第45話『風のない部屋で、心だけが揺れていた』
パチッ。
蛍光灯が一瞬だけ点滅し――
それきり、静かに、沈黙した。
「……うわ、マジか。電気、全部落ちたぞ」
俺――白井悠真は、部屋の中心で立ち尽くした。
周囲はわずかな自然光に照らされているだけ。
けれど、その薄明かりすら、どこかじっとりと湿って見えた。
台風の余波による停電。
冷蔵庫のモーター音も、除湿機の低音も、扇風機の回転音も消えた。
代わりに部屋の中に広がるのは――布と湿気と女の子の匂い。
ロープには、今日もパンツが吊るされている。
レース、メッシュ、紐、抗菌、ボクサー、コットン。
それぞれの布地が、風のない空間で、ただ“沈んで”いた。
空気は、動かない。
パンツは、揺れない。
香りは、拡がらない。
けれど、部屋の中心だけは――確かに“揺れていた”。
ことりは、少しだけ背を丸めて、パンツを見上げている。
くるみは、その隣で、何度か視線を合わせかけて、やめる。
ふたりのあいだには、気まずいわけではないが、近すぎる距離感の静寂があった。
ことり:「……でも、匂いが強く残るのって、恋に自信がある人、なんだよね……」
くるみ:「……そうかな。“自信”じゃなくて、“願いの強さ”かもしれないよ」
その囁きは、誰にも聞こえないように、でも吊るされたパンツたちには届いた気がした。
沈黙の部屋。
ムンとこもった布の香りと、わずかに混ざる湿った柔軟剤の残り香。
それは甘く、そして微かにくすんだ匂い。
まるで、好きな人の近くで息を止めてしまったような――そんな空気。
そのときだった。
「……よし……せめて、風だけでも……!」
俺は物置から乾電池式の扇風機を引っ張り出してきた。
手動でダイヤルを回し、ひたすら仰ぐ。
ひとつひとつのパンツに、丁寧に。
そっと、そっと。
「これが俺の……風力だああああ!!」
その瞬間、部屋に笑いが生まれる。
みずき:「文化祭より熱量あるの何!?」
レナ:「マジで職人だな、パンツへの向き合い方が」
セシリア:「その風、ぜひ私の紐パンにも――当てて♡」
つばさ:「この風速ならば……布地表面の乾燥率は、おそらく30%UPです」
だが、どんなに仰いでも、本物の風には敵わなかった。
空気は重く、風は拡がらず、布は揺れない。
香りは、膨らまず、空間に沈んだままだった。
そんな中、くるみがぽつりと呟いた。
「……ほんとに濡れてるのは、この中の誰かの恋心かもしれないね」
静寂が戻る。
ことり。
みずき。
レナ。
つばさ。
しおり。
セシリア。
全員の視線が、ロープに吊るされた布へと向けられていく。
ただの下着なのに、まるで“心そのもの”のように。
部屋の中には風がなかった。
でも、それでも――その瞬間だった。
吊るされたパンツの一枚が、ふわり、と揺れた。
誰も動いていなかった。
窓も閉まっていた。
俺の扇風機の風は、もう止まっていた。
けれど、その一枚だけが――
まるで**“誰かの気持ちが届いたかのように”**
ほんの少し、やさしく、波打った。
誰も声にしなかった。
でも、全員が確かに見た。
それが、誰のパンツだったのか。
それは、語られなかった。
けれど、確かに――想いが、動いた。
悠真のモノローグ
パンツが揺れるって、風だけじゃないんだな。
想いが重なれば、
声が届けば、
目に見えない“心の風”が、布を動かす。
今夜、揺れたのは布だけじゃない。
誰かの――恋心だったんだ。