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【第94話】 『涙と汗と、あふれた想い』

 真夏の空は、まるで巨大な釜のように、

 俺たちをじりじりと焼き続けていた。


 今日は、体育祭の予行練習。


 グラウンドに立つだけで、

 汗が噴き出してくる。


 シャツもハチマキも、あっという間にぐっしょり濡れた。

 地面から立ち上る熱気が、容赦なく足元から這い上がってくる。


 それでも俺たちは、必死に走った。

 声を上げて、応援して、競技に挑んだ。


 そんななか──


 リレーの予行演習が終わった直後だった。


 みずきが、静かに、膝をついた。


「……っく……」


 顔を伏せ、肩を震わせながら、

 地面に手をついている。


 俺は慌てて駆け寄った。


「みずき、大丈夫か!?」


 声をかけると、みずきは顔を上げた。


 その瞳には、汗じゃない、

 はっきりとした涙が滲んでいた。


「……っ……ちが……大丈夫……だから……」


 そう言いながらも、声は震えていた。


 みずきの汗まみれのシャツは、

 ところどころ、涙のしみでさらに濡れていた。


 それを見て。


 俺は、何も言わず、ただそっと隣にしゃがんだ。


 無理に立たせようともしなかった。

 無理に慰めようともしなかった。


 ただ、そこにいた。


 黙って、みずきの隣に。


 グラウンドの土の熱気が、

 じわじわと膝に伝わってくる。


 セミの声が、遠くで喧しく鳴いている。


 みずきは、しばらく、震えながら、泣いていた。


 やがて、ぽつりと呟いた。


「……悔しかったんだ。」


「え?」


「バトン、……上手く渡せなくてさ。

 みんな、頑張ってるのに、

 あたしだけ、失敗して。……情けなくて。」


 声は、しゃくりあげながら、途切れ途切れだった。


「でも……それだけじゃ、ないんだ……」


 みずきは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「悔しくて、苦しくて、……でも、

 そんなあたしを、誰かに、見ててほしかったんだ。」


「こんな、カッコ悪いとこ。

 誰にも見せたくなかったはずなのに……

 ……白井には、見てほしかった。」


 俺の胸に、ぐさりと何かが突き刺さった。


 みずきは、拳をぎゅっと握りしめながら、続けた。


「好きな人にだけは、……全部、見てほしいって思っちゃったんだよ。」


「汗でぐちゃぐちゃでも、

 涙でぐしゃぐしゃでも、

 失敗して、情けなくても。」


「そんなあたしを、見て、

 ……それでも、好きだって、言ってほしかった。」


 ──こんなにも、

 こんなにも、まっすぐな想いを、

 俺は、受け止めきれるだろうか。


 頭のなかで、何度も自問した。


 でも、迷う必要なんて、最初からなかった。


 俺は、静かに手を伸ばした。


 みずきの、涙と汗でぐしゃぐしゃになったシャツの肩に、

 そっと、触れた。


 そして、何も言わずに、ぎゅっと、抱きしめた。


 汗の匂いがした。

 涙の塩辛い匂いがした。

 でも、それが、嫌だなんて、微塵も思わなかった。


 むしろ。


 愛おしかった。


「みずき。」


 俺は、彼女の耳元で、静かに囁いた。


「全部、見たよ。」


「失敗して、泣いて、ぐしゃぐしゃになってるみずきも。」


「それでも──すっごく、かっこよかった。」


 みずきの体が、びくりと震えた。


 そして、しがみつくように、俺の背中に腕を回した。


「……バカ。」


「バカ、バカ……」


 震える声で、繰り返しながら、

 でも、みずきの指先は、

 確かに俺の背中を掴んでいた。


 グラウンドの真ん中で。

 汗と涙にまみれた二人の影が、

 西日に伸びて、重なった。


 誰も笑わなかった。

 誰も馬鹿にしなかった。


 体育祭の予行演習でできた汗じみも、

 涙のしみも。


 全部、青春だった。


 全部、恋だった。


 ──そして。


 その夜。


 俺たちは、干されたシャツを眺めながら、

 誰にも言えない、秘密の約束を交わした。


 汗だくで、涙だらけで、ぐちゃぐちゃでも。


 全部、好きになる。


 全部、受け止める。


 それが──俺たちの、恋の形だった。

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