2 ウエスティアには井戸が足りない
登場人物
エイラ 能力者 行商担当
サツキ エイラの相棒 小売り担当
ラックル 20歳孤児 エイラの行商補助
トレスティオール ウエスティア領主
セヨリ トレスティオール付きメイド
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2 ウエスティアには井戸が足りない
山が沸騰した。ぐつぐつと地面が煮え繰り返っている。暗く視界は利かないがあたしにははっきりと分かる。
山の斜面がそこここで滑り落ち谷底でぶつかって跳ね上がる。その勢いの強い場所では噴水のように高く噴き上がる。
それが谷を流れていた水なのか木なのか、はたまた土なのかまではわからない。
黒雲がのそりと覆う山地の入り組んだ谷を、僅か100メルの上空からあたしはその混沌を肌で感じていた。
ランクロフトが動いた。
あっちに衛兵の生き残りがいたらしい。すでに2人、領主屋敷まで送り届けている。何人がこの地域に入り込んでいるかは聞いていないが災難なことだ。
あたしはランクロフトの気配に向かって跳ぶ。すぐに状況は分かった。折り重なる何本もの倒木に男が絡みつかれるように巻き込まれている。息があるかもわからないが、あたしは倒木をまとめて持ち上げた。
雨こそ止んでいるが、谷の水が土砂の重みで表面に噴き上げている上、濡れた土のまとわりつく木々は重たい。
それでも僅かに持ち上がった隙にランクロフトが軽鎧の男を掬い上げ数メル上に向かって跳んだ。
あたしはすぐにそばへ跳ぶ。
「屋敷へ連れてくよ!」
ランクロフトと息を合わせ男を抱えるように跳ぶ。
ウエスティアの領主屋敷、執務室付近の廊下ではまだ衛兵の一人がセヨリの救護を受けていた。
あたしたちが廊下に転移すると長椅子から警護の衛兵が手当て中の仲間を退ける。
空いた長椅子にランクロフトが泥まみれの軽鎧を横たえた。ランクロフトはそのまま首元を緩め、男の頬を張った。
バチンとすごい音がしたが、直後、男が酷く咳込み命の残り火がまだそこにあることを示した。
「もう一度行くよ!」
「ああ。分かった」
ランクロフトの答えを聞きあたしたちはまたあの地獄へ向かって跳んだ。
それからは時間などもう分からない。点々とグズグズになった大地を跳び回り命の痕跡を探して回った。ついに空が白み始め、この目であちこち岩盤や地層の露出した斜面を改めて見ることになった。
谷と言う谷は厚く積もった泥に覆われ、水があちこちに溜まっている。余りに崩れた土が多すぎて、この先川がどう流れて行くのか見当もつかない。
川の本流に繋がる箇所も泥が厚く覆っていて、絞り出されるように水が染み出していた。
そこまで見届けてあたしたちは領主屋敷へ戻り、簡単な報告を済ませるとそのまま意識を手放した。
・ ・ ・
「上流の山地はあちこちが崩れてもう見る影もないよ。川という川、谷という谷がが埋まってたよ。何ヶ月かは泥水しか流れてこないんじゃないかな。人の気配はもう無かったよ」
「俺も分かる範囲には気配が感じ取れなかった。あの山地で生きているものはいないだろう」
そこまで聞いて幾つか質問しようとしたところで、エイラさんが執務室の壁にもたれるようにくずおれました。ランクロフトもふらふらしながらエイラを支えようとしています。
過酷な救出行だったのでしょう。
あたくしは大きな声で衛兵を呼び用意してあった客間に運ばせました。
だが、何ということでしょう。あの揺れが引き金だったのか、大雨で緩んだ土のせいなのか。
これからなにが起きるのか。あたくしには不安しかありませんでした。
「トレスティオールさま」
セヨリの声にハッと執務室を見回します。机の前には誰もおらず、醜態を晒さず済んだと分かりほっとしました。
「街区長達を集めたいわ。上流の山地と川の様子を見てもらわないと。思わぬところから出水があるかもしれない」
「分かりました。支給連絡いたします。今夜でよろしいでしょうか?」
「そうね、街の様子も聞きたいし。それでお願い」
