【第78話】 『好きな人の靴下なら、臭くても……』
ベランダには今日も、いくつもの靴下が揺れていた。
風がふわりと吹き抜けるたびに、それぞれの布地がわずかに翻り、微かな香りを残す。
甘い柔軟剤の匂い、汗と混ざった皮膚の温もり、そしてほんのかすかな酸味。
どれもが、誰かの一日と、誰かの想いのかけらだった。
そんな中で、ふと、しおりがぽつりと呟いた。
「……好きな人の靴下なら、匂ってもいいって思っちゃうの、変?」
その一言に、教室の空気がぴんと張り詰めた。
ことりが、はっとしてしおりを見た。
みずきが、苦笑しながらも耳を赤らめた。
レナが、そっぽを向いた。
セシリアが、意味ありげに微笑んだ。
つばさが、メモを取る手を止めた。
くるみが、静かに頷いた。
誰も、否定しなかった。
しおりは、少しだけ笑った。
それは、自己嫌悪にも似た、寂しげな笑みだった。
「だって……靴下って、一番、素のままの部分じゃない?
一番汚れて、一番臭くなって、
それでも、誰にも見せないで、隠してるところ……」
悠真は、何も言えなかった。
しおりの言葉は、真っ直ぐに胸を突いた。
「だから……好きな人のなら……全部、受け入れたいって、思っちゃうの」
ことりが、ぎゅっとスカートの裾を握りしめた。
みずきが、拳をぎゅっと握った。
レナが、唇を噛んだ。
セシリアが、目を細めた。
つばさが、静かにペンを置いた。
くるみが、そっと目を閉じた。
誰もが、自分の中の“匂い”に向き合っていた。
悠真もまた、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じていた。
「……なんか……嬉しいのに、ちょっと背徳感あるぞ……」
心の中でそう呟いた。
この靴下たちは、ただの布じゃない。
それぞれの汗、体温、想い、日常、秘密。
全部が、染み込んでいる。
そして、たぶん。
この匂いを愛おしいと思うのは、
この“素のままの彼女たち”を、大切に思っているからだ。
汗ばんだ足も。
擦り切れた布も。
微かな酸味も。
全部、全部、彼女たちの一部だった。
そして、俺は――
その全部を、好きだと思ってしまった。
だから、今日も俺は。
そっと、靴下を干す。
乾くか乾かないかなんて、関係ない。
ただ、風に揺れるその布たちが、
少しでも、軽やかに、自由に、空を泳げるように。
そして、その匂いが。
少しでも、長く、俺の胸に残るように。
ベランダには今日も、靴下たちが揺れている。
それはきっと、
俺たちの恋の、始まりの合図だった。




