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 結局、惹かれて(引かれて?)、ここまで来てしまった。あるいは呼ばれたというべきか?

 あの後、さらに一枚の断片を手に入れた。瞬間、風向きが変わり、それが舞い戻ってきたのだ。

 先の三枚を読み進むうち立ち止まっていた。その姿を、道行く通行人たちが、どこか怪訝な表情を浮かべて盗み見ていたような気がする。紫のチラシみたいな紙を持ち、立ち止まる人影。たしかにそれは、日常人が見なれた光景ではなかったかもしれない。そして、そのときはまだ、こちらにも外界に対する意識があった。当惑感にすっぽり包まれていたとはいいながら……。

 源蔵さん、とは、あの源蔵爺さんのことなのだろうか?

 野仲源蔵爺さんは畳屋で、子供の頃住んでいた家の近くに小さな店を構えていた。店といっても、見た目は普通の、それもかなり旧い感じの木造で、木枠のガラス戸で戸締りされる八畳ほどの作業場が狭い裏路地に面していた。昔の実家ウチとは、いまはもう廃止された路線バスの通りを挟んだ南側の向かいにあり、小さい頃は、ときどき熱心にその手の動きを観察したものだ。針を刺し、肘をつき、それを抜く。針を刺し、肘をつき、それを抜く…… 夏の暑いときには、そこに汗を拭う動作が入る。時折、歯も使っていたような憶えがある。大きなゆらぎを持つ、そのリズミカルな動きに連れて、だんだんと畳が貼り変えられていく光景が、子供心に面白かったのだろう。その場面だけ、はっきりした形の記憶があった。向こうが憶えていたかどうかはわからないが……

 野仲源蔵という名前を知ったのは葬式のときだ。

 葬式に行った記憶はないから、母か祖母に聞いたのだろう。父か祖父だったかもしれない。別に悲しい思いは味わなかった。子供心に惹かれていたあの手の動きと、それを行う人間との間に繋がりを見出せなかったためかもしれない。

 だがいまは、あの顔が脳裡に浮かぶ。作業中は怖い顔をしていた、という記憶もある。

 そして、紫の手紙に抜き書きされた源蔵さんがその源蔵さんなら、その源蔵さんが酔い覚ましに通った団地とはあの団地なのだ!

 最後に手に入れた四枚目――ただし連続ではない――の手紙の文中にも、その名称があった。

 団地には小学校時代の友だちが住んでいて、よく遊びに行った。自転車を憶えたてで、子供にはちょうどよい距離だったからだ。斜めに丸いコンクリートの低い塀に囲まれた、砂場と雲梯とジャングルジムと鉄棒とブランコと滑り台があった遊び場とそのまわりで、もっぱら鬼ごっこをしていた。源蔵さんが語った道の見当はすぐにはつかないが、きっと『きゃあ、きゃあ』と喚き立てながら、走り抜けたこともあるだろう。夏には蝉の声がした。遊びの熱中から『ふっ』と覚めたときには、大通りの向こうを走る電車の音も、たしかに聞こえていた。

 地下鉄と電車を乗り継いで、現在の自宅からでも一時間ほどの距離に団地はあった。が、すぐに行ってみようとは思わなかった。土曜日はおろか、日曜日まで出勤しなければならないほど忙しかったこともある。それでも、行く気になれば行けたのだ。できれば訪れたいものだ、と気にかけてはいた。が、どこか躊躇する気持ちもあった。

 きっと怖かったのだろう!

 それに、あれが出るなら夜だからだ。

 昔の知り合いや景色の思い出に浸りたいわけではなかった。

 仮面のピエロに惹かれていたのだ。

 そしてその先、さらに数週間、時が流れた。

 しかし、風の色が完全に移り変わったこの夜、ついにここまで引かれてきてしまった。


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