第67話 『制服の下、汗が恋を滲ませる』
蝉が、死に物狂いで鳴いていた。
地面が溶けるような猛暑。
吐く息すらぬるくて、日陰ですら熱を帯びている。
俺――白井悠真は、額をぬぐいながら、地獄のような通学路を耐え抜いていた。
教室に入った瞬間、
その熱気がもう一つの密室地獄だと気づいたのは、椅子に腰を下ろした時だった。
「……あっつ……ってか、蒸っ……」
汗ばんだ制服の背中が、イスにじっとりと貼り付く。
けれど――俺の口から出たのは、違う感想だった。
「……あれ?なんか……匂う?」
その瞬間、前の席にいたことりが、びくりと肩を跳ねさせた。
「っ……そ、それ、私の座ってたとこ……!」
空気が、変わった。
教室の蒸し暑さではない。
もっとこう、恥ずかしさの熱が立ち上るような――そんな空気。
俺は慌てて椅子から腰を浮かせた。
「わ、悪い!いや、変な意味じゃなくて!なんか、こう……ほんのり、香った気がして……!」
「……っ、うぅ、やっぱり……残ってるんだ、汗……」
ことりは、顔を真っ赤にして俯いた。
その姿を見て、俺の中にひとつ、妙な感覚が走った。
椅子に残された温もり。
微かに立ち上る、甘くて酸っぱいような、けれどほんのり柔軟剤のような匂い。
それは、決して不快じゃなかった。
むしろ、なぜか――ドキドキしてしまった。
(なんだこれ……俺、今……)
(他人の汗なのに、なんでこんなに……)
「……ドキドキしてるんだ、俺……」
そう、無意識に口に出したとき、
今度はみずきが後ろから椅子の背を軽く叩いた。
「わかる。汗って、なんか“その人の内側”が出てる気、しない?」
彼女のブラウスは、ところどころ汗でくったりと貼り付いていて、
首筋に流れた一滴の汗が、きらりと光っていた。
「でも、男子がそれ感じちゃうのは……ちょっとヤバいんじゃない?」
みずきはニヤリと笑ったが、
その笑顔の裏に、ほんの少し“意識の湿度”が滲んでいた。
セシリアが、扇子で優雅にあおぎながら口を開いた。
「東洋の夏は、恋も香り立たせるのね。
汗って、“好きの分泌物”だと思うわ」
つばさは冷静に言った。
「汗腺の活動は、感情と連動しますからね。緊張、照れ、好意。
つまり汗は“恋の指紋”です」
くるみがぼそりとつぶやく。
「……あの匂い、今日のことりちゃんは……好きって、言ってたよね」
ことりが椅子に残した“香り”。
それは、俺の中に残ったまま、消えない。
■悠真のモノローグ:
汗って、ただの体液だと思ってた。
でも今日、俺は気づいてしまったんだ。
制服の下に、こんなにも彼女たちの想いが詰まってるってことに。
椅子に残った匂いで、
誰かの“好き”が伝わってしまうなんて――思いもしなかったんだ。
そして、ラスト。
ことりが、俺の方をちらりと見て、
頬を赤くしながら、ぽつりと呟いた。
「……じゃあ、今日の匂い……残ってて、よかった……のかな」
その瞬間、俺の心臓が跳ねた。
制服の下――そこにあるのは、ただの汗じゃない。
恋が、滲んでいた。




