第44話 『“干してほしい”って言えた日』
風が、変わっていた。
昨日までの空気は湿って重たく、
パンツも、心も、干せば干すほど“乾かない”ような日々だった。
けれど今日は――
朝から雲が切れ、
陽の光がゆっくり差し込み、
窓を開けると、風がほんの少し、頬を撫でていった。
ことりが、やってきたのは、昼過ぎだった。
小さな布袋を手に、少しうつむき加減で。
その表情には、ほんのかすかに、決意が宿っていた。
「……悠真くん」
「……うん?」
「……これ、干してくれる?」
差し出された袋の中に、
柔らかなピンク色のパンツがあった。
新品ではない。
けれど、明らかに彼女が“選んで持ってきた”パンツだった。
「……もう一度、ちゃんと選んでみたの。
昨日のこと、すっごく恥ずかしかったけど……
でも、悠真くんに干してもらったら、また、匂いが戻る気がして」
彼女の声は震えていたけれど、
その目は、しっかりと俺を見ていた。
布を手に取った瞬間、指先に伝わる、わずかな湿り。
それは、洗いたての水分か、それとも――
俺は、そっと鼻を近づけて確かめた。
柔軟剤の香りに混じって、微かに涙の塩気。
甘くて切なくて、
昨日までの“無臭”とは違う、
確かに“彼女の気持ち”がしみ込んだ匂いだった。
俺はゆっくりと頷き、
それを、ベランダのロープに吊るした。
風が吹いた。
パンツが揺れた。
それだけなのに――
室内にいた全員が、ふっと表情を変えたのがわかった。
セシリア:「……やわらかい匂い。今のことり、好きよ」
みずき:「……やるじゃん。パンツで泣かせにくるとか、卑怯」
しおり(ノートに記述):「揺れ幅7.3cm、湿度48%。恋、始動」
くるみ(小声):「あ、戻った……ことりちゃんの香り……」
俺は、そのパンツを見つめながら、
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような感覚に包まれていた。
ことりが、少しだけ俺に近づいて、ぽつりと呟いた。
「……乾かしてくれて、ありがとう」
その一言だけで――
涙が出そうになるくらい、嬉しかった。
悠真のモノローグ
パンツを干すって、
ただの作業じゃない。
誰かの想いを預かって、
風と陽にさらして、
少しずつ、軽くしてあげる行為なんだ。
ことりの香りが戻ったこの瞬間、
きっと俺の心も、少しだけ――乾いたんだと思う。




