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玉仙宮の金と黒  作者: 安崎依代
生死去来 棚頭傀儡
6/14

金は望む 探訪の暇


 巫覡(ふげき)は夜間に現場に出ることが多いため、基本的に宵っ張りだ。


 だが玉仙宮(ぎょくせんぐう)で修行を積む巫覡達は『規則正しい生活こそが修行の(もとい)』と(しつ)けられる。己を厳しく律し、欲に打ち勝つ精神こそが修練を積む上で最も重要なものである、というのがその理由であるらしい。


 当代皇帝第三皇子という肩書きを持つ紅殷(こういん)も、この躾からは逃れられなかった。そして長年の習慣というものは恐ろしいもので、紅殷はいまだにどれだけ現場で夜更かしを強いられても()の刻には自然と目が覚めてしまう。


 ──俺も妙なトコで真面目ちゃんなのかもなぁー……


 大きく欠伸(あくび)をしながら、紅殷は宿の階段をのんびりと降りていた。目指すのは相棒がいるであろう中庭である。


 ──ま、『寝ようと思えばいつでもどこでも眠れる』っていう特技があるから、睡眠不足に悩まされたことはあんまりねぇけど。


 今の紅殷には『第三皇子』という肩書きに加えて『玉仙宮筆頭巫覡』という肩書きもついている。


 その肩書きを使えばあらゆる規則から逃れることはできるのだが、思い返してみると己は今でもかなり律儀に規則を遵守して修練を積んでいる。素行は確かにちょっとあれだが、その部分に目をつむってもらえれば、案外自分は世間の評判通りに『出自に(おご)らず研鑽(けんさん)を積む人格者』であるのかもしれない。


 ──ま、俺の相棒には負けるけどな。


 そんなことを思った瞬間、中庭で剣を振るう相棒の姿が目に入った。


 緩んだ着付けに適当に髪を結っただけの紅殷に対し、晶蘭(しょうらん)は常と変わらない隙のない身支度をすでに整えていた。鍛錬のために上着こそ一枚脱いでいるが、団子状に纏めて金の髪飾りで留められた髪に乱れはなく、漆黒の装束にも隙はない。振るわれる剣筋は鋭く冴え渡っていて、その立ち居振る舞いを見ているだけで眠気が覚めるような心地がした。


 ──晶蘭のやつ、ちゃんと寝たのか? 寝台に入ったの、(うし)の刻を回ってなかったっけ?


 出先であっても日課である朝の鍛錬を欠かさない生真面目な従者の姿を、紅殷は壁にもたれかかったままボンヤリと眺めた。こうして剣を振るう晶蘭の姿を眺めるのが、紅殷は結構好きだったりする。


 しばらく型を確かめていた晶蘭は、ピタリと切っ先を止めてからゆっくりと剣を下ろした。フーッと深く息をついて構えを解いた晶蘭は、紅殷を振り返ると胸の前で両手を重ねて深く頭を下げる。


「おはようございます、殿下」

「おはよう、晶蘭」


 鍛錬終了の宣言でもある挨拶に応えながら、紅殷は壁から背中を離して晶蘭に歩み寄った。わふっ、と欠伸を噛み殺す紅殷の様子を見た晶蘭は、剣を鞘に納めながら気遣わしげに眉を寄せる。


「まだ寝ていても良かったんですよ? もしかして、起こしてしまいましたか?」

「いんや? いつもの習慣で起きちゃっただけ。お前の気配の殺し方は相変わらず完璧だよ。部屋を抜け出してたことにも気付けなかった」


 自分が鍛錬に打ち込む闘気のせいで紅殷の眠りを妨げたのではないかと、晶蘭は申し訳なさそうに眉尻を下げた。それを杞憂だと否定しながら、紅殷は晶蘭を見上げる。


「むしろお前こそちゃんと寝たか? 俺よかお前の方が体が資本だろうに」

「昨晩の私は結局突っ立っていただけでしたから。休息が必要なのは、むしろあなたの方ですよ」


『十分休めていますから安心してください』という晶蘭の言葉に、紅殷はわずかに頬を膨らませた。


 ──晶蘭の『十分』って、何刻のことなんだよ?


