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玉仙宮の金と黒  作者: 安崎依代
故きを温ねて新しきを知らば
10/14

金白問答 我が身は汝と共に在り


 無音の空間にいると思っていても、(まぶた)を閉じ、心を無に近付けて瞑想していると、案外まだまだ世界には音があふれているのだということに気付かされる。


 微かな風に揺れる葉擦れの音。窓辺に垂らされた薄絹がユラユラと揺らめく気配。遠く鍛錬所から途切れ途切れに聞こえる気合の声。


 蔵書閲覧用に作り付けられた蔵書室の小上がりの上に腰を落ち着けて瞑想していた紅殷(こういん)は、その静寂の中に微かな足音が混じったことに気付くとそっと瞼を開いた。


 そのままゆっくりと顔を上げれば、荒々しく見えるのに不思議と音はしない足運びで近付いてくる玉仙(ぎょくせん)国師の姿が目に飛び込んでくる。


「バカ弟子、テメェ、蟄居の意味分かってんのか?」


 ツカツカと紅殷の前まで歩を進めた国師は、紅殷と三歩の間合いを残してピタリと足を止めた。忌々しそうに顔を歪めて腕を組む様は、『国師』という肩書きよりも『ゴロツキ』や『チンピラ』といった言葉の方がしっくりと馴染む。


 そんな国師を前にしても、紅殷は表情も声も揺らさなかった。


「『大人しくこもってろ』って意味だろ? ちゃんと守ってるじゃねぇか」

「ここは奥殿の外だ。どうやって抜け出しやがった」

「俺にだってそれなりの(わざ)伝手(つて)があるってことだよ」


 そこまで言い切ってようやく淡く笑みを浮かべると、国師は心底面白くなさそうに舌打ちをした。トントントンッと忙しなく腕を叩く指先には、率直に国師の苛立ちが(にじ)んでいる。


「で? テメェは自分の身代を使ってまで俺をここに呼び出して、一体何がしてぇんだ」


 その一言で、紅殷は国師が己の行動の意図を正確に察してくれたことを覚った。トントン拍子に進む話に、紅殷は思わず笑みを深くする。


 ──俺がわざと気配を掴ませたことも、俺がここ数日ここに入り浸っていたことも、今気付いたって顔だな。


 晶蘭(しょうらん)と引き離されて、今日で三日。


 あの日、晶蘭から届けられた修祓報告書の山を読破した紅殷は、以降周囲に覚られないようにひっそりと己の御所を避け出し、玉仙宮の蔵書室に通い詰めていた。


 ──奥殿と蔵書室が近場にあって助かった。さすがに人気が多い場所を挟んでいたら、ここまですんなりと事は運ばなかっただろうからな。


 狙いはあの黒幕の正体を掴み、事件の真相に目星をつけること。


 玉仙宮の蔵書室には、古今東西の祓魔関係の書から、歴代の巫覡(ふげき)達が残した書付まで、大量の書が保管されている。修祓関係の調べ物にここまで適した資料室は他にはない。


 さらに晶蘭が最初に道標を作ってくれたおかげで、調べ物をどの方向で進めればいいかも検討がつけられた。方向性さえ示されれば、後は蔵書の閲覧権限が広く、修祓に対する知識も深い紅殷が調べを進めた方が話は早い。


 ──おかげであらかた真相は見えた。


 そう確信できたから、紅殷は奥殿に残した身代わりを消し、隠していた気配を解放することでここに国師をおびき寄せた。


 全てはここで国師との揉め事に決着をつけ、再び自由に、今度は国師のお墨付きを得た上で事件解決に乗り出すためだ。


「今回裏で糸を引いてるのは、前々から玉仙宮に存在を危険視されてきた傀儡師(くぐつし)……(かい)糸影(しえい)だ」


 苛立ちと警戒を見せる国師に、紅殷は回りくどいことは言わずに真っ直ぐに切り込んだ。国師もこの局面で紅殷が何を言い出すかなど分かりきっていたのだろう。表情を変えない国師は、イライラと紅殷に視線を注いでいる。


「初めて灰糸影の存在が玉仙宮に認知されたのは五年前のこと。以降関与が疑われる事件が年に数回ほど起きている。いずれも事件の核になったのは、幽鬼が依った絡繰(からくり)人形だ」


 どの案件でも玉仙宮は民からの陳情によって動いている。毎回玉仙宮が動く前に少なくない人死が出ていた。


 玉仙宮から派遣された巫覡達はどの事件でも絡繰人形の破壊と依った幽鬼の浄祓に成功しているが、存在を(ささや)かれてきた黒幕まではたどり着けていない。


「灰糸影の存在を明確に捉えられたのは過去に二度だけ。灰糸影の存在が認知された五年前の事件の時と……三年前、今回俺が関わった妓楼で(たた)りと思わしき連続不審死が起きた時だ」


 そう、調べてみればすでに、玉仙宮はあの妓楼と関わりを持っていた。


 あの妓楼を捨てるという判断を降す前に、妓楼の経営者達は通っていた客の伝手を頼り、ありったけの金を積んで玉仙宮に祟りの修祓を依頼していた。玉仙宮は求めに応じて、玉仙宮の中でも特に腕利きの巫覡を派遣している。紅殷でも名前を知っている巫覡だった。


