第72話 『汗が重なる夜、君の背中が近すぎて』
夜の帳が降りた頃、
空は遠くで雷を鳴らし、時折、窓がぼんやりと青く光った。
停電が発生して、もう三時間。
部屋は蒸し風呂のように熱気を帯びていて、
クーラーも扇風機も沈黙したままだ。
「なあ、さすがにもう無理じゃね?」
「汗が……止まらない……」
「うわ、背中びちゃびちゃになってる……」
誰が言うともなく、
俺の部屋の畳に布団を一列に並べる形になった。
つまり、今夜は――全員、同じ部屋で寝る。
ことり、みずき、レナ、つばさ、しおり、セシリア、くるみ。
七人の汗と呼吸と体温が、一つの空間に溶ける。
そして、どこかの隣に俺がいる。
「風がないだけで、こんなに……」
「……息するだけで暑いなんて、夏、反則じゃない?」
ことりの声が、隣の布団から微かに届く。
(……あ、やっぱりことりの隣か。いや、違うか?これ、誰の……)
目を開けても、月明かりしか差してこない。
布団の距離は近い。手を伸ばせば、隣の誰かに触れてしまう。
ふと、俺の腕に柔らかいものが触れた。
「あ……っ」
それは、汗ばんだ肩だった。
香りが、風もないのに流れ込んできた。
甘く、少し酸味のある香り。
夏の熱と混ざって、どこかくすぐったくて、
でも――心がきゅっと掴まれる。
「この汗……」
声がした。
すぐ隣から、囁くように。
「……“いま好き”って言ってる匂いです」
くるみの声だった。
彼女の指先が、俺の腕にそっと触れた。
「香りって、触れなくても伝わる。
でもいまは……触れてる。だから、もっとわかっちゃう」
「わたし、今日……いっぱい汗かいたの。
それ全部、君の近くにいたせいだよ」
俺は、息を飲んだ。
汗のせいじゃない。
蒸し暑さのせいでもない。
いまこの部屋が、一番危険なのは“距離感”だった。
そのとき、別の方向から寝返りの気配がする。
「……ねぇ、ちょっとだけ……近すぎない?」
「わ、わたしのとこに扇風機の風、来てないんだけどッ!!」
「悠真くん、誰の隣に寝てるの……!?」
布団の中がざわつき始めた。
(やばい、誰がどこにいるのかわからないまま、これは……!)
汗。呼吸。吐息。
ふと動いただけで、誰かと肌が触れてしまいそうな距離。
たぶんもう、“何か”が揺れている。
■悠真のモノローグ:
夏の夜は、いつもより感覚が鋭くなる。
光が少ないからこそ、匂いと音と、湿度が恋を語り出す。
今夜、俺は隣に誰がいるのか、まだ分からない。
でも――心臓が言ってる。
この汗は、俺にだけ向けられた、恋の温度だって。