 玉仙宮の巫覡達は厳しい修行生活を強いられているが、それ以上に厳しい修行生活を送っているのが玉仙宮に詰める護衛武官達だ。武力的な脅威から巫覡を守り支える玉仙宮付の武官達は、徒人(ただびと)の身でありながら妖魔奇怪と戦う巫覡と並んで戦うために、他所所属武官よりも厳しい鍛錬を積んでいるのだという。


 その中でも晶蘭は、一際己に厳しい性質(たち)だ。紅殷は己に向けられる『才に傲らず研鑽を重ね〜』という評を聞くたびに、それは晶蘭にこそ向けられるべき評価だと常々思っている。


「私がここで剣を振るっているのが不満であるならば、今から部屋に戻って寝直しますか?」


 言葉を発さずとも、紅殷の不満は晶蘭に伝わっている。紅殷だけを部屋に押し込むのは無理だと晶蘭は覚ったのだろう。紅殷の睡眠不足を憂う晶蘭としては、紅殷に眠ってもらうためならば、生真面目な己の性分を曲げて一緒に二度寝をすることもやぶさかではないということだ。


 ──そんなに俺、寝不足に見えんのか?


 晶蘭があえてこの早朝という刻限に鍛錬に励んでいたのは、宿を使っている他の客の目を引きたくなかったからだ。『人目を忍んで鍛錬をこなす』という目的を達成した今、晶蘭としては多少ゆっくりしても大丈夫だという判断なのかもしれない。


 だが紅殷はそんな呑気なことを言うつもりはなかった。


「いや、調べたいことがある。さっさと取り掛かった方が良さそうだから、今日はこのまま行動開始だ」


 紅殷が表情を改めて宣言すると、晶蘭も顔に広げていた気遣わしげな表情を引っ込めた。それを『是』という返事として受け取った紅殷は、腕を組みながらつらつらと己の所感を語る。


「ひとまず調べたいことは四つ。ひとつ目は妓女の幽鬼の素性。ふたつ目は魔怪の少女の素性。みっつ目に仕掛けられていた罠の詳細。よっつ目は玉仙宮があの陰の気の偏りように気付かなかった理由」


 ひとつ目とふたつ目は、恐らくどちらかを調べていけばどこかで道が重なるはずだ。だから実質調べ物はみっつであると考えていいのかもしれない。


「これだけ調べれば、事件の背後に潜む黒幕の姿が浮かび上がってきそうな気がする」

「やはり、黒幕がいると考えますか?」

「その方が自然だろ?」


 (たた)りの発生と噂の流布の時期がズレていることも、噂となっている情報が不自然であることも、誰かを誘い込むためにわざと流された噂であると仮定すれば納得ができる。紅殷達を待ち構えるかのように仕掛けられていた罠だってそうだ。


 これはもはやただの幽鬼修祓案件ではない。いくつもの念と思惑が絡み合った、ひとつの陰謀だ。だが今の紅殷には絡み合ったそれらの糸を解きほぐす糸口が見つからない。


 ──もしかしたら(さい)賀恵(がけい)が玉仙宮に奏上に行くように仕向けたのだって。


 玉仙宮を事件に巻き込むための布石だったのかもしれない。ならば黒幕が罠を仕掛けたのは、玉仙宮の巫覡を害するためだったとも考えられる。


 さらに邪推を転がすならば。


 ──上手く事を運べば、玉仙宮の切り札『金簪(きんさん)仙君(せんくん)』を引きずり出すことも、あるいは。


「このまま我々だけで対処にあたっていて、大丈夫なのでしょうか」


 不意に落ちた声に、紅殷は知らず知らず伏せていた視線を上げた。紅殷と同じ推察に行き着いたのか、晶蘭は瞳の中にわずかに警戒を(にじ)ませている。


「万が一、黒幕の狙いがあなたであったならば……」

「そこで『玉仙宮全体であったならば』って言わないお前って、ほんっと俺のこと大好きだよな」

「殿下」


 茶化すような紅殷の発言に晶蘭がキュッと眉をひそめた。こういう時に声を荒げず(たしな)めるような声音を使う時、晶蘭は本気で一個人として『紅殷』の身を案じてくれている。


 その声音にスッと表情を改めた紅殷は、真っ直ぐに晶蘭を見上げると口を開いた。


「ここで俺が玉仙宮に戻ったら、この一件は闇に葬られる。玉仙宮は『そんな事件はなかった』の一点張りで、見て見なかったフリを通すはずだ。事の握り潰しが完了するまで、何やかんやと理由をつけて俺達を玉仙宮に軟禁した上で、だ」


