第74話 『その汗は、恋をしていた証だから』
午後の教室。
蝉の声が遠ざかり、風が窓を優しく叩いていた。
夏休み直前の終業式を終え、
制服姿のヒロインたちはそれぞれに、自分の夏服を畳んでいた。
机の上に広げられた、
ことりの白いブラウス。
みずきの短袖シャツ。
しおりのきっちりアイロンの効いた袖口。
レナがひと言、つぶやいた。
「……汗だくで走った日とかさ、今思うと、悪くなかったかもな」
つばさは制服の襟をまっすぐ整えながら言った。
「繊維の吸収率は、感情に比例するって、文献に……なくても、そう思います」
セシリアは自分の制服を撫でながら、目を閉じた。
「日本の夏、制服の布に込められる想い……
とても文化的だったわ。心が香るのよね、この布は」
ヒロインたちがそれぞれの“想い出の汗”を、
静かに畳んでいく中――
俺、白井悠真も自分の制服に手を伸ばした。
(夏の制服……いつの間にか、誰かの体温がずっと染み込んでた)
そう思いながら、シャツの袖をつかむ。
……そのときだった。
指に、ぬるりとした冷感が触れた。
一瞬だけ戸惑い、
もう一度その箇所をなぞってみる。
(……これ、濡れてる?)
汗か? いや、でも今日はまだ着てない。
誰かの? それも違う。
「それ……」
後ろから、くるみの声がした。
「たぶん、“これからの恋”の匂いです」
俺は、言葉が出なかった。
「恋って、過去じゃなくて、未来でもなくて……
“今この瞬間”にしか、汗を残せないんです」
「だから、その汗は――たぶん、あなた自身の恋なんだと思います」
シャツを胸元に近づけて、
そっと嗅いでみる。
そこには、確かにあった。
少し塩味の混じった、自分の匂い。
でも、どこか違う気がした。
それはきっと、
隣にいた誰かの声や、視線や、笑い声が――
俺の中で、体温になってしみ込んだものだった。
■悠真のモノローグ:
制服は汗に濡れる。
恋もまた、同じように滲んでいくんだな……。
いつかこの匂いが消える日が来ても、
今、ここにいた気持ちは……
このシャツが、ちゃんと覚えていてくれる気がする。
そして、夏服を畳み終えた瞬間――
ヒロインたちが、自然と俺のまわりに集まっていた。
誰も言葉にはしない。
けれど、確かに同じ気持ちだった。
「この夏、あの人に近づけた」
その証拠が、
手の中の制服に――まだ、うっすらと香っていた。