第43話 『香りの消えたパンツと、告げられなかった恋』
その日の昼下がり、
俺の部屋の中では、いつも通りの“部屋干し会議”が行われていた。
レナがパンツのムレ具合を真顔で報告し、
みずきがメッシュ素材の通気性を猛プッシュし、
つばさが「湿度・心拍数・甘さ濃度」の相関図を提示し、
くるみは静かに、嗅いでいた。
いつものように、布一枚ずつに顔を近づけ、
目を細め、静かに鼻をすする。
それは、まるでパンツに“想いを聞き取っている”ような所作だった。
けれど――
その日、彼女の鼻が止まった。
ロープの端に吊るされた、淡いベージュのコットンパンツ。
ごくごく普通で、飾りも色もない、どこまでも“無難”なそれ。
くるみは、数秒鼻を近づけ、
小さく首を傾げた。
「……香りが、ない」
みずき:「え、干し忘れとかじゃないよね!?」
レナ:「洗剤入れすぎて“滅菌”されたとか……」
つばさ:「生地に香りを遮断する“ノイズキャンセル機能”が!?」
しおり:「そんなパンツはない」
くるみは小さく、けれどはっきりと告げた。
「無臭は、諦めの匂いだよ」
その場が、一瞬、静まり返った。
そして、小さく手を上げたのは――ことりだった。
いつもは控えめで、おずおずと意見する彼女が、
なぜかその時だけ、どこか自分から“名乗り出る”ように。
「……それ、わたしの、です」
彼女は、パンツと視線を合わせないまま言った。
「最近……パンツに、想いを込めるのがちょっと怖くなっちゃって……」
「くるみちゃんが、“香りには気持ちが出る”って言った日から……
変に意識しすぎて、逆に……なにも出せなくなっちゃって……」
誰も、言葉が出せなかった。
パンツ一枚に、そんな深い迷いが宿るなんて。
でもそれが、今の“彼女の恋心”そのものだった。
「……“好き”って気持ちに、自信が持てなかったの」
「もし、パンツが“濡れてる”って思われなかったら……
ちゃんと想えてないみたいで、いやで、こわくて……」
その声はかすれていた。
けれど――泣いてはいなかった。
代わりに、俺が動いた。
ゆっくりとその布を手に取り、
ロープから外して、掌で包む。
「……ことり」
「だったら俺が、もう一度“香り”を取り戻すよ」
全員がこちらを振り返った。
ことりは、ぽかんと目を見開いていた。
「洗って、干して、風に当てて――
そしたらきっと、また“お前らしい香り”になるよ」
「焦らなくていい。無臭だっていい。
けど俺は――そのパンツが、お前のものでよかったって思ってる」
しばしの沈黙。
そして、ことりが、そっと呟いた。
「……悠真くん。……ありがと……」
俺は布を抱えて、
外に――やっと晴れた風の中に、そっと踏み出した。
悠真のモノローグ
パンツって、乾くだけじゃ終わらない。
そこに宿るのは、気持ちが立ち上る瞬間の匂いだ。
無臭のパンツも。
諦めた想いも。
もう一度干せば――恋の香りに変わると、俺は信じてる。