 その推測があながち間違いではないということを、晶蘭も理解しているのだろう。キュッと唇を引き結んだ晶蘭は、紅殷に同意しながらもまだ瞳の中で撤退を訴えている。


 そんな晶蘭に向かって、紅殷は己の意見を真っ直ぐにぶつけた。


「それじゃなんの解決にもならない。玉仙宮へ、引いては俺に向けられる脅威は、ずっと闇の中で増長していくだけだ。違うか?」


 ここで引かずに調査を続け、自分達の手で事件を解決に導くのが一番己の安全に繋がるはずだ。


 さらに言えば紅殷は、この事件を握り潰されることで放置される民草も、幽鬼も、見捨てる真似をしたくない。


 彼らを助けることができる力が、自分にはあると知っているから。実の父母に忌み嫌われたこの力は、力なき者達を守る力に変えることができるのだと、教え導いてくれた人達がいるから。


 だからここで引くのは嫌だと、紅殷は真っ直ぐに晶蘭へ訴えかける。


「……」


 紅殷の視線を正面から受け止めた晶蘭は、無言のままウグッと喉を鳴らしたようだった。いつでも鋭くブレない瞳が、今はいくつもの感情をはらんでユラユラと揺れている。


 ──ごめんな、晶蘭。でも俺、お前が相手だからこそ、本心を飲み込みたくねぇんだわ。


 大抵の人間にとって、紅殷は『当代皇帝第三皇子』であり『玉仙宮筆頭巫覡・金簪仙君』だ。


 (まつ)り上げられるということは、対等の立場には置いてもらえないということ。たとえこちらの方が上に置かれていようとも、同類の人間として扱われないのは乞食(こじき)が疎まれる感情に近いとさえ紅殷は思う。


 彼らにとって紅殷は(てい)の良い偶像で、そこに紅殷の意思は関係ない。紅殷が何を思おうとも、何を叫ぼうとも、『敬意』という膜に隔たれた向こう側に『紅殷』の声は届かない。


『貴方様はこのようなことに御心を煩わされずとも良いのです』

『貴方様がそのようなことを(おん) 自(みずか)らなさる必要はないのです』


 いつだって紅殷の願いは、そんな()()の上に紡がれた言葉と、表面上だけ美しい笑みによって打ち砕かれてきた。


 ──だから、こそ。


『紅殷』を対等の人間として、……『紅殷』だって生身の人間であると理解して接してくれる数少ない相手には、紅殷は己の心を偽りたくない。いつだって本心でぶつかっていたい。


 そんな思いを、晶蘭も汲んでくれていることを、紅殷は知っている。


「〜〜〜〜〜〜〜!!」


 紅殷が引く素振りを見せずに晶蘭を見つめ続けると、やがて晶蘭は声にならない声を上げながらガリガリと頭を掻きむしった。折れたくないが折れざるを得ない時に晶蘭が見せる仕草に、紅殷は思わず目を輝かせる。


「……調べ物をするために一時的に玉仙宮へ戻るという選択肢も、ナシなんですね?」


 そんな紅殷に晶蘭は自棄(やけ)っぱちのような声を上げた。完全に折れてくれた晶蘭に紅殷はニヤつきたくなる顔を引き締めながら頷く。


「ああ。そんなことしたら、そのまま幽閉喰らっておしまいだからな」

「ではどうやって調査を進めるんですか?」

「とりあえず、まずは朝飯。それから仕掛けられてた罠の詳細を確かめに行こう。その後は市だ」


 クルリと身を翻した紅殷の後に晶蘭も続く。剣を腰に差し落とし、枝に掛けてあった上着を取った晶蘭は、紅殷の発言に首を傾げた。


「市?」

「おーよ、市井に暮らす民草はな、俺達なんかよりもずっと物知りなんだぜ?」


 隣に並んだ晶蘭を見上げて、紅殷はニヤリと笑ってみせた。


「そのことを(しゅう)紅殷先生が蘭蘭兄ちゃんに教えてやろう」

「蘭蘭言うな!」


 今日も軽快に響いた返しに、紅殷はニッシッシと満足の笑みを浮かべてみせた。


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