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人魚の嘘  作者: 須田昆武
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第1話 人魚ジゼル


 夜の海に少女の歌声が響いている。彼女の口ずさむメロディーは独特で、まるで悪い魔女が呪いをかけるために唱える呪文のようだ。その不気味な歌声を聞けば、誰もが恐怖で震え上がることだろう。しかし、その声が人々に届くことはない。


 彼女は、瓦礫の散乱する暗く冷たい水底を見渡した。歌声の正体である少女の姿が、古く錆びた鏡に映る。ブロンドの明るい髪はふわふわとわずかな海流に乗って揺蕩い、にこやかであどけない表情はどこにでもいる10代の年頃の乙女と変わらない。ただ1点、彼女には足ではなく、鱗に覆われた魚の尾ひれがついているということを除けば。

 

 少女の名前はジゼル。このガラクタだらけの暗く冷たい深海で、歌を歌いながら呑気に暮らす人魚の1人だ。


 このガラクタの海には、他にもう1人の人魚がいる。ジゼルの癖の強い歌を笑いながら、少年が岩陰の洞窟から顔を出した。



「相変わらずジゼルは歌が下手だね」



 そう意地悪くからかう彼の名前は、ルイスという。人魚の中では非常に珍しい、蛸の人魚である。

 年はジゼルと同じくらいで、ふわふわと揺れる短い髪は夜の闇のように真っ暗だ。

 蛸の人魚の特徴である8本足のうちの1つは、昔怪我をしたらしく半分の長さしかない。


 ルイスの笑い声に、ジゼルはむっと顔をしかめた。ジゼルには歌が下手な自覚はない。ルイスの方が歌が上手いことを認めてはいるが、自分はルイスよりも少し劣るだけで、実力にそれほど差はないと思っている。


 この瓦礫の海に住んでいる人魚は、ルイスとジゼルの2人しかいない。


 競う相手がルイスしかいないのに、ルイスに少し負けているだけで、まるで歌が下手かのように言われるのはジゼルにとって心外であった。



「もう今日のコンサートは終了! ルイスに聞かせる歌はありません」


「ごめんごめん、そんなに怒らないでよ。僕はジゼルの歌、好きだよ」



 そんなふうに調子の良いことを言って機嫌を取ろうとするルイスに、ジゼルはそっぽを向いてため息をつく。



「はぁ。歌うのにももう飽きちゃった。もっと楽しいことがしたいなぁ。例えば……ほら、地上に行ってみるとか!」



 ジゼルがなんとなくの軽い気持ちで口に出した提案は、即座にルイスの冷たい声に遮られた。



「駄目だよ、地上は危険だ。人間は僕たちのことを嫌っている」


「そうかなぁ、だって……」



 ジゼルは数日前の出来事に思いを馳せた。

──あれは嵐の夜。


 ルイスに隠れて1人でこっそり歌の練習をしていたジゼルは、波で激しく揺れた小舟から1人の人間が海へ落ちる瞬間を見てしまった。


 未知の存在である人間への恐怖心がないかといえば嘘になるが、陸の生き物である人間が海では生きられないことをジゼルは知っていた。とっさに、助けなければと思った。


 嵐の海で波に攫われ、意識を失いかけていた青年を見つけると、ジゼルは得意の泳ぎで彼を陸まで運んだ。青年は人魚の姿を見ても、恐怖に怯えることはなかった。ジゼルの去り際、彼は一言「ありがとう」と感謝を伝え、ジゼルその日とても誇らしい気持ちで深海の寝床で眠りについたのだった。


 あの青年はその後、元気にしているだろうか。

 もっと彼と話をしてみたい。


 彼ならきっと人魚の私とも仲良くしてくれる、とジゼルはそう確信していた。



「何? 考え事? 」



 ふと気がつくと、ジゼルの目前に怪訝な表情のルイスが迫っていた。ジゼルは驚き、慌ててルイスから距離をとる。



「な、なんでもない! それよりもルイス、今日はお魚の団体さんとの話し合いがあるんでしょ? 今回は移住相談だっけ? 」



 ジゼルは慌てて人間のことから話を逸らした。ルイスは昔から人間を嫌っている。陸に近づき人間を助けたことを知れば、もっと不機嫌になるに違いないとジゼルは考えた。


 そんなジゼルの内心を知りもしないルイスは、ため息をつき、最近の悩みの種について語り出す。



「ここの環境も、昔に比べてよくなってきたからね。噂を聞きつけて、遠方から移住しに群れでやってきたみたいなんだ。でも、他の生き物とのバランスもあるし……」


「そっかそっか。それは大変だ! 私にはお魚の声が聞こえないからさ、ルイス、がんばってね! ほら、急がないとお魚さんたちが待ってるよ! 」



 ジゼルはルイスの背をぐいぐいと押して、早くこの場から去るように促した。ルイスはジゼルの様子を怪しみながらも、しぶしぶ魚の群れとの話し合いに向かうのだった。



「……僕が留守の間、くれぐれも勝手なことはしないでね」


「心配しないで、ちゃんといい子にして待ってるから」



 ジゼルはそうにこやかに答えた。

 ルイスの姿が見えなくなるまで無邪気な笑みを貼り付けていたジゼルであったが、1人になった途端、そのいたずらな本性は現れる。



「なーんてね。いじわるなルイスの言うことなんて聞きませーん。たぶん、このへんに隠してあるはず……あった!」



 ルイスが私室として使っている岩場の洞窟を漁ると、古びた金属の宝箱の中に、ぼんやりと光る謎の液体の入った小瓶を見つけた。


 ルイスの隠し事など、長年共に暮らしてきたジゼルにはお見通しなのである。ジゼルは小瓶を両手に掲げ、高らかにその正体を叫んだ。



「人間になれる魔法薬!」



 魔法。そう、人魚には魔法が使えるのだ。

 不幸なことにジゼルには魔法の才能がなく一切使うことができないが、ルイスはそれなりに魔法の才があるようだった。

 

 ルイスが隠れて魔法薬の研究をしているのを、ジゼルは見て見ぬふりをして暮らしていた。



「絶対にあると思ってたんだよね。だってルイス、人間のことに詳しいんだもん。それって、私に内緒で人間の姿になって地上に行ったことがあるってことだもんね」



 その不公平さに憤りを感じながらも、ジゼルはこの時ばかりはルイスに感謝をした。

 ルイスがこの魔法薬を開発していなければ、彼に会いに行くことは叶わなかったのだから。

 

 魔法の小瓶には几帳面なルイスらしい丁寧な文字で記された、使い方と注意点のメモが添えられていた。これなら、魔法の知識がないジゼルにも扱えるだろう。


 ジゼルは、ルイスの言い放った言葉を思い起こす。

──人間は僕たちのことを嫌っている。



「……あの人はきっと、そんな人じゃないもん」



 ジゼルはせつない気持ちになり、小瓶をぎゅっと胸に抱いた。



「ちょっと様子を見に行くだけだから、これは悪いことじゃないよね」


 

 ジゼルはそう自分に言い聞かせて、小瓶を手に洞窟からこっそりと抜け出した。

 何も長いこと家出をしたい訳ではないのだ。ルイスが帰ってくる前に戻れば、怒られることはないだろう。



「待っててね。今、会いに行くから! 」



 ジゼルの頭の中は、まだ見ぬ地上とあの日出会った青年へのときめきで埋め尽くされていた。



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