第175話『この春、誰のために制服を着るのか』
クラス写真の撮影日が近づいてきた。
廊下に掲示されたスケジュール表には、赤字で大きく「クラス写真撮影」と書かれている。いつもは無頓着に通り過ぎる告知板に、今日はなぜかヒロインたちが集まっていた。
「……どこに並ぶか、決めておかないとね」
ことりが小さく呟く。その声は、普段の明るい笑顔に隠れていた揺れを含んでいた。
春服のブレザーはまだ新品の張りを残している。香り立つ柔軟剤の匂いが、すれ違うたびにほのかに鼻腔をくすぐった。春の風は温かいのに、制服の袖の内側だけは少しひんやりしていた。
その日の放課後。
「明日、撮影だな……」
悠真は窓際の席で呟いた。
ことり、しおり、みずき、くるみ、レナ、つばさ、小春、セシリア──全員がそれぞれの席で制服の襟元を直したり、髪を整えたりしている。
教室の空気が、いつもと違う。
「ねえ、誰の隣で撮るの?」
誰かがふざけて言った言葉に、空気が一瞬凍った。
「べ、別に……誰でもいいじゃん!」
「そ、そうだよ、並びなんてただの順番でしょ」
顔を赤らめながら、ヒロインたちは笑ってごまかした。けれどその笑顔の奥には、“ただの順番”じゃない気持ちが確かに潜んでいた。
夜、帰り道。
「悠真くん、明日……どこで撮る?」
ことりが勇気を振り絞ったような声で訊いてきた。
「別に、どこでもいいよ」
そう答えながら、心臓が小さく軋むのを悠真は感じた。嘘だ。本当は、誰の隣で写るかを考えていた。けれど、それを言ってしまったら、今の関係が変わってしまう気がして怖かった。
「そっか……うん」
ことりは微笑んだが、ほんの一瞬、その目が曇ったのを悠真は見逃さなかった。
夜、自室で制服をハンガーにかけながら、悠真は思う。
この制服は誰のために着ているのだろう。
ただ学校へ通うためだけの布切れだったはずの制服は、いつの間にか誰かの視線を意識し、誰かの笑顔を想像しながら袖を通すものに変わっていた。
撮影当日の朝。
ヒロインたちはそれぞれ、念入りに髪を整え、襟元のリボンを直し合う姿を見せていた。ことりは髪を少しだけ巻き、しおりはヘアピンで前髪を留め、みずきは制服のポケットを何度も確認していた。
くるみが笑う。
「服って不思議だね。着るだけで、好きな人に見てほしくなるんだもん」
セシリアも微笑みながら同意する。
「でも、それでいいのよ。誰かに見せるためにおしゃれをするのは、文化の本質だから」
その言葉に、全員が小さく笑ったが、それぞれの胸の奥で何かが疼いていた。
校庭に並ぶクラスメートたち。
「はい、並んで、背の順ねー!」
担任の先生が声を張る中、ヒロインたちは小さな声で相談しながら立ち位置を変える。
「ねぇ、ここでいい?」
「うん、でももうちょっとこっち来てよ」
その笑顔の奥で、それぞれが誰の隣で写るかを必死に意識していた。
悠真はその姿を見つめながら、深呼吸を一つした。
「俺……ちゃんと、選ばなきゃいけないんだよな」
シャッターが切られる瞬間。
悠真は隣にいる誰かの香りを確かに感じた。柔軟剤の匂い、春風の匂い、微かな汗とシャンプーが混じった匂い。
それは“誰か”の香りでありながら、“全員”の香りでもあった。
“この制服は誰のために着るのか”
その問いの答えはまだ出せないまま、けれど、その問いを抱えたまま前を向こうと思った。
撮影が終わったあと、ことりが言った。
「ねえ悠真くん……私ね、この制服、悠真くんに見てほしくて着てるんだよ」
しおりも小さく笑いながら言った。
「わたしも……そうかもしれない」
そして、他のヒロインたちもそれぞれの言葉で、自分の想いを少しずつ口にした。
悠真は全員を見渡して、深く息を吐く。
「……ありがとう。俺も、ちゃんと考えるよ。誰のために、この制服を着てるのか」
それは小さな約束だったが、ヒロインたちの目がほんの少し潤むのを悠真は見た。
その日、春の風が吹き抜ける校庭に、カメラのシャッター音が響き渡った。
制服は“ただの布”ではなく、“想いを託す布”になっていた。
恋はまだ始まりの途中であり、けれど確かに、制服を通じて“誰かを好きになった証”を形に残す瞬間になっていた。




