「もう、お父さんったら!」


いつも通りの、家族の笑い声がリビングに響く。

その温もりのなかで、蓮は一度、顔を上げた――


「……って、あれ?」


ふいに、笑いながら目を向けた両親の顔が、ぼやけていた。

輪郭が、にじむように――まるで夢の中のように。


(……おかしいな)


一瞬、動揺が走る。


さっきから……こんなに見えづらかったか?


「どうしたの?」


母の声が、少しだけ心配そうに問いかけてくる。


「……あ、いや。なんでもない」


「そう? ならいいけど」


蓮は笑ってごまかす。

この温かい時間を止めたくなかった。

優しい両親を悲しませたくなかった。

笑った――つもりだった。


だが、その違和感は、確かにそこにあった。


それはまだ、ほんの小さなひずみ。

本人でさえ、きちんと向き合っていない。

両親もまた、気づいていないわけではない。けれど――


「まさか、うちの子が」

「まさか、自分が」


そうやって、心のどこかで“見なかったこと”にしていたのかもしれない。


病の気配は、もう静かに――確かに、蓮に近づいていた。


忍び寄る“病”の影に気づかぬまま、違和感を抱えていた蓮とその家族。

しかしその裏側で、隣の家では――まるでそんなこととは無縁のように、ひなたは陽気に電話をしていた。


ピンクを基調とした、女の子らしい部屋。

ふわふわのクッション、整然と並べられたぬいぐるみ。甘い香りがほんのりと漂う空間。

勉強机には開きっぱなしのワークブック、シャーペンと消しゴムは無造作に転がったまま。

そんな中で、ひなたはスマホ片手に彩綾と通話しながら、椅子をくねくね揺らしていた。


スマホの向こうから、彩綾の落ち着いた声が響く。


「へぇ〜。髪型似合うって言われたんだ。よかったじゃない」


「えへへ〜! でしょ〜〜?彩綾にも聞いてほしかったよー!」


ひなたはクッションを抱きしめながら、満面の笑みで椅子を左右に動かす。


「ごめんね。暁斗がねむっちゃったから。でも、切るの迷ってたもんね。似合わなかったらどうしようって、ずっと言ってたし」


「でも彩綾のおかげだよ〜。こっそり蓮がショート好きって、リサーチしてくれたから!」


「自分で聞けばいいと思ったけど?」


「それはだめっ! 私が聞いて切ったってバレたら、露骨じゃん!」


「もう十分露骨に見えてるけどね、私には」


「う〜〜っ……」


頬を真っ赤にしながら、ひなたは口を尖らせる。

そしてふと思いついたように声を潜める。


「ねぇねぇ……次はさ、どんな服装が好きか、聞いてみてよ。露出が多い方が好き、とか……さ」


「それを思春期男子に聞けって? 変態だと思われるの私よ?」


「お、お願い!! 一生のお願いっ!!」


「おめでとう。これで“ひなたの一生のお願い”、通算50回突破ね。記念すべき安売り人生だわ」


「うぐっ……こ、これはほんとの“本気の一生”だから!」


彩綾がため息交じりに笑う。


「もう告白しちゃえば?」


「む、無理だよ……一回ふられてるし……」


「……それ、幼稚園の時の話でしょ?」


「な、なんで知ってるのよ!」


「ひなたが自分ではなしたんでしょ?あんたが100悪い話。」


◆ 回想:4歳のふたり


ひなたと蓮は、幼稚園の園庭にいた。

蓮は熱心に泥団子を磨いていた。そこへ歩み寄るひなた。


「ねぇ、れん……」


「どうしたの、ひなた?」


「わたちと……けっこんちて!」


「え〜、やだ」


「な、なんでよぉ!!」


「だってよくわかんないもん。あ、見て!ピカピカ!」


「う、ぐすっ……うわぁぁん! れんのバカー!!」


号泣するひなたに先生が駆け寄る。


「ひなたちゃん!? どうしたの?」


「れんが……れんがぁぁ!!」


ひなたが涙目で蓮を指さす中――

蓮は全く動じず、泥団子をニコニコ磨いていた。


「あー、はいはい。またプロポーズして断られたのね。よしよし」


先生は慣れた様子でひなたを抱き上げる。


「そうだ、れんくん。サッカーしたいって子が向こうで待ってるわよ?」


「ほんと!? やるやるー! 先生、これ持ってて!」


そう言って蓮は泥団子を先生に託すと、走っていった。


ひなたは、先生の腕の中で、しばらく泣き続けていた――。


◆ 回想終わり


「……わ、私、悪くないもん!」


「悪いとこしか見つからないけどね。プロポーズだし、いきなり結婚とか言われても、4歳の藍沢くんには難しすぎるわよ。それに何回もしたんでしょ?ほんと、昔からバカね。」

