第70話 『誰がいちばん、匂ってる?──汗フェロモン測定会』
「この夏、いちばん香っているのは……誰ですか?」
静かな教室に、くるみの声が落ちた。
放課後。
カーテンを半分閉めた準備室の中、
教室の一角にはなぜか白い布が並べられていた。
その上に、7枚のハンカチ。
どれも今朝、各ヒロインが自らの“脇や首元の汗”を染み込ませたものである。
「それぞれの布には、今日の“自分の汗”が移してあります」
くるみは真顔だった。
「匂いは、嘘をつきません。
誰がいま、最も“恋に揺れているか”――香りで測りましょう」
「えええ!?」「ほんとにやんの!?」
「ムリムリムリムリ……って、なにこの準備のよさ!?」
ヒロインたちは戸惑いながらも、
妙に“負けたくない”という空気がじわじわと膨らんでいた。
まず、くるみが目を閉じて、ハンカチのひとつを手に取る。
鼻先に運び、ゆっくりと息を吸う。
長く、深く――まるで香水の調香師のように。
「これは……静かな甘さと、微かな緊張の香り。
朝の支度に時間をかけて、ちょっとだけ迷ったあとがある」
ことりがビクッと震えた。
「……えっ、それ、もしかして……わたし……?」
くるみは、ふわりと微笑んだ。
「恋に慣れてない、けど見られたい――そんな汗です」
二枚目。
「これは……シャープで爽やか、でも芯に火が通ってる。
汗というより、戦う女のフェロモン」
みずき「絶対あたしじゃんそれ!?ねえそれ!嬉しいけどなんか悔しい!!」
三枚目。
「繊維の抗菌剤が感じられるのに……
感情のほうが勝ってる。つまり、理屈で抑えたけど、胸の内は暴れてる」
つばさ「私の汗、抗菌に……負けてましたか……」
悠真「いや、つばさの汗、ちょっと……クセになるかも……」
「……っ!!」
耳まで真っ赤に染まった。
「次、俺がやってみてもいい?」
気づけば、俺も吸い寄せられるように布を手に取っていた。
緊張と好奇心と、ちょっとした背徳感。
でも、そこには確かに――誰かの“想い”が染みていた。
一枚。
「……あ、これ……セシリアだ。
香水がちょっと残ってるけど、汗と混じってて……逆にエロい」
「うふふ。香りって、“秘めた願望”を一番素直に映すのよ」
次の一枚。
「これは……あったかくて、安心感ある。
だけどどこか、“こっちを向いてほしい”って滲んでる……」
しおりが目を伏せたまま、
「……見られるの、そんなに嫌じゃない、って最近思えてきたの」と呟いた。
最後の一枚。
ふわりとした甘い匂いに、俺は不意に目を閉じる。
「……これは……好きって気持ちが、真っ直ぐに滲んでる」
「誰かに近づきたくて、でも近づけなくて、
だから匂いで伝えようとしてる……そんな香り」
くるみは黙って頷いた。
「それ、たぶん……私の布です」
教室の空気が、静かに湿っていた。
布越しに、彼女たちの“気持ちの温度”が伝わってくる。
嗅覚は、恋に一番近い感覚だった。
■悠真のモノローグ:
汗なんて、ただの排出物だと思ってた。
でも違ったんだ。
それは、“いま”の心拍、
“いま”の不安、
“いま”の恋心が、すべて染み出してる、その人の内側だった。
布に染みた汗を、
こうして吸い込んで初めて――俺は、誰かの中に触れた気がした。