4 あれは蝗害と言うのだそうだ
登場人物
エイラ 能力者 行商人
ジーナ 能力者 サイナス村村長
ベイク-アイゼル ハイエデン首長
トレスティオール ウエスティア領主
セヨリ トレスティオール付きメイド
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4 あれは蝗害と言うのだそうだ
バッタが山から溢れあらゆる物を食い尽くし、どこまでも広がって行った。難民の中にいた古老の話では、100年近く前に一度あったらしい。原因はわかっていない。
今回のは洪水や山が崩れたことが関係しているのだろうか。
「バッタの字を当てて蝗害と言うのだそうじゃ。曾祖父さんの時に一度あったそうでの。あちこちに伝承が残っておったようじゃの」
そのおかげで知らせ受けた村長たちの決断は早かった。間に合ったところはと断りが付くのは仕方ない。
実際いくつもの村が飲み込まれ、山地では人の移動速度より虫の方が早い。基本、草食だから、すぐには人を襲ったりしないが、真っ黒になって地を覆い尽くすともう見境が無い。
止まったところのものはなんでも齧り出す。群れが通り過ぎた場所には立木すら残らない。動物も骨になって転がっている。
全てを食い尽くし、大地を舐めるように移動していく黒い雲。それが蝗害だった。
あの日、ウエスティアの南に発した蝗害は、山から吹き下ろす風の流れに乗って北の海へ向かった。
北の山地は不毛の地が広がり東半分は海だった。
群れは東西に分かれた。東は海岸沿いにそれなりに広い街道で、何より起伏があまりなかった。ウエスティア住民の多くがこちらを選び、多くが助かった。
一方西へ逃げた人たちは上り下りの坂道で疲弊し足の鈍ったところを、山の間に集まる濃密な群れに飲み込まれた。
この辺りはエイラの知らせを受けた村の人々でも同じで、ジーナの手を借りサイナスへ跳ばされたものたちが僅かな例外だった。
一月に及ぶ逃避行の果てに蝗害は一旦は収まったが、一体どれほどの人数が亡くなったのかなど誰にも分からない。
ただ生き残った者たちは、荒れ果てた故郷の地を目指しこともならず職と食を求めて彷徨った。
トレスティオールが率いるウエスティア難民も、先々の村人を巻き込みながらその人数を膨れ上がらせ、ハイエデンに向けて移動を続けた。
道中、力尽きて、あるいは病に倒れ亡くなるものの多い苦難の日々は続いていた。
今日もエイラは食料を買い付けては、移動する人々に分配していた。
「あんた方はどこから来なさった」
街道を埋め尽くす長い行列を見てナムロの村長が尋ねた。
「西の民と北の民だよ。空を黒く染めるバッタの群れに土地を追われた」
「バッタじゃと?虫が怖くて逃げてきたと言うのか」
説明したところで分かってはもらえない。立木や建物の材木すら食い尽くすと聞いても信じられるものでは無い。もちろん、この辺りにも古い伝承は伝わっているだろうが。
なので、エイラが取り入れの終わった作物を安く買い上げる。現金はそう潤沢ではないので、代わりに石の食器や他の地方の特産物を渡したりでやりくりをしている。秋口で収穫の直後というのは非常にありがたい。
トレスティオールも付き従う衛兵たちも村への入植交渉に奔走した。とは言え50人100人の入植で精一杯、どの村も規模が小さく急に人が増えても面倒などみられないのだ。
故郷の地は畑どころか家まで食われ、それでも戻って立て直す気持ちは皆が持っている。
しかし、全てはこの冬を越してからの話だ。6000人を超える人々は他にどうしようもなく、無力を噛み締めながら海沿いを南に流れていった。
・ ・ ・
苦難の旅ももうふた月、難民の先頭集団が海を左にトボトボと進む。
「なんか正面に海が見えないか?」
「あれがそうじゃないのか?道が東に向かってる」
「そういやこの先右に大きく曲がるって言ってたなあ」
中にはハイエデンまで旅したことのある者もいただろう。近づくにつれ村の者からもそう言った話も聞けただろう。
あの岬を右に曲がれば噂に聞く白い女神像が見えて来る。この情報は口々に後ろへ伝わって行く。列は興奮の波に震えた。
抑えきれず岬に向かって走り出す元気者が数人。
エイラがいつもの食料運搬で上空を通りかかり疲れた顔で胸を撫で下ろした。
・ ・ ・
20日ほど前のハイエデン首長との会談を思い出す。
急に大勢が押しかけても大変なことになる。そう主張するトレスティオールを伴って、衛兵の護衛を断って二人でハイエデンへ跳んだ。受け入れの準備を頼むのだ。
ハイエデンの街に入ったエイラとトレスティオールは場所を聞いて街の庁舎を訪れた。
「ウエスティアの難民のことで伺いました」
「ウエスティアでございますか?少々お待ちください」
受付の初老の男性は待つように言って背後の小さな扉へ消えた。
石造の広いエントランス、右手には両開きの大扉。その上に何か神話の一節だろうか、跪き手を差し伸べる農民風の大勢の男たちを白いヒダの多い衣装を纏いスックと立つ美しい女を描いた絵がかけてあった。
ここからも通りを海に向かって立てば良く見える、あの白い女神像。
二人でボーっと絵を見ていると受付が頭の禿げ上がった男を連れて戻ってきた。顔を見ると受付よりは若そうだが、後ろ髪が少し残る程度でほとんどツルツルだ。
「ハイエデンの首長をしているベイク-アイゼルです。ウエスティアと伺いましたが」
「ええ。あたくしはウエスティア領主のトレスティオールと申します。6000人ほどの避難民がこちらへ向かい移動中です。受け入れをお願い致したく伺いました」
「6千ですか?それはまた……」
「人数の方はまだ途中の村人が合流するので増えています」
「何があったのですか?」
トレスティオールは春の大雨による山崩れの話と、突然に襲い来ったバッタの群れについて話した。人、動物は愚か建物の木材さえも食い尽くす猛威にアイゼル首長は顔色を失った。
「いつ頃こちらにみなさまは来られるのですか?準備する間があればいいのですが」
「早ければ20日ほどで到達します」
「20日で6千か。街に近い畑の収穫を急いで、そこに急拵えの建物を並べる他ないな。
すぐに警備兵にみなさんの人数など確認に行かせます。こちたもそう広い土地が空いている訳ではないので畑を潰し、できる限りの住居を用意します」
「ありがとうございます」
ハイエデンの受け入れ準備はこの日から急ピッチで進められていた。
・ ・ ・
列の前方からハイエデンが見えたと伝言が流れてくる。エイラに連れられ見に行ったあの大きな商店の建物、海を背に道の先に聳える白い女神像が目に浮かぶ。
トレスティオールはセヨリと疲れた顔を見合わせここ何日かぶりに笑顔を見せた。
長かった旅はもう少しで終わる。
ハイエデンの協力も取り付けた。まだまだ安心はできないが、ひと息は吐いても良いだろう。
ハイエデンからは数日おきに食料を積んだ馬車が届き、畑を簡易な住居にして行く様子なども聞かされている。それがどこまでのものなのかは分からないが、準備をしてくれていることは確かなのだ。着いたら世話になりっぱなしというわけにもいかない。
けれどほんとうにこの旅は長かった。やっと休めるんだ。




