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「朽ちてゆくもの。……最初に見たときは、そう思いましたね。いや既に朽ちて、腐ってしまったものとでも…… でも、だからなんでしょうかね。生きた肉の感じはしませんでしたよ」

 源蔵さんは、そんな風にいったような気がします。いつもあなたが聞いている口調でです。

 源蔵さんは、思い返すと特徴のない人といえますね。初年、というより老年ですか、背丈もその歳にしては高いのかもしれませんが、人中に出ると、やっぱり目立ちませんから…… それでも、ホラ、あなたも知っているように、誰かが話している最中に時折『ほおっ』といった感じで、どこか人を惹き込むような合いの手を入れるといった聞き手術を心得ていましたね。もっとも、それは考えようによっては、その人を知る聞き手の幻想なのかもしれませんが…… とすると、特徴のない、という舌足らずな表現こそ、その為人を顕著に表しているのかもしれません。

 でも、それは今夏の話には関係ありません。

 ………………

「道化師でした。姿はね。いや、道化師といっても、いまの人たちには通じないかな? ほら、あのピエロと呼ばれる奴ですよ。サーカスにつきものの。顔に奇妙な、それでいてきちんと彩りが確立された化粧をしている。化粧の種類は何種類もあります。

 少なくとも遠目には、そう見えました。

 でもあれは、本来はクラウンというらしいですな。ピエロというのは、白塗りですから…… 元元フランスの無言劇の道化役のことで、昔パリにいたとき、何の劇だったかなぁ、ポンピドウ劇場で、一度だけ見たことがありますよ。

 あれあれ、困ったような顔をしていますね。混乱させてしまって、申し訳ない」

 そこで、源蔵さんは『ずずずっ』とお茶を啜りました。ええ、いい忘れましたが、そのとき二人は喫茶店にいたんです。お茶は、そこのウェイトレスさんが運んできてくれたものでした。美人なのに、何が面白くないのか、渋面を浮かべたウェイトレスさんでした。でも不思議なことに、愛想が悪かったわけではないんです。お茶は、熱い昆布茶でした。それを飲んでいる源蔵さんの姿が、いま思うと印象的でしたね。

 そして、お茶を飲み終わって、軽く咳払いしてから、源蔵さんは話を続けました。

「夜中でした。少々飲み過ぎましてね。あたしン家は電車の駅からは近いんですが、それでも、ま、五、六分くらいはかかるんですよ。酔い覚ましには、よく歩きましてね。ええ、仰るとおり、隣の駅からです。

 都心、というより都市郊外なんですかねぇ。……江戸時代の感覚でいえば、当然田舎ですよ、あたしが住んでいるところは。でも、いわゆる田舎と違うのは、鉄道の駅と駅との間隔が一キロ程度ということですかね。歩いてもせいぜい二十分余り。だから、酔い覚ましにはちょうどよかったんです。

 夜の十二時はまわってました。ま、たいして遅い時間ってわけじゃありません。でも、その辺りは人通りが少なくてね、めっきり寂しくなるんですよ、町が。街灯も、あんまり沢山立っていなくて…… しかも、何本かは壊されている。いったいどうやったのか不思議ですよ。ランプの部分だけきれいに割られているんですから。勢い余った若い連中の仕業なんでしょうかね。それも一本じゃなくて、何本もですよ。目を閉じると、義理にも地味とはいい難い服装をした若者たちが、するすると鉄パイプに登っていく姿が浮かびますわ。もっとも、実際に見たわけじゃありませんが…… あ、すいません。また話が逸れてしまいました。

 そうやって、隣駅からしばらく歩くと、団地があるんです。いわゆる公団住宅。それも、昭和三十年代の終わりから高度成長期に差しかかる四十年代の初めに建てられたような旧いタイプの。もう大昔の最新型ですね。畳が『畳』じゃなくて『帖』――捕り物帖のチョウの字を当てるやつ――です。狭い畳のハシリの団地で、幾棟も集合して建っていて、中庭は、いまから思えば広かったんでしょうな。一軒借家が軒を並べていた時代には、そんな風には感じませんでしたがねぇ。

 その団地を抜けると近道になったんです。家に帰るための。わり方よくそこを通りましたね。昼にはあまり行きませんでしたが…… 寄合いで集まって酒を飲んだ帰りには、よく通りましたよ。さっきもいいましたが、あの辺りの団地はもう老人ばっかり住んでいて、夜が早いんです。窓の明かりも、すっかり真っ暗。ぽつぽつと灯る寂しい街灯に浮かんだ夜の道を、いつものように歩いていました。

 そしたら、いたんですよ!

 ピエロが……。

 団地の中庭に立ってました。

 もちろん、詳しく確認したわけじゃないから、事実がどうだったのかまでわかりません。が、あたしの記憶じゃ、他に仲間とかはいませんでしたね。ひとりだったんです。

 きれいな顔をしていました。女が立っているのかと思いましたよ。もちろん昔の立ちんぼうとは違います。丈はけっこうあったんです。でも、事実女だったかもしれません。けっこう派手な衣装を着ていたんで、その後ふっと衣装の方に気がいってしまったんです。で、顔に目を戻すと、仮面でした。おそらく、間違いなく。むろん、ピエロの化粧はしていましたよ。でも白過ぎたんです。菱形に隈取られた目、そこに奈落を見たような気がしましてね。白との対比。もちろん、丸い赤い鼻なんかは付けていませんでした。

 そのとき、ふうっと思い出したんです。あたしの爺さまのいってた話を。

 日露戦争の頃、どういう触れ込みか、ロシアからサーカス団、というか曲馬団、が来て興業をしていったというんですよ。時勢の上からは、どうだったんでしょうかねぇ。昔の山師が仕掛けたものなのか、事実外国の興行師が連れてきたものなのか、それとも実は体格の洋風な日本人だったのかはわかりません。爺さまだって、実際に見に行ったわけじゃないんです。

 ただ噂では、その曲馬団の団員たちはすべて仮面をしていた、というんですね。

 あたしの、子供の時の記憶が、その後読んだ本か何かで歪んでしまったんじゃなけりゃ、それが


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