【第81話】 『干された靴下が、誰よりも恋を語ってた』
──朝。
ベランダに並んだ、七足の靴下たち。
昨日の雨が嘘みたいに晴れた空の下、
布たちは、静かに、でも確かに、風に揺れていた。
ことりの、
みずきの、
レナの、
つばさの、
しおりの、
セシリアの、
くるみの。
みんなの、誰かを想った日々の欠片たち。
それぞれ色も、素材も、少しずつ違う。
けれど、全部の布から――
微かに、でも確かに、“誰かを想っていた”匂いがした。
柔軟剤だけじゃない。
汗だけでもない。
皮膚の温度や、布に染みた呼吸。
そして、何より。
そこに触れていた誰かの、心の熱。
それが、確かに、漂っていた。
俺――白井悠真は、ベランダに立ち尽くしていた。
一枚一枚の靴下を、そっと見上げながら。
「……この布はさ。足元のくせに、やけにまっすぐなんだよな……」
ぼそっと、独り言みたいに呟く。
恋愛なんて、普通、もっと複雑で、こじれてて、\nわかりにくいものだと思ってた。
でも。
今、目の前で揺れているこれらは。
何も言わず、ただ、まっすぐだった。
「好き」とか、
「そばにいたい」とか、
「わかってほしい」とか。
そんな言葉より、ずっと先に。
この布たちは、温度で、匂いで、伝えてきた。
まるで、\n心そのものを、むき出しにしているみたいに。
「……布に触れるって、心に触れることなんだな……」
自分でも驚くくらい、自然に出た言葉だった。
そのとき。
隣にいたくるみが、そっと微笑んだ。
「白井くん、やっぱり気づいてたんですね。」
「え?」
「“好き”って言葉より、匂いの方が信じられるときがあるんです。」
くるみは、ベランダに並んだ布たちを見つめながら、ゆっくり言った。
「言葉って、嘘をつけるでしょ? でも……体から滲む匂いは、隠せないから。」
「……」
「好きな人のそばにいると、ほんの少しだけ、香りが甘くなるんです。」
「悲しいときは、ちょっとだけ酸っぱくなる。」
「それに……」
くるみは、微笑んだまま、目を伏せた。
「……好きな人に気づいてほしいって思ったときは、布がいちばんいい匂いになるんです。」
悠真は、息を呑んだ。
(じゃあ……この布たちも……)
視線を上げる。
白地に淡いレースが編まれた靴下。
星柄メッシュ。
黒金のボクサー型。
抗菌仕様の繊維。
ハイレグカットのスポーティな靴下。
赤いリボンがついたレース。
そして、控えめなラベンダーの香りを纏った一足。
全部、全部。
俺に向けて、干されたんだ。
誰にも言えなかった想いが、
誰にも気づかれたくなかった温度が、
そっと、この布たちに込められていたんだ。
「……あったかいな。」
自然と、そんな言葉が漏れた。
ベランダに揺れる靴下たちは、何も語らない。
けれど、
何より雄弁に、恋を語っていた。
しおりが、そっと呟く。
「……干されて、恥ずかしかったけど。うれしかった。」
みずきが、頬を掻きながら笑う。
「なんかさ……あたし、自分の汗の匂いとか気にしてたけど、\n白井が真面目に干してくれるから、逆に自信持てた、かも。」
レナが、そっぽを向きながら小さく呟く。
「べ、別に……あたしの匂いなんて、大したことねーけど……\nでも……干されたの、悪くなかった、かもな……」
セシリアが、ふふっと微笑んだ。
「恋は、香りから始まるって言うもの。文化よ、これは。」
つばさが、珍しく微笑みながら言った。
「科学的にも、恋愛感情は嗅覚に大きく影響を受けるってデータがあります。\n……でも、今日のこれだけは、理屈じゃないと思う。」
そして、ことりが、胸の前で小さな拳を握りしめて言った。
「……この靴下たちは、みんな、悠真くんに……\n見てほしかった、触れてほしかった、気づいてほしかった……そんな気持ち、なんだと思う……!」
俺は、ただ、うなずくしかなかった。
太陽の下。
恋が、\n布になって、風に揺れていた。
こんなにも、\nまっすぐで、
こんなにも、\n素直で、
こんなにも、\n愛おしい。
たかが靴下。
されど靴下。
この布たちこそが、
きっと俺たちの青春そのものだった。
──今日も、ベランダには。
恋の匂いを纏った布たちが、静かに、優しく、揺れていた。