「うぅ〜、バカって言わないでよ……」


むくれるひなた。


「ま、でも幼稚園の話なんて無効でしょ。のんびりしてると、藍沢くん取られちゃうかもよ?」


「と、とられる!? ま、まさか〜……あんな冴えないやつが……?」


「本気で言ってる? クラスでも10人くらい、彼に好意持ってるっぽいよ。学年だと……50人? 学校全体だと、もっとかも」


「う、うそでしょ!? 本当なの!?」


「私のリサーチによればね。まあ、ライバルは多いわよ?」


「うう……自信ないよぉ……」


「ひなたのペースでいいんじゃない? 別に無理に急がなくても」


「せ、せめてもうちょっと時間ちょうだい! 年明けには告白用の台本、完成させるから!」


「……台本って……ほんと、ひなたって面白いわ」


「だって、大事なセリフなんだもん!」


そのとき、リビングから母の声が飛んできた。


「ひなたー? 勉強してるのー?」


「や、やばっ!! 彩綾ごめん、また明日っ!」


「はいはい、がんばってね〜」


通話を切ると、ひなたは慌てて机に向かう。


「はーい! してまーすっ!」


声を張り上げつつ、開いたワークブックに視線を落とす。

……が、文字は全く頭に入ってこなかった。


「……蓮、また明日もたくさん話そ?」


そうつぶやくと、自然と目が蓮の家――あかりのついた隣の窓を見つめていた。


“だって、隣にいるんだから。きっと明日も会えるよね。”


次の日も、また次の日も、蓮は目の違和感を抱えたまま日常を過ごしていた。

ひなたも、蓮への想いを心にしまい、変わらぬ笑顔で日々を過ごしていた。



蓮自身も、最初こそ気にしていた目の異常を、次第に「大したことない」と思い込むようになっていた。

だが、日常を破壊しようと、一歩、また一歩と悪魔が歩みを進めていた。


季節は移り変わり、寒さが肌を刺す1月のある朝――


蓮は家族といつものように朝食を囲んでいた。だがその日、蓮は手元にあるはずのコップを倒してしまう。


「わっ!」


「蓮!? 大丈夫!? 気づかなかったの?」


「……うん、見えなかった……」


「どうした蓮、最近ぼーっとしてるな」


「……ごめん。気をつける」

両親は蓮の異変に疑問をもつが、深くは追求しなかった。


「じゃあ、いってきます。」


蓮は玄関のドアにてをかける


「蓮?今日は私1日休みだから、無理しなくていいからね?」


確証はないが、なにかを抱える息子に声をかける母


「大丈夫だよ。ありがとう。いってきます。」


なによりも心配をかけたくなかった。蓮は家をいつも通りにでる。


水をこぼした。今まであんなことなかったのに。そんな朝の出来事があった後、通学路でひなたが声をかけてきた。


「おはよっ、蓮!」


駆け寄る彼女に、蓮は一瞬、反応が遅れる。


「えっと、ひなた……だよな?」


「は? 何言ってんの、私だよ?」


「……だよな」


「なんか最近の蓮、変だよ。反応も遅いし――って、赤っ!赤信号っ!」


横断歩道を渡ろうとする蓮を、ひなたがとっさに腕を引いて止める。


「ちょっと! なに考えてるの!? バカなの!?」


「……ご、ごめん」


しゅんとする蓮。その表情に、ひなたは違和感を覚える。


「ねぇ、蓮……?」


「あ、なに?」


蓮の瞳は、まるで焦点が合っていないようだった。


(……この目、どこかで……彩綾の弟くんと、同じ……?)

胸騒ぎを覚えながらも、ひなたは「そんなはずない」と思い直す。



ここ最近、学校でも、蓮の様子は明らかにおかしかった。


クラスメイトの挨拶にも反応が鈍く、ときには「誰?」と聞き返す。

下駄箱では、他人の場所に自分の靴を入れそうになり、授業中には黒板に向かう途中で机にぶつかる。

渡されたチョークは掴めずに何度も空を切り、書いた字も異様に大きい。

別の授業では、ノートの内容が板書と食い違っていて教師に叱られた。


最初は笑っていたクラスメイトたちも、次第に「藍沢、変じゃない?」と囁くようになる。


そしてサッカー。

名門高校からスカウトが来ていたエースストライカーの蓮は、今やボールを見失い、空振りを連発。

試合に出られず、ベンチを温める日々。かつて苦楽をともにした仲間たちも、今では距離を置いていた。


「くそっ……なんで、なんでうまくいかないんだ……」


唇をかむ蓮。三学期が始まってから、一度も部活には顔を出していなかった。



そして、悲劇の一日が訪れる。


6時間目、国語。蓮が朗読の指名を受ける。


「じゃあ、藍沢。ここ、読んで」


「は、はい……!」


教科書に視線を落とした瞬間――


「……あれ?」


今までなら見えていたページが、真っ白に見えた。いや、真っ白とも違う。字はある。でも、どこも歯抜けになっている。漢字が歪んで字の体をなしていなかった。


(白い……? 文字が……どこ……?)


