第23話 『ベランダに揺れるパンツ、昨日のままの匂い』
朝日が差し込む。
セミの声は、まだ聞こえない。
体育祭の興奮が去った朝は、妙に静かで、すべてがゆっくりだった。
けれど、俺のアパートのベランダは――
妙ににぎやかだった。
「……なあ」
Tシャツ姿で麦茶を片手に、俺は自分の部屋のカーテンを開けて、外を見つめた。
そこに揺れていたのは、5枚のパンツ。
レースあり。メッシュあり。リボン付きもあれば、ボクサータイプまで。
サイズも素材も違うそれらは、**昨日の体育祭で使用された“記憶の布”**たちだ。
「ことりのは……白地に桜柄。やっぱ柔軟剤の香りが甘めなんだよな」
風にゆれるパンツが、かすかに匂いを放つ。
それは、柔軟剤の香りに混ざった、汗と、そしてほんのりとした……尿素系の残り香。
でも、不思議と嫌じゃない。むしろ――
「……これが、努力のしみってやつか……」
そんな謎の感動すら湧いてくる。
隣の水色パンツは、星柄がはっきりしている。
みずきのやつ。メッシュ素材の通気仕様。
「けど、意外と汗吸ってるな……っていうか、この貼りついた感、昨日の“ぺた音”再現できそうだな……」
その隣にある黒のボクサータイプは、ピシッと干されていた。
まるで所有者の性格を反映したかのように、整然としてる。
「……レナ、干し方も気にしてたもんな。“斜めにするな!”って」
薄紫のレースパンツは、どこか品がある。
でも、よく見ると、内もも部分にほんのり黄色いしみが。
「つばさ……昨日“観察対象”として履いてたって言ってたけど……完全に実験済みじゃねーか……」
最後は、ほのかのパンツ。
サテン地のピンクに、小さなリボン。
……その腰部分、まだ少しだけ、濡れていた。
見間違いじゃない。
おしっこ由来の、しみの残滓が、そこには確かにあった。
それでも――俺は、干すとき、思ったんだ。
(これが、恥ずかしいだけの“失敗”じゃないなら……
きっと、誇ってもいい青春の一部なんだ。)
ピンポーン。
インターホンが鳴いた。
ドアを開けると、そこには――
「お、おはよう……パンツ、取りに来た……」
ことりだった。
制服姿。けれど、なんとなく昨日の疲れが残っているようで。
頬はうっすら赤くて、視線はそわそわと足元に向いていた。
「えっと……私の、あの、干してもらってたやつ……」
「ああ、うん。ちゃんと乾いてたよ」
俺はタオルの上に丁寧に置いた“白地桜パンツ”を手渡す。
ことりはそれを受け取り、しばらく黙っていた。
「……昨日、ちょっとだけ……出ちゃってたかも、って思ってたけど」
「うん」
「……恥ずかしいよりも、なんか……“洗ってくれてありがとう”って、今、思ってる」
そっと、パンツを抱きしめるようにして、ことりは微笑んだ。
「……ねえ、白井くん」
「ん?」
「また……体育祭じゃなくても……干しに来ても、いい?」
俺は、一瞬だけ風に目を細めて、
パンツが揺れる空を見上げた。
「もちろん。いつでも、俺のベランダは開いてるから」
乾いたパンツと、まだ少し湿った気持ち。
その両方が、ゆっくりと、陽に照らされていく朝だった。