 しかしその巫覡を(もっ)てしても、祟りを鎮めることはできなかった。


 いや、あの時起きていた連続不審死は、蓋を開けてみれば『幽鬼の祟り』ではなかったのだ。


「あれは、(あね)への執着から魔怪へ身を堕とした少女が起こしていた、連続殺人事件だ」


 妓女は惚れた男がいたにもかかわらず、店から無理強いされた身請け話に絶望して首を括った。彼女が幽鬼となった原因は『必ず迎えに来る』と約束していながらその約束を果たさなかった男への未練だろう。


 だが彼女をあの場に縛り、歳月が過ぎた後も存在を確立させている執念は、当人が抱いたものではなく、彼女に執着している少女……姐への異常な思慕を募らせた仮妹が向けているものだ。


 ヒトであった時代の名を、蝶娘(じょうじょう)


 妓女・嫋嫋(じょうじょう)と同じ読みの名を与えられた、嫋嫋の世話役だった少女だ。


「その蝶娘の執着を煽り、人を殺す技術と技を与え、裏で事件を操っていたのが灰糸影。灰糸影の目的は恐らく……」

「より強い(シキ)を得ること」


 不意に、ポツリと国師が言葉を落とした。


「その材料として、灰糸影は念が強い人間や、強い霊力を持つ巫覡を狙っている」


 紅殷の語り口から、すでに紅殷もその結論に行き着いていると察したのだろう。


 深く溜め息をついた国師は、ガリガリと頭をかきむしりながら言葉の先を口にした。


「俺が関わった五年前の事件もそうだった」


 国師の言葉に紅殷は口を閉じると真っ直ぐに国師を見上げる。


 そう、灰糸影の存在が初めて玉仙宮に認知された一件。


 その事件で腕を振るった巫覡が、玉仙国師当人であるとされていた。


「あの事件って、やっぱり国師を人前に引きずり出すために仕組まれてたものだったのか?」

「十中八九そうだろ。……ケッ、俺を現場に引きずり出すために皇帝陛下(アイツ)をダシにしようなんざ、ほんといーい度胸だよなぁ?」


 国師の笑みの中に殺意が混じる。顔を歪めて笑う国師は、『巫覡』と呼ぶよりも『夜叉』と呼んだほうが似合いな雰囲気を醸していた。


 ──まぁ、国師がここまで怒り心頭に発するのも、当然っちゃ当然なんだけども。


 紅殷が禁書に指定された本の中から見つけた報告書に曰く。


 五年前、都外れの霊場にて、皇帝直々に天へ祈りを捧げる祭祀が()り行われた。酷い干魃(かんばつ)が続いたため急遽執り行われた、雨乞いの修祓であったと報告書には残されている。


 ──確か俺はその時、留守居役を命じられて晶蘭ともども玉仙宮に控えてたんだよな。


 何しろ急な話だった。玉仙国師の外出、さらに国師が直々に執り行う修祓、そこに皇帝御自らが同行するという話が加わり、玉仙宮は天地がひっくり返されたかのような騒ぎになっていたと紅殷は記憶している。


 ──おまけに出立は話が出た翌日とかで……とにかく急ぐからって、国師と陛下、周りが止めるのも聞かずに、陛下の愛馬に二人乗りで都から飛び出したって話じゃなかったっけ?


 皇帝御自らの祈祷を臣下が直訴し、それを皇帝が受け入れたことで急遽施行が決まったと報告書には記されていたが、恐らくその流れさえもが灰糸影の仕込みだったのだろう。


 直訴を受けた皇帝は『余が動く以上、供は余が決める』と宣言し、玉仙国師を供に指名。国師はそれをふたつ返事で受けた。


 かつて二人が『玉仙宮の白銀』と名を馳せた一対であったを知っていた周囲は、その指名に異論を唱えることをしなかったらしい。『白銀が動くならば余計な人手はむしろ邪魔になる』という判断と、急な日程に小回りを効かせるために、王宮、玉仙宮ともに随行した人数はかなり絞られていた。


 ちなみに紅殷と晶蘭が玉仙宮に残されたのは、国師の不在に備えてという理由の他に、『何かと厄介事を起こしてくる紅殷にまで手を回す余力がないから、留守居役を押し付けることで手っ取り早く紅殷を玉仙宮に押し込めよう』という意図があったらしい。ここは後から晶蘭に聞いた話だから、恐らく間違いはないだろう。


 ──確かにさすがの俺も、あの時は大人しく玉仙宮にこもったからな! 多分それ命じたの国師だよな、うん!