読み始めようとするが、行を飛ばし、漢字が読めない。

ひらがなすら曖昧だった。


「はぁ?」


教師の一言で、教室は爆笑に包まれる。


「もういい、座れ」


「す、すみません……」


その笑いの中で、ひなたと彩綾だけが笑っていなかった。



放課後の教室。


「ねぇ、彩綾……やっぱり蓮、おかしいよ」


ひなたが心配そうに話しかける。


「そうね、ちょっと……おかしいかもね」


「帰り、一緒に帰ったほうがいいかな……」


「部活あるでしょ?」


「う、うん……でも、心配で……ちょっと前も赤信号も飛び出しそうになってたし。あと、あの目が……」


「大丈夫。暁斗とは違うわ。ただの疲れよ。安心して、部活に行きなさい」


「……うん、わかった」


そのときの彩綾の瞳には、確信にも似た冷静な光が宿っていた。



蓮は、国語の一件でクラスメイトにからかわれていた。


「いや〜、今日の朗読、マジで笑ったって!」


「眠気も吹っ飛んだわ〜!」


「最近おかしかったけど、あんな笑わせ方あるとはな、卑怯だぜ。」


「ごめんごめん、みんな眠いと思ってさ……」


ぎこちない笑顔の蓮。その瞳は、笑っていなかった。


「藍沢くん、ちょっといい?」


「ん? 美上、か……?」


「そうよ。ちょっと、来て」


告白かまわりから冷やかされるも、それを無視して、彩綾は蓮の手をつかみ、理科室に引っ張っていく。



彩綾は扉を閉め、蓮の正面に立つ。


「……なんだよ、美上。こんなとこまで連れてきてまた変な事する気じゃないだろうな。」


「あのことは忘れてって言ったでしょ?」


「じゃあ、なんだよ。」


「藍沢くん、単刀直入に聞くわ。」


その瞳は、まっすぐだった。


「――目、見えてないでしょ?」


「……な、何言ってんだよ。見えてるって」


「じゃあこの指、何本?」


彩綾が、蓮の目の前に三本の指を立てる。


「……に、二本……?」


「今。スカートめくってるんだけど――私の下着の色、何色?」


「――はっ!? な、なに言ってんだよ!」


蓮は慌てて目をそらす。顔が赤くなるのが自分でもわかった。


「嘘よ。でも、やっぱりね。見えてたら、そんな反応にはならないはず」


「……っ」


ごまかしきれなかった。言葉も、息も詰まる。


「今日、病院に行きなさい。手遅れになる前に」


「……だ、大丈夫だって。べつに……」


「いいから」


その一言で、彩綾は蓮の手をぐっと引いた。



彼女の手に引かれながら、蓮は足を運ぶ。

まるで世界から切り離されたような感覚だった。


傍から見れば、気の強い彼女が彼氏をぐいぐい引っ張っているように見えるかもしれない。

しかも、その彼女が学校1の美少女“美上彩綾”なら、なおさら周囲の視線を集めるだろう。


信号待ち。赤信号の下で、蓮がぽつりと口を開いた。


「……なぁ、美上」


「なに?」


「……一人で病院行っちゃ、ダメか?」


「ダメに決まってるでしょ。ご両親にも、ちゃんと伝えるべき」


「俺……本当に、見えなくなるのか……? 暁斗みたいに」


彩綾は少しだけ目を伏せた。


「……私にはわからないわ。でも、最悪の事態も考えておいたほうがいいかも。」


その言葉に、蓮の足取りがにわかに重くなる。無意識に呼吸が浅くなった。


「進むわよ」


彩綾は迷わず蓮の手を握り直した。慣れた力加減だった。


「ひなたには……黙っててあげる」


「え……?」


「だから安心して。今は、自分のことだけ考えなさい」


その一言で――ほんの一瞬だけ。

蓮の心が、ふっと軽くなった気がした。



彩綾の導きで、蓮はなんとか家へと戻ってきた。

玄関のドアを開ける彩綾。蓮はおそるおそる声を発する。


「た、ただいま……」


その声には、かすかな震えがあった。

すると、奥から母の声が返ってくる。


「おかえり――あら? 彩綾ちゃん? 久しぶりね! いらっしゃい!」


母のいつも通りの明るさが、蓮の胸を刺す。


(これから、きっと迷惑をかける。どれだけ、この“普通”を壊すことになるのか)


「お久しぶりです。あの、少し……お話があります」


彩綾は落ち着いた声で、学校での蓮の様子を語った。

母は驚きに目を見開きながらも、彩綾の話に真剣に耳を傾けた。全盲の弟を持つ彩綾の言葉には説得力があった。


すべてを理解したわけじゃない。けれど母は、静かにうなずき、そして言った。


「……病院、行きましょう」


そのまま、母が車を出す。彩綾を家まで送り届け、蓮と病院へ。


車内は静かだった。ラジオも、雑音もない。


ただ、信号待ちのとき、母がぽつりとつぶやいた。


「蓮、寒くない?」


「……うん」


その声だけで、少しだけ、安心できた。



検査が終わり、診察室に入る。


眼科医がデータを確認し、無言のまま機器を片づける。

やがて顔を上げ、ゆっくりと話し始めた。


「――大変、申し上げにくいのですが」


室内の空気が張りつめる。


「……失明寸前です」


「……え」


一瞬にして、すべてが遠ざかっていった。


音が、光が、空気さえも。

そして蓮の“今”が――そこで、止まった。


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