上がって来る情報はどれも断片ばかりでしが、いい話はひとつもありませんでした。刻限にはセヨリを供に会議室へ行きます。街区長7人はもう集まっていました。
あたくしは奥の演壇前の椅子に歩み寄ると切り出しました。
「昨夜の揺れで上流の山地の谷や川が埋まってしまいました。報告では川の水量が減り茶色く濁っているとのことですが、大水が来るかもしれません。川が埋まっているので川ではないところからも水が来るかも知れません。
みなさんには上流方面の警戒をお願いします。衛兵7人と昨夜上流の調査に回しましたが、4人が帰って来ていないのです。
街の安全のためご協力ください」
集まった者達はちょっと唖然とした表情をみせました。が、大雨といい、昨夜の揺れといい、尋常なことではないのは感じているようで言葉少なな頷きが返って来ます。
「それで、領主さま。どのようなことが起きるとお考えでしょうか?」
あたくしは少し考えを巡らせました。
「まず、穀倉地帯の水捌けがどうなるか。用排水を見直さないと、畑がダメになるかもしれない。あとは飲み水かしら。井戸を増やした方がいいでしょうね。今考え付くのはそれくらいかしら。もっと情報を集めないと」
「そうですか。私らも人をやってあちこち調べさせます」
そうして街区長達の協力を仰ぎ、監視を強めますが、泥流や濁水の報告がひきも切らないのです。川の水は相変わらず茶色しいし、井戸を増設したけれどとても住民全員の需要には及ばないでしょう。それでも飲み水だけは確保できたので、引き続き井戸は掘ってもらっています。
これにはエイラも協力いただけたようでて、どうやるのか、やって来た日には10本もの井戸を掘って行くそうです。自分の仕事もあるので月に数回しか来ないのだけれど、ウエスティアの井戸の何割かはエイラが掘ったものと報告がありました。
・ ・ ・
あの悪夢のような大雨から1年が経とうとしていました。
埋まってしまった谷には新たな川ができたがまだ土は柔らかいのでしょう、しょっちゅう岸が崩れ川水は茶色いままです。
畑に使う分には栄養豊富な水で作物はよく育ちます。そのせいか虫が増えていると聞きます。特に夏になってからはバッタが増えたと報告が来ていると。
その報告書を見てトレスティオールには違和感がありました。
違和感の正体がなんであるのか掴めないまま何日かが過ぎました。
「領主さま、どうなされたのですか。このごろ塞いでいるご様子ですが。あたくしは心配でございます」
案じてそう尋ねてくれるのは専属メイドのセヨリでした。
けれどトレスティオールはなんと答えて良いか分かりません。
「何か見落としている様な気がするのです。とても重要なことを」
「作物の育ちはいいそうではありませんか。川の水の濁りはなかなか取れないそうですが、不作でなければ井戸のお陰で飲み水にも困りませんし」
「そう。そうなんだけれど……」
何度目か繰り返したメイドとの同じ様な会話です。トレスティオールはため息ひとつを残し飲みかけのカップを置くと執務室へ向かいました。
決裁の書類は主に海産物の仕入れに関するものでした。海の海藻に茶色い川水で被害が出ています。近隣の漁村の水揚げが減って遠方からの買付けが多くなっているとの報告でした。
「トレスティオールさま。山近くの畑から伝令です。バッタの大群が現れ作物を食い荒らしていると」
トレスティオールの背に氷が滑り込んだ様に震えが走った。ここで初めて違和感の正体に思い当たった。
「バッタだわ。蝗害よ!ああ、どうすればいいの!」
書庫で幼い頃から読み耽っていた何冊もの本。そこにバッタが増えて畑を、いや、立木や家の木材までも食い尽くす恐ろしいバッタの群れの話しがあった。空を覆い尽くす真っ黒な虫の群れ。一度発生して仕舞えば誰にも止められず、何もかも食い尽くす。
恐らくはこの地を捨て、移民する以外には何もできない。相手は小さな虫とは言え、自然の猛威なのだ。
「子供と病人。弱いものから逃してください。パルザノンとハイエデンに至急使者を送ってください。返事を待つ余裕はないでしょう。準備のできたものから出発させます」