 そんな流れで、実に数年ぶりに紅殷ではなく国師が現場に出ていた。


 そこに強襲を仕掛けてきたのが、灰糸影だった。


「俺、当時現場でそんな騒ぎがあったなんて聞かなかったんだけど。修祓は滞りなく済んだって……」

「言うかよバカ。現場にいた人間には厳重な箝口令が敷かれたっつの。それに、修祓自体はキッチリ片付けたし、すぐに雨も降って干魃も収まっただろうが」


 灰糸影が身柄を狙ったのは、皇帝ではなく玉仙国師の方であったらしい。明確に『玉仙国師、(ばく)碧秀(へきしゅう)様の魂魄をいただきたく』『我が式とできたならば、どれだけ光栄か』という主張があったと、禁書に指定された報告書の中には記載がされていた。


 ──というか、何で禁書に指定するなら報告書なんて書いたんだよ。


 おかげで紅殷は助かったわけだが、その辺りは微妙に()に落ちない。何か真実を隠すために仕込まれた偽造品かとも疑ったが、今の国師の反応からしてその線も薄そうだ。


「わざわざ禁書に指定するくらいなら、書面に残すなってか?」


 ジッと国師を見上げる紅殷の顔には、率直にその疑問が浮かんでしまっていたらしい。


 頭をかきむしったせいで垂れてきた髪を片手でかき上げながら、国師はフンッと息をついた。


「俺はもう滅多に外には出ねぇ。が、お前はそうじゃねぇだろ」

「は?」

「俺に手が出せねぇと分かれば、次に狙われるマトはお前だ。まぁお前も俺には及ばないとはいえ? 玉仙宮ではそこそこ名が知られた巫覡だし?」

「……なーんかトゲを感じる物言いなんすけど?」

「ア? 師匠に対して『物言い』とは何だ? このクソ弟子が」


 紅殷の物言いに国師はさらに顔をしかめる。


 だがどうやら国師は『今後、万が一紅殷の身柄が狙われた際、自分が遭遇した事件から何か参考にできることがあるかもしれない』と考えてわざわざ記録を残しておいたらしい。言葉選びは一々癪だが、国師なりに紅殷を案じてくれたことはよく分かる。


「つまり、今回持ち込まれた案件は、俺を現場に引きずり出して、俺の魂魄を式とするために仕掛けられたって解釈で間違いないよな?」


 思わぬ形で触れた養父の心に居たたまれなさを噛み締めながらも、紅殷はそれらを一旦心から押しやって無理やり話を進めた。


「で、国師はそれを薄々察していたから、俺を無理やり玉仙宮に引きずり戻した」

「……そーだよ」


『悪ぃかよ』とでも言いたげな顔で国師はガリガリと後頭部をかきむしった。先程からあまりにも荒々しくかきむしるせいで、綺麗に結われていた髪が乱れて簪が抜け落ちそうになっている。


 ──繋がってきたな。


 己の推測が外れていなかったことにわずかに安堵しながらも、紅殷はさらに気を引き締めた。


 何せここまでは、本題を切り出すために前提を確かめただけにすぎない。


 肝心の本題は、ここからだ。


「つまり国師的には、俺達が灰糸影を確実に倒せる算段があるんだってちゃんと納得できれば、俺を奥殿に軟禁しとく理由はなくなるんだよな?」

「ア?」

「『俺を危険な目に遭わせたくはない』。だから国師は俺をここに引き戻した。つまり国師は俺が()()()()()()()()()()って確信できれば、俺が現場に出ること自体には反対しないってことだろ?」


 紅殷はひたと国師を見据えた。対する国師は怪訝な顔をした後、より一層濃くなった不機嫌に顔を歪ませる。


「俺と銀麟(ぎんりん)で追っ払うのがせいぜいだった相手を、テメェと晶蘭で確実に仕留められるっつーのかよ」

「国師達は不意打ちの奇襲かつ、何の前情報もない状態で相対したんだろ? 俺達とは置かれた状態が違う。それに……」


 理論整然と反論してみせた紅殷は、そこで一度言葉を切るとニヤリと好戦的な笑みを(ひらめ)かせた。


「前線を退いた『白銀』と、現役バリバリの『()()』を同列に扱うのは、なーんか違うんじゃねぇの?」


 紅殷のあからさまな挑発に、国師は言葉では反論してこなかった。


 だが何も思わなかったわけではない。それはピクリと跳ねた唇の端と、ピキリと引き()ったこめかみの筋で分かる。


「……おーおーおー、ガキンチョがいっちょ前に吠えんじゃねぇの」


 低く囁いた国師は、一度身を翻すとスタスタと蔵書閲覧用に置かれた卓に近付いた。そこからいかにも重たそうな椅子を手荒く片手で引きずってきた国師は、元いた場所に椅子を放り投げるように置くとドカッといかにもガラの悪い動きで腰を下ろす。


「んじゃ、説明してもらおうか?」


 思いっきり広げた足の上に肘をつき、紅殷を下から()め付けるように見上げた国師は、口元にうっすらと凄みのある笑みを広げた。


金簪(きんさん)仙君(せんくん)が直々に立案なされた、とっておきの作戦ってやつをよぉ?」


 どこからどう見てもチンピラにしか見えない師父を前にしても、紅殷の心は微塵も揺らがない。


 ──俺に力を貸してくれ、晶蘭。


 ただ一度、祈るように心の中で呟いてから、紅殷は静かに『作戦』の説明を始めた。


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