3 いじめっ子のキッド
登場人物
エイラ ゲミラ村の子供 8歳
キッド ゲミラ村の子供 12歳
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3 いじめっ子のキッド
眩しい日差しが顔を焼いてあちこちが痛い。
あたしはひとりで草原に寝ていた。右手に木が疎らに生えた山。
どこだっけ?なんでこんなとこで!
だんだん思い出して来た。
家はどっち?お母さんは?
痛む足でなんとか立ち上がる。確か崖から……
そこまで思い出し山を見上げる。木の幹に何かボロ巾のようなものが見えた。
もしやと思って痛い足と背中を抱えて登って行く。登りは急な上に足元が崩れて何度か滑り落ちる。斜面を這うように少しずつ登って行った。
息を切らしひたいから流れる汗を泥だらけの手で拭いて、やっとそばまで行くと。
それはお母さんだった。俯いて幹に抱きつく様に、片足と腕があり得ない付き方でねじ曲がって居るけど、これはお母さん。
そう思って足を止め、呆然と見ていた。
あと数メルで手が届くかと言うのに、突然足元の土が崩れ、あたしは一気に下まで滑り、途中からは転がって落ちて行った。
目を覚ました草原に叩きつけられ、しばらく息もできない。
中天高く登った陽に炙られながら、あたしはしばらくそのまま泣いていた。
不穏な気配がやって来る。それは理屈も何もない。揺すぶられるように湧き上がる危機感だった。痛む背中と足を押して立ち上がる。気配は前の方が濃いようだ。
あたしは山から離れた一本の木に目を止めた。低い位置から枝があって高さがある。何より上の方に実がなっていた。
気配はさらに強くなっている。これは急いだ方がいい。
ヨタヨタと目の前にある木に近づき、のそのそと枝を登っていく。木登りは得意だけどこうあちこち痛くては思うように登れない。焦る気持ちを押し殺して一本、また一本と枝を這い上がる。
するとガウガウと聴きなれない声が聞こえて来た。さらにもう一本枝を踏んで体を持ち上げると枝の太いところに腰掛け、あたしは下を見下ろした。
のそっと現れたのは犬っぽい何かだ。ずいぶんと大きい白黒まだらの毛の長い3頭が、あたしの方を見上げた。口の幅が広く鼻先が短い。歯を剥き出してガウゥーと唸った。土色の鋭そうな歯に、あたしは思わず身を引いた。
あたしが動かないのを確かめたのか、3頭は斜面の方へ鼻面を向け匂いを嗅いだ。1頭を残して2頭がゆっくりと斜面を登っていく。
まさか?
そう思ってもあたしには、どうすることもできない。
やっぱりだった。
2頭はお母さんを引き摺って降ろして来た。またあたしにガウゥと脅しを掛けて来た方へ、あたしのお母さんを引き摺ってあいつらは行ってしまった。
あたしはまた涙が枯れるまで泣いた。木から降りるのも恐ろしくて、そのまま木の上で少し渋い実を齧って夜を明かしたんだ。
夜明け前の薄暗がりであたしは目を覚ました。と言うか、切れ切れに怖い夢を見て何度も起きたんだ。ぼうっと空が明るいのを見て仕方なく起きることにした。
実の少し柔らかいのは渋みも少ないことが分かった。たっぷり3つ食べるとお腹が落ち着いた。
実はポケットに入る大きさじゃないので一つ握って木から降りると、あたしは日が登る方角に歩き出した。
村の中心から聞こえた騒ぎが家を襲ったのだとすれば、あたしが知っているあのゲミラ村はもう無い。とにかく離れる方向へ歩いていく。
危ない気配がなんとなく分かる。すぐに逃げろと胸の奥にざわざわが湧き起こって、背筋に震えが走るんだ。それは多分恐怖感だろう。
そして、木は結構たくさん生えているので逃げ場には事欠かない。ざわざわの知らせに従って木に登ると、いくらもしないうちに危なそうな奴があたしを見上げて、通っていくんだ。
だから尚のこと、あたしは木の少ない方へは行かないようにしていたんだ。
危ない獣には木に登る奴もいるんだ。でかい猫と毒ヘビだ。まだ出会っていないだけ。
猟師をしていたお父さんから聞かされていた。夕飯の後でよく小さな火を囲んでそんな話を聞いたっけ。
思い出すとまた涙が滲む。あたしは目の水滴を振り払うように、一つ首を振って歩き出した。
急に開けた視界に映ったのは、広い見通しのいい平原。
丈の短い草があちこちに生えている。かなり離れたところにポツンと大きな木があった。森はここで終わり。
木は高さもあるけど枝の幅も同じくらいあって、なんとなく太った3角の形。あの上なら遠くまで見えるかな?
