6 大ムカデはハイエデンを蹂躙した
登場人物
エイラ 能力者 行商人
トレスティオール ウエスティア領主
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6 大ムカデはハイエデンを蹂躙した
この間と言っても僅か10日程だと言うのにこの有様は何だ?
エイラは早朝ちょっと顔見せのつもりでハイエデンの居留地の上空に現れ愕然とした。西の民の暮らしていた場所は元々畑だ。簡素だが多くの家が建ち大勢の暮らしがあった。
それがどうだ。残る家など一軒もない。押し潰されたのか引きちぎられたのか、その散らかりようは想像もできない混乱だった。
住んでいた人たちはどうなったの?トレスティオールは?
友達とまでは呼べないまでも取引やらで何度も話したトレスティオール。馬も合ったし、ここしばらくの災難で貸しが多くなってはいたが、いい付き合いができるはずだった。
そこで気が付いた。ハイエデンの住人も全く見えないのだ。疑問に思って、誰か捕まえ事情を聞こうと思ったエイラは街のあちこちへ跳ぶ。
路地の込み入ったところに動く黒い影が見えた気がしてその上に跳ぶ。
上に出て見回した目の隅にサッと隠れる黒い影。そこで初めてエイラは気配を探った。
すると暗がりや何軒かの戸口の壊れたような家に人ではない気配がある。
一方で人と思われる気配はごく微かにしか感じられない。まるで何かに怯え息を殺しているかのように。
エイラは入り口が破壊された1軒の前の降り立った。小さな商店のような構えの建物だ。中をじっと窺う。
何がここに居るのか?何となくカサカサする気配で、それは明らかに人のものではない。
いつもの石の棒から3枚のごく薄い石板を分離し、エイラは木材の破片が散らばる戸口を潜った。
中の扉も枠ごと破壊され、上から鋭い折れ口が下がる中、暗がりを覗き込む。
右の壁に振動が走り突然壁が目の前で飛び散った。破片がエイラを襲う。
警戒はしていたので冷静に数メル転移で後退すると、黒い塊が絡まるように前に転がり出る。
無数の脚が蠢く。外皮がテラリと外の光を受け光る。ガサゴソと動いていたものがほつれて、2匹の虫になった。丸い頭の側面にさらに黒く反射する黒い丸が二つ、横に裂け目があり小さな湾曲した突起が挟むような動きをした。両脇には波打つように無数に並ぶ脚。
これってムカデ?何でこんなに大きいの?
平べったい感じだが横幅は1メルに近い。長さは多分3メルはありそう。それが2体、半ば重なるようにこちらに頭を向け、口の鋏をカチカチと打ち鳴らしていた。
頭部に石板を跳ばすがどこが急所か勝手が判らない。大ムカデは逆に刺激を受けたように一斉に飛び掛かって来た。
路地の3メルの空中に跳んだ足元に2匹が地面を滑るように飛び出して来る。急に明かりへ出たと言うのに、戸惑う様子もなく2匹はそれぞれグルリと回った。
目の上についた小さなブラシは触角と言うやつか?
虫好きな小僧のセリフが浮かんだ。
「やってみるか」
エイラの石板が触角を切り落とす。瞬く間に2対のブラシが地面に落ち、2匹は目に見えて動きが悪くなった。
続いて頭部に何枚も石板を跳ばす。口先から上面の殻に沿うように5セロ刻みで体内へ送り込む。8枚目でガクッと動きが鈍くなった。もう1匹にも同じ位置で撃ち込むとこちらも効果はあったようだ。
が、まだ死んではいない。そのまま2節目、3節目と石板で刻んでいくと、3節目の終わり辺りでムカデがパタっと地面に伸びた。
どう言うことかわからないけどここが急所でいいのかな?
