第71話 『制服が濡れた理由──“汗じゃない”何か』
放課後、掃除の時間。
窓の外では、蝉の声が遠くぼんやりと鳴いていた。
教室の空気は、昼間の熱をまだ残していて、
モップをかける足音すら、じっとりとした湿気に包まれていた。
俺は、掃除当番で黒板消しをパンパンと叩いていた。
ふと背後に気配を感じ、振り返る。
そこには、モップを手に、少しだけ疲れた顔をしたしおりの姿。
彼女が教卓を拭こうとしゃがんだ瞬間、
袖が椅子の背にひっかかり、軽くよろめいた。
「――っと、ごめん」
反射的に、俺は彼女の肩を支えようと、
咄嗟に制服の袖口を掴んだ。
その時――
俺の指先に、**ひやりと冷たい“濡れ”**が触れた。
(……汗?いや……この感じ、ちがう)
湿り気の温度が、明らかに違った。
表面にじわっと広がるのではなく、
内側から、じんわり染み出してきたような……
「……これ……」
俺が困惑したように呟くと、
しおりは少しだけ顔を伏せた。
そして、ためらいながらも、ぽつりと――
「ちょっと……泣いたの」
その声は、とても静かで、
でも俺の胸の中にすっと入ってきた。
「今日、誰かが“あたしの布”ってわかってくれて……嬉しかった」
「でも……なんか、恥ずかしくて……」
「自分がこんなに、誰かに見られたくて震えてたってこと……自分で気づいちゃったから」
彼女の袖には、ほんのりとした塩の結晶の跡。
汗ではない、水の痕が、
制服という布の裏側に、静かに沁み込んでいた。
俺は、その布の端をそっと握り直して、微笑んだ。
「……ありがとう。
俺、その染み……ちょっとだけ、守らせてもらうよ」
「……え?」
「この濡れ、乾かすんじゃなくて――ちゃんと見届けたいって思った」
彼女は少しだけ目を丸くして、
次に――ほんの少し、笑った。
その笑顔もまた、
制服の裾に、もう一滴のしみを残した気がした。
■悠真のモノローグ:
俺たちは、日々の中でいろんなものをこぼしてる。
汗。涙。ときどき鼻水。
どれも、体から出るものだけど――
そこには、心の奥から滲んだものもあるんだ。
制服って、いつも着てるくせに、
その裏側には、こんなにもたくさんの“気持ち”が隠れてる。
そして俺は、今日その布を掴んで、初めて気づいた。
**布って、こんなに多くの感情を吸ってるんだな……**って。