平原には大きな気配はない。むしろ森の方がずっと騒がしい。
あたしは木に向かって歩いて行った。
足元には大きな石がいくつも半ば埋まった感じで突き出ていて、余所見をしていると躓いて転びそうだ。けれど見て避けていけば割と平らで歩きにくいことはない。
見上げるその木は大人5、6人並んでも届くかと思うほど幹が太い。最初の枝は4メル上で、古いけどひどい爪痕がいくつも表面にあって手がかりはある。でかい猫の仕業だろうけど、その気配は今はない。
あたしは木の幹に取り付いて登って行く。思った通り深い傷のおかげで手や足をかけるのは問題ない。
むしろ枝の根元沿いに登っていく方が大変だった。枝といっても太さが1メルを優に超える。猫ならこの間隔でもヒラリと飛び越えて行くんだろうけど。
大汗を掻いて、指と背中が痛くなって何度も休みながら登って行く。なかなかてっぺんは見えて来ない。
風が吹いた。汗が冷えてブルブルっと震えが背を駆け上る。上を見上げるとあと数メルで頂上だ。登り始めるけど風はずっと吹いていた。
この高さには風が吹くんだろうか。
細くなった枝の丈夫そうなところに足をかけ、もっと細い枝先を胸辺りでかき寄せて、あたしの頭が木の上にやっと出た。
ぐるっと遠くまで見える。すぐ近くの森の向こう、あの山の辺りがゲミラ村。ずいぶん歩いた気がしたけどそんな遠くでもない。
左へ見て行くと、森の縁から一本の道がゆらゆらとこちらへ向かって来て、左へ曲がったところで丈の高い草の陰になって見えなくなっている。その向こうは遠くまで同じような色の草原が続いていた。
さらに左へ目を移すと草地の手前に林が見える。木がちょんちょんちょんと並んで……
草と木の間に見えるのは道かもしれない。右手の道があそこに続いているんだろうか。道はどこかの集落に繋がってるだろう。
林は右の奥へ向かって小さくなって続いているように見える。
体を捻るのは限界だ。でもなんとか真後ろまで回すと川があった。川沿いには森というには幅がないけど、低い木々が帯になって茂っていて、ところどころに高い木が飛び出ている。川は街道と並んで遠くまで続いているようだ。
体を逆に捻って森から右を見て行くと、森の終わりから川が始まっているように見えた。
行くんなら街道を左だろうな。
森の境目を見ながら体を戻して行くと、街道寄りで男が一人森から出て来た。少し奥でガウガウと鳴く声がかすかに聞こえる。
歩き方がぎこちない。遠くて分からないけど、怪我してる?
この木に向かって歩いて来る。手に抜き身のナイフを持って後ろを警戒している。
見えて来たあの服って、キッド?まさかね。
あたしは枝から枝に跳びながら降りて行った。なんせ太い枝だ。飛び降りても足元は広いし、ビクともしない。すぐに一番下の枝まで降りた。
フラフラと森を振り向きながら来るのはやっぱりキッドだ。左肩に大きな咬み傷らしいのが赤黒く見える。左脚にも引っ掻き傷があるようだ。ナイフは血に汚れていて、握った手まで赤い。
あたしはそこから動かずに見ていた。
こんなやつ助けたりする義理はない。
あたしの下まで来たキッドは一段高くなった根に座ると、森の方を不安げに見ながら大きく息を吐いた。
肩から苦労して背嚢を下ろすと、皮袋から水を飲んで中身を膝に並べる。パンと干し肉を切ろうとして、血まみれのナイフに舌打ちする。
ボロ布を出して拭うとパンを切り分け始める。動きを見ていると肩の傷は大したことはないようだ。
あの血の量は一体?
「くっそ!あいつらが盗賊団だったなんて!
しかもゲミラ皆殺しだと!?なんだってんだ。
俺からこんなナイフ一本で、猟師の集会日聞き出しといて、その日に襲って来るなんて!」
エイラの頭がスッと冷えて行く。
またコイツか。あたしをいじめただけじゃ足りなくて?
キッドは森にチラチラ視線を走らせながら、干し肉を薄く削ぎ始めた。二切れ削いで残ったパンと干し肉を背嚢にしまうと、片手で干し肉を齧る。
余程固いのかナイフを脇に置いて両手で薄い肉を持って噛み切ろうと体を揺すった。
あたしはその真上に足から飛び降りた。4メルの高さなんて考えていない。あの頭を腐った卵みたいに踏み潰してやる。
頭は外したが左肩にまともに足が当たった。続いてあたしのお尻がキッドの頭を叩き潰す。左寄りに潰れるキッドの上に、落下の勢いを付けたあたしの全身が伸し掛かった。
「グエェッ」
潰れたキッドの背に仰向けで載ったあたしは、キッドのナイフをそのまま右手を伸ばし握った。左でキッドの髪を掴んで肩の上に座った形で起き上がる。
何が起きたか分かっていないキッドの左肩に、あたしはナイフを突き立てた。ビクッと跳ねるキッドの肩の上であたしは右肩にも突き入れてやった。
こいつが村を、あたしの家族を殺したんだ。報いは受けてもらう。
ギャッと喚いてキッドの背が跳ね上がる。
あたしは飛ばされて木の幹に背中を打ちつけた。ちょっと息が詰まった。
キッドは動かせない両腕のまま仰向けに体を伸ばし、あたしを見上げた。
1瞬の沈黙があった。
「なんでお前がここにいる?」
その震え声にはなんの感情も籠っていないように聞こえた。
「報いは受けてもらう」
「そうか」
「あんたの取り巻きはどうしたの?痩せたのと丸いの」
そこでフッとキッドの口元が緩んだ。
「俺が逃げるための足止めになってもらった」
言ってる意味が分からない。
いや、あの肩の大量の血!
「左肩の血の跡のこと?」
「今のは俺の血だが……コンチの血だ」
コンチ……痩せた口のよく回るやつだった。
「そう……もう一人は?」
「ガポコは足が遅いから、あいつが食われている間に二人で逃げた」
ガポコ……動きは鈍いけど馬鹿力のデブ……
「あんたみたいなクズもいるんだね」
「ああ。俺もそう思ってたところだ」
涙が視界を歪める中で、あたしはキッドの喉にナイフを突き立てた。
ガボガボと口から血を噴き上げる。キッドは動かなくなった。
あたしはキッドの背嚢と腰についていたいくつかの道具、禍々しい光を放つナイフを持って体や服を洗おうと川へ向かった。
導入部3話目です。
本日中にもう1話投降予定です。