でも面倒だ。一発で仕留められる急所もどこかにあると思うんだけど。
日中は暗がりでじっとしているようで狩りは捗々しくない。それでも出歩く人が見えないのは恐怖に竦んでいるのか、もうそれほどの人が残って居ないからか。
エイラは微かな人の気配を頼りに地上へ戻る。大きな頑丈そうな屋敷。入り口近くに何人か固まって震えているような。
周囲をぐるりと跳び回るが、空いている扉も窓も無い。左奥に唯一あるガラス窓には分厚い格子の鎧戸が被さるように覆っていた。
それでも他にもいくつかの気配があることと、中の構造が見て取れた。
最初に見つけた気配の近くへ跳ぶとそこは暗い廊下で、気配は扉一枚隔てた向こう側。
「4人……かな?」
ノックをすると中で悲鳴が上がる。静まるのを待ってもう一度戸を軽く叩く。
今度は息を呑む気配。少し待つと2人がこちらへ歩いて来る。取っ手に手を掛け躊躇う。ロックが外れゆっくりと引き開けられる。隙間から目が覗く。
1人で立つエイラを上から下まで見た後、開いた扉の向こうには油灯の中に怯えた顔の2人の女が立っていた。
「あの…あなたは…?」
「あたしはエイラ。行商をやってるんだけど、人が表にいなくってね」
「どこから入って来たんですか!黒い虫が!」「ひいっ!」
「ああ、それは大丈夫。戸口はちゃんと閉まってるよ」
「……じゃあ…どこから…」
「ちょっと説明しにくいかな?とにかく大丈夫。それよりも今ってどういう状況?」
不安そうに顔を見回し、それでも誰かと話をしたいと言った様子で扉を引く女は、使用人らしい黒を基調とした、きちっとした印象の服を着ている。
中へ入ったエイラに
「外はどんな様子ですか?」
「路地に人影はないよ。一人もだ」
「虫は!?」「黒い虫はどうですか?」
「見えるとこにはいないね。戸口が壊れた家に入ってみた。中に3メルくらいの大ムカデが2匹いたよ。人は居なかった」
「夜の間中、お屋敷の壁や屋根を這い回るんです。このお屋敷は大きくて頑丈だけれど、どこか破って入り込むんじゃないかと、旦那さまや下男たちが一晩中警戒しておりました」
「あたしたちもお部屋の確認で夜は寝ておりません」
「それはいつから?」
「今日で3日目です」「ビクソンさまのお屋敷でなければ、疾うに食い破られていたでしょう」
「3日前の日が沈んだ後、山が溢れたのです」
「通りにいた者が大勢黒い虫に食われたそうです」
「山の近い家が何軒も食い破られました」
「昨夜はこのお屋敷にも……」
「西の難民は全滅だと……」
エイラは上空から見た光景を思い出した。難民たちの住む仮住まいは悉く潰されていた。やはり大ムカデが原因だったか。
けど、全滅って?
そうかも知れない。生き残り達も隠れ住むように息を潜めているのだ。
「ビクソンってビクソン商会の?」
「そうです。旦那さまは商会の会頭をしておられます」
取引はないがこの辺りでは同じ行商の大店だ、当然エイラは聞き知っている。馬車でどこまでも行く長距離行商を行う珍しい商会。
「その旦那って人に話ができるかな?」
「明け方まで大変でしたから多分、今お休みになっているかと」
「いつもでしたらそろそろお目覚めの時間ですね。あたくし、様子を見て参ります」
「まあ!そうでした。あたくし達も何の準備もしてませんわ!大変!すぐに動けるよう支度いたしましょう!」
4人の女は自分の仕事を今更ながら思い出したようで、身支度を始めた。
そうなると部外者のエイラは居場所がない。
「あたしはもうひと回り街を見て来るよ。また来るね」
そう声をかけ、誰もこちらを見ていないのを確かめると上空へ跳んだ。
山が溢れたって言ってたね。
ハイエデンは南と西に山がある。東は海で深いのは西の山だ。その山は北へ連なっている。ウエスティア難民の居留地は西の山裾から女神像の広場に向かって伸びいたのだ。
溢れた大ムカデが、脆弱な仮住居を潰しながら一気に広場まで押し流すように移動した様子が、壊れた家や瓦礫のあちこちに見てとれた。
他はどうだったのか?
確かに山裾の家は多く破壊されているようだが、やはり頑丈さが違うのだろう、戸口や窓が無事なら家は無事だった。侵入口があっても家が破壊されたところは少ない。
西の民はどこまでも間が悪かったのか。運のない事だ。
エイラの見立てはそこで結論となったが実際にその通りだった。端を発したのはウエスティア奥地の山に降った大雨と直後の地震だ。
山地が広く崩れ、いっぺんに湿地が増えた。そこに大量の草が生え、草を食べる昆虫が増えた。一方、昆虫を好んで捕食する鳥や獣はそう一度には増えない。
歯止めのないままに増えた中に黒バッタなどもいた。彼らは群生すると体格も性格も一変するのだ。体はふた回りも大きく羽も大きくなり、気性も荒くなる。そうして数を急激に増やすのだ。
そして西の山々を食い荒らし風向きも良かったのだろう、遂にハイエデンの付近へと群れは到達した。
兼ねてより洞窟に棲みつき、溢れて山地に広がっていた大ムカデがそれを捕食し、ここで爆発的に数を増やしてしまった。その後も数波に渡りバッタは飛来するので大ムカデは増えに増えた。
その数は数ヶ月で数千に達しようとしていた。
エイラは山沿いの家を何軒か覗いて見た。一体どれ程の数で襲ったのだろう。
壁がズタズタに噛み千切られ屋根にも大きな穴がある。床板でさえあちこち持ち上げ食い破られ無事では無かった。
この家にいた人の恐怖は如何ばかりだったろう。今はガランとして日の差し込む室内にエイラは胸に手を当て頭を垂れた。




