【第79話】 『見られたくないけど、干してほしい布』
放課後の体育館裏。
バスケ部が使った後のコートには、まだ微かな熱気が残っていた。
俺――白井悠真は、片付けの手伝いでモップをかけながら、ふと気配を感じた。
「ん?」
体育座りしているレナが、タオルで額を拭っていた。
ジャージの裾を少し上げ、白い靴下を脱いでいるところだった。
そのときだった。
「うわっ」
小さな悲鳴。
脱いだ靴下が、ツルリと滑って俺の足元に転がってきた。
思わず拾い上げる。
柔らかな綿混生地。
そして、ほのかに漂う――汗と皮脂と体温の混じり合った、生っぽい匂い。
それは、今日一日、彼女が懸命に動いた証だった。
だが。
「お、おい、それ渡せ!!!」
レナが、ものすごい勢いで跳ね起きた。
顔が、真っ赤だ。
耳まで染まっている。
「ご、ごめん、反射的に……!」
「い、いいから返せぇぇぇ!!!」
慌てて手渡すと、レナはそれを奪うように掴み、
必死にジャージのポケットへ突っ込んだ。
だが、その手元は震えていた。
「……見んな……バカ……」
声が、かすれていた。
怒っているはずなのに、どこか違った。
羞恥と、戸惑いと、何か別の、柔らかいものが混ざった声だった。
俺は、そっと目を逸らした。
それでも、指先に残る感触と、香りだけは、消えなかった。
汗ばんだ布地のぬくもり。
皮膚と密着していた柔らかな繊維。
生っぽい、けれど不快ではない――むしろ、愛おしい匂い。
(……これが、レナの、今日という一日か……)
そう思ったとたん、胸がぎゅっと締め付けられた。
夕方の風が吹き抜ける。
ジャージ越しに隠された彼女の足元が、ほんの少しだけ震えていた。
そしてその夜。
俺のベランダには、またひとつ、干された布が揺れていた。
レナがそっと、洗濯かごに自分の靴下を入れていったのだ。
無言で、目も合わせずに。
それはもう、儀式みたいだった。
「これ以上、干されてるの見られたら……死ぬ」
レナはそう呟いたけれど。
それでも、俺に託してくれた。
自分の“素”を、預けてくれた。
たかが靴下。
されど靴下。
それは、レナにとって、誰にも触れられたくなかった“生”の証だった。
俺は、そっと指先で布を整えた。
皺を伸ばして、やさしく、干した。
そして、思った。
(……ありがとう、レナ)
(預けてくれて、信じてくれて、嬉しかった)
ベランダには、柔らかな夜風が吹いていた。
そして、その風に乗って。
干された靴下たちが、
恋の匂いを、静かに広げていった。