恩返し
「なんとか薬は買えたけど、このままでは妹の嫁入り用の金がなくなっちまう」
一人の男が夕刻、腕を組みながら家までの道を歩いていました。
男のもうすぐ花嫁となる妹は今、家で病気の母親の看病をしています。
兄妹の父親は、二人が幼いころに亡くなり、以来母親が一人で二人を育てました。そんな母親が、子ども達は大好きです。
裕福ではありませんが、家族仲良く幸せな毎日を送る中、年頃となった優しく美しい妹に求婚者が現れ、結納をかわしました。
ところがもうすぐ結婚式という前に、母親が倒れてしまったのです。急いで医者に診せたら、病気にかかっており、薬で治るとは言われたのですが、困ったことにその薬が高価な品だったのです。
お金の工面に悩む兄に、妹は蓄えていた金を差し出しました。
「兄さん、これを使って薬を買ってちょうだい」
「お前、これはお前の嫁入り道具を買ったりするために貯めている金じゃないか」
「お相手は分かってくれたわ。道具じゃなく、私と結婚するのだから、薬代に使ってかまわないと。その上、足りなければお金も出して下さるって」
結納をかわしたとはいえ、まだ妹の結婚前の相手に、そこまで甘えていいのだろうか。
悩んだ男は、妹の結婚費用を使うことに決めました。
薬は買えたものの、妹の結婚に関する金が減ってしまいました。せっかくの結婚。なにも用意せず送り出すのは不敏な話だと、腕をほどくと男は頭を掻きます。
「おっかあの病気が治らないと、あいつの嫁入り用の金が尽きちまう。なんとかならないもんかなあ」
そんな男の呟きを聞いていたのは、一匹のウサギでした。
草むらから顔を出し、男の呟きを聞いていたウサギは、男が通り過ぎると急いで兄のもとへピョンピョンと向かいました。
「兄さん、兄さん。あたしたちの母さんを助けてくれた、あの人間の兄妹が大変だわ」
「どういうことだ?」
妹ウサギは兄ウサギに、兄妹の母親が病気なこと。その病気を治す薬が高いこと。もうすぐ妹が嫁入りするのに、その入り用のお金を使って薬を買っていることを話しました。
この兄妹ウサギは、人間兄妹に恩がありました。
「なんとか助けてやりてぇが、おらたちウサギになにができるか……」
二匹のウサギはススキ野原の隅で、頭を悩ませました。
「そうだわ、兄さん。もうすぐ十五夜だわ。月のウサギどんにお願いしてはどうかしら」
兄妹ウサギはそれから、満月へと向かう月に向かってお願いをしました。
「どうか月のウサギどん、助けてくだせぇ」
「あたしたち、あの二人に助けられたんです。今度はあたしらが助けたいのです」
「どうか、おらたちの願いを叶えてくだせぇ」
その晩だけではありません。満月を迎える日まで、毎晩、毎晩兄妹ウサギは月を見上げ、手を合わせお願いしました。
そして迎えた十五夜。
「今夜はススキだけか」
「お団子、用意できなかったわね」
「おっかあのためだ。お月様も分かってくれるさ」
縁側に座り、兄妹はお空の満月を見上げていました。
家の奥では二人の母親が眠っています。今日は体の調子がよく、外を歩いたので疲れたのか、少し月を見たらすぐ横になりました。
「薬が効いているようだな」
ススキに触れながら、そっと兄は奥にいる母親に目を向けました。
「本当、良かった」
「でも、お前が……」
「兄さん、気にしないで。用意できた衣裳だけで十分よ」
「だけどおらとしては、いろいろ持たせて嫁がせたいんだよ」
「あたしの心配より、兄さん自身を心配してちょうだいな。まだ結婚相手、見つからないの?」
「ううん……」
腕を組み、ばつが悪くなった兄は月を見上げながらうなりました。いっそお月様にお嫁さんが欲しいと願おうかと、考えます。
「ふふっ、兄さんはいつも自分のことより、おっかあやあたしのことばかり。死んだおっとうの代わりばかりで、おっかあも心配しているのよ? いつまで兄さんは結婚しないのかって」
「うううん……」
腕を組み、背を丸め困る兄の姿を見て、