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人魚の嘘  作者: 須田konbu


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第5話 ジゼルの記憶



 ジゼルは、取り戻した記憶を思い返していた。

 遠い日の光景が、脳裏に鮮明に蘇る。


 ジゼルには幼なじみの少年がいた。

 彼の名前はジャン。

 

 褐色の髪と日に焼けた健康的な肌は、彼の父親によく似ている。

 ジゼルとジャンの家は、どちらも漁を生業にしていた。同業で親同士の仲が良かったこともあり、二人は物心つく前からいつも共に遊んで暮らしていた。



 それは、ある日のことであった。


 

 二人がいつものように遊んでいると、突然、地響きのような音がして大地が大きく揺れた。


 その揺れは遥かに長い時間のように感じられ、幼いジゼルとジャンはただ身を寄せあって耐えることで精一杯であった。


 その日二人は、街を見渡せる丘の上にいた。


 そのとき、二人の家族はどこにいたのか分からない。大きな揺れの後、ジャンはこの場で家族が迎えに来るのを待つべきだと言った。

 建物は崩れ、街は混乱に包まれているかもしれない。やみくもに動き回っては危険だと、ジャンは幼いながらに理解していた。


 しかしジゼルは、家族の元へ行きたいと駄々をこねた。ジゼルは不安で仕方がなかった。

 家族がどこかで怪我をしているかもしれない、無事ではないかもしれない、そう思うといてもたっても居られなかった。


 結局は、ジャンがジゼルの気持ちを汲み、二人は海辺の街にあるそれぞれの家へ向かうことにした。



 その頃の二人は無知であった。


 

 大きな地震の後に、街を襲うさらに大きな災害のことなど、頭の片隅にもなかった。


 

 丘を下った少し先にあるジゼルの家に着くと、家は一部崩れてはいたものの何とか形を保っていた。

 しかし、家の中には母の姿も、父の姿も見当たらなかった。


 きっと船の様子を見に行ったんだ、とジゼルは思った。引き留めようとするジャンの手を振りほどいて、ジゼルは港に向かって一心不乱に走った。


 

 昔、父が言っていた。

 大きな揺れの後は、船を沖に逃がさなきゃいけないって。でも、あれ、それはどうしてだっけ。


 

 その答えは、気がついた時にはジゼルの目前に迫っていた。


 大きな波。


 それが街を、人を、全て飲み込んでいくのが見えた。


 そこから先のジゼルの記憶は朧げだ。


 ただ、冷たくて暗い水の中で、誰かが私を抱きしめた、その温もりだけを覚えている。



 そして再び目を覚ますと、ジゼルは人魚の姿になっていた。人間であったことも、街の記憶も、全てを忘れて。

 波が攫った街の残骸である、ガラクタだらけの海で暮らす人魚の一人になっていたのだ。



 そして、ジゼルは悟った。


 ……()が、助けてくれたということを。




 ジゼルは閉じていた瞼を開けて、目の前のジャンを見つめる。


 記憶の中の幼い姿から成長した青年のジャンは、それでもあの頃と変わらない懐かしい面影を残していた。


 二人が離れていた時間は長くとも、二人の心の距離はあの頃と同じだった。


 ジゼルは、ジャンに語りかける。



「ジャン、全部思い出したよ。私の魔法を解いてくれてありがとう」



 ジゼルと縁の深いジャンが、ジゼルの名を口にして聞かせたことで、人魚の魔法は溶けたようだった。

 この街に伝わる人魚の伝説には、似たような物語がある。人魚は人間の記憶を代償に、悪い魔法をかける。一方でその人間を想う、他の人間の記憶が、唯一その魔法を打ち破ることができるのだと。


 ジャンはジゼルが波に飲まれた後も、ずっと彼女のことを忘れずにいた。彼が災害を生き残り、この街から離れず生き続けたからこそ、再びジゼルと巡り会い、彼女を取り戻すことができたのだった。



 ジゼルは、言葉を続ける。



「恋しいわけだよ、ここが私の故郷だったんだもん。……でも、私の知っている街は全てなくなって、この新しい街になったんだね」

 


 ジゼルが人間に変身して街を歩いた日、感じた不思議な違和感の正体。それは、何もかも真新しい街の姿だった。


 あの災害で、古い建物は全て崩れ、流された。


 生き残った人々は、記憶の中の生まれ育った街とは全く違う、新たな街を一から造り上げた。

 

 その年月と苦労は、計り知れない。

 多くの人が亡くなった。生き残っても、この悲劇の記憶が残る場所から去る者も多くいただろう。


 しかし、人々は再び街を造り上げた。

 新たな人々がこの街を訪れ、やがて活気を取り戻した。

 かつての悲劇を、感じさせなくなるほどに。

 


 ジゼルは周囲を見渡した。ここは私の故郷。けれど、知らない街。それが、泣きそうなくらいどうしようもなく切なかった。




「私……あの日全て壊れてしまったこの街が、元気になった姿をこの目で見られてよかった。ジャンの元気な姿を見られて嬉しかった。あなたが生きていてよかった」



 ジゼルはもう分かっていた。ジゼルの家族は、あの災害で失われたことを。

 街を歩いたあの日、無意識のうちに最後に辿り着いた廃墟は、ジゼルが昔暮らしていた家だった。

 丘の近くで波に飲まれることを免れたその幸運な家は、誰も帰らぬ、誰からも忘れられた、寂しい、朽ちたガラクタに成り果てていた。



 陸にジゼルの帰る場所は、もうどこにもなかった。

 ジャンももちろん、その事を知っていた。

 ジャンはジゼルを強く抱きしめる。

 そして、ジゼルにこう伝えたのだった。



「ジゼル、俺と一緒に暮らそう。暗くて寂しい海の中じゃなく、陽のあたるこの街で、共に」



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