寒さに震える若者の独り言・・
冬枯れの林で、小枝にかろうじて付いていた一葉がゆらりと揺れた。
目の端にその様子を捕らえ、ちらりと視線を向ける。
すると、それを合図にしたかのようにその葉が枝から離れひらひらと舞い落ちた。
薄い茶色の葉で、透けて葉脈が見える。
その葉は突然に吹き抜ける寒風に、また、空に舞い上がる。
それを目で追うと、やがてその葉は近くの川の水面に落ちた。
落ちた葉は波に揉まれて、やがて水面から消える。
川の水は深い藍色をしていた。
見るからに寒々とした冬の色であった。
その様子を見ていた若者は、深いため息を吐いた。
白い吐息が顔の前に広がる。
その白い吐息も、再び吹いた寒風によりすぐに目の前から消え去った。
「寒い!」
そう一言、声を荒げ止めていた足をゆっくりと動かし始めた。
砂利道を覆っている雪が、歩くたびに、キュ、キュッと音を立てる。
耳に小気味よいが、今は身に凍みる寒さがそのような情緒をかき消す。
今歩いている道は、長野県を貫き新潟県を通り日本海へと抜ける千曲川の堤防沿いの道である。
この川はなぜか長野では千曲川と呼ばれ、新潟では信濃川と呼ばれる。
一つの川なのに、県により呼び名が変わるのである。
このことを不思議に思う。
長野は信州とも、信濃の国ともよばれる。
ならば長野でこそ信濃川と呼ぶべきではなかろうか、と。
なのに長野では千曲川である。
確かに幾度も曲がりくねる川なので千曲川と呼ばれても不思議ではない。
ドライブに出かけ山の中腹から望む善光寺平(長野市のある平野部)を流れる千曲川を見ると、幾重にも曲がりくねっているので、千曲川という名前に納得はした。
だが少なくとも源流から新潟に抜けるまでに、千以上は曲がっているはずだ。
千とは過小評価ではないのだろうか?
昔の人は奥ゆかしかったのだろうか?
確かに千曲川を萬曲川と命名したらと考えるとシックリとこない。
まんきょくがわ? まんまがりがわ?
ネーミングセンスを疑われること、間違いなしの名前である。
それにして新潟で信濃川と呼んでくれるのだから長野でも信濃川でよいではないか、と思う。
とはいえ長野県人はお国を信濃の国だとか、信州だと他県に自己紹介する人は意外に少ない気がする。
以前は「さわやか信州」と銘打ったコマーシャルがあり、さかんに信州と言っていたというのに。
そして新潟もいかがなものかとも思う。
自分の国に流れる川なのだから越後川とか呼べばいいのに、と。
よりによって信濃川と何故呼ぶ?
富士山という名前のナンバーを取り合った県があるくらいだ。
名前は登録商標など利権につながる。
なのに新潟では、なぜ信濃川と呼び続けるのだろうか?
まあ、信濃の国から流れてくるからなのだろうけど。
新潟で信濃川という登録商標のものがあったら可笑しくないのだろうか?
新潟なのに信濃とはこれいかに・・。
時代劇でも越後屋という悪役がよく登場する。
それとか、越後の縮緬問屋のご隠居とかも。
有名な正義の味方、黄門様だ。
越後と聞くと、新潟の出身の人が作った店とか、越後の物とか分かる。
だが、新潟にある信濃屋というとどうだろう?
長野にある信濃屋という蕎麦屋とか言われたら合点がいくというものだ。
新潟にある新潟の人が開いた信濃屋という蕎麦屋だと、何故に信濃屋?とならないだろうか?
う~ん・・・、ならないか? ま、どうでもいいや。
ただ古くから親しんだ地名を、地域統合で名前をあっさりと捨ててしまう時代だ。
そのような時代なのだから、川の名前を変えたい人もいるのではなかろうか?
など、など、どうでもいいことを考えながら歩き続ける。
そうしないと、この寒風の中、とてもではないが歩いていられない。
手袋をしていても、手は悴むし、寒さが体の芯まで染みこんでいる。
歩きながら凍死して立ったままの人は見たことないが、そうならないようにしなければ・・。
などと自分を励ます。
それにしても、今年は温暖化などという地球気候からはずれているのではないだろうか?
どこかに地球温暖化は引っ越しをしたのだろうか?
今年は雪はどっさりと降るし、すこぶる寒い。
温暖化で海に沈む国には申し訳ないが、寒いのはいやだ。
個人的に冬は温暖化がいい。
夏に温暖化はいやだけど。
いくら雪国育ちといえ、寒いのはいやなのである。
耐寒仕様の県民製ではあるが、寒いものは寒いのだ。
よく北海道の人は、冬に北海道に住んでいられるものだと思う。
大学時代の友人は、北海道では家の暖房が行き届き、家の中でTシャツでも暑いくらいだとかいっていた。
信じられない贅沢さだ。
そんなことをしたら、長野の中流家庭は破産をしてしまう。
そういえば沖縄では多少寒くても、暖房などないから逆に他県から行った人は寒いという。
日本の七不思議だ・・・と、思わず呟く。
だが七不思議といいながら、他の6つについては言及しない。
なぜなら何も考えていないからである。
そういえば縄文のある時代、温暖で過ごしやすかったという。
だから青森の三内丸山遺跡というような大きな遺跡があるのだと聞いた事がある。
これって温暖化が昔あったということではなかろうか?
だが、今、世間巷では地球温暖化防止と騒いでいる。
では、縄文時代に自動車が走り、工場があったという事だろうか?
そう考えたとき、突然、クシャミが襲った。
「クシュン!! てやんでぇ、すっとこどっこい!」
訳の分からないことを吐き捨て、また目的地へと黙々と歩く。
ちなみにクシャミをして歩くこの者は、長野県純粋培養である。
生まれも育ちも、である。
純粋な長野県産であるのだが、なぜか江戸っ子調の言葉が好きなのである。
「よし、今日は 鍋だ! 鍋以外にない! 鍋にしよう!
それと・・、熱燗だ! それ以外にあり得ない!」
そう言いながら家路を急ぐのであった。