第39話『秋雨、パンツ濡らす。乾かない心、揺れる夜』
その日から、空はずっと泣き続けていた。
雨が窓を叩き、
雲が沈み、
光のない空が、街をまるごと包み込んでいるようだった。
秋の長雨。
気温は低くないのに、部屋の空気は妙に冷たい。
けれどそれ以上に、じと……と肌に貼りつく湿気がすべてを重たくしていた。
窓ガラスには、何本もの雨の筋が伝い、
その向こうでは、灰色の空が、世界の輪郭を滲ませていた。
「……また今日も、部屋干しか」
俺――白井悠真は、静かに天井を仰ぎ、
その空間に張り巡らされたパンツ専用ロープを見つめた。
まるで洗濯物たちの神殿みたいな天井。
そこに、今日も6枚の布が、乾かぬまま並んでいた。
ことりの白レース。
レナの黒ボクサー。
みずきの星柄メッシュ。
つばさの抗菌・速乾仕様。
セシリアの赤紐パン。
しおりの黒ハイレグ。
吊るされたそれらが、まるで“湿った感情”そのもののように、
ロープの上で沈黙して揺れていた。
そして、部屋の空気に――
匂いが漂い始めていた。
清潔なはずの柔軟剤の香りは、もはや表面だけの仮面だった。
じんわりと、じわじわと、**「濡れた布の奥から滲み出す生乾き臭」**が、空気を侵食してゆく。
それは、甘さを帯びながらも、微かに酸味を含んだ――
言葉にできない、“経験者にしかわからない湿度の記憶”。
ことりが、遠慮がちに口を開いた。
「……ねぇ悠真くん。これ、昨日から干してるのに……まだ、ちょっと……ぬめってる気がするの……」
その声に合わせるように、
濡れたレースが、しっとりと風もない部屋で揺れる。
みずき:「いや、“ちょっと”じゃなくて“じっとり”だってば。
てかさ、私のパンツ……なんかこう、ほら……“発酵”してるような匂いしない!?」
レナ:「蒸れた。はっきり言う。あたしのは完全に蒸れた。
パンツと太ももが“溺れた恋人同士”みたいになってる。サイアク……」
「……これ以上の部屋干しは、**“心にもカビが生える”**ぞ……」
俺はそう呟いて、
恐る恐る、つばさの抗菌パンツへと手を伸ばした。
素材は高性能――
そのはずだったのに、俺の鼻が微かに訴えかけてくる。
「……あれ? つばさのやつ……うっすら、匂う……?」
つばさは目を見開いたまま、呆然とした。
「……信じられません……抗菌処理布が、生乾き臭に……敗北……!?」
部屋の中に広がるのは、
柔軟剤の香りと、汗の残り香、湿ったコットンの奥から立ち昇る、“生活の匂い”。
ヒロインたちの視線が、それぞれのパンツに落ちていた。
どの布も、濡れたまま――
言い換えれば、**「乾きたがらない恋心」**のようにも見えた。
「なんか……会話も湿っぽくなってきた気がするよな……」
俺がふとつぶやくと、ことりが返した。
「……うん。でも……それが、なんか……近い」
ほのか:「濡れてるパンツの横に、自分のも吊るしてると……恥ずかしいけど……
でも、“ここにいる”って感じがして、ちょっと……落ち着く……」
部屋の中心には、ロープとパンツたち。
その下に俺とヒロインたちが、ぽつりぽつりと座っていた。
濡れた布たちが、まるでみんなの気持ちを代弁しているようだった。
窓の外では、雨が止む気配もなく、
屋根を叩くリズムが、心臓の鼓動と重なっていた。
雨の音に合わせて、
パンツたちは――何も言わずに、静かに、重たく、揺れていた。
悠真のモノローグ
乾かない布が、こんなに恋を進めるとは思わなかった。
晴れた気持ちよりも、少し湿った心のほうが、
胸の奥に、ゆっくりと染みてくる。
生乾きの匂いでさえ、
誰かの“そばにいた証”のようで、俺は嫌いになれなかった。
この部屋には……“未完成な想い”が、似合っていた。
そのとき――
「……これ、“香り”が混ざってる……?」
俺は、ロープの中央に吊るされた一枚のパンツへと歩み寄った。
どれも見慣れた布たちの中で――
それだけが、**“知らない香り”**を放っていた。
柔らかいのに強い。
自然なのに、妙にくすぐる。
人工的でも芳香剤でもない。
人肌と、感情のしみが混ざり合ったような……そんな香り。
「……誰の、だ……?」
俺は目を細める。
それは、どのヒロインの布にも似ていなかった。
けれど――どこか、呼ばれているような気がした。
まだ出会っていない誰かの、**“香りの名刺”**のように。
そのパンツは、静かに、俺を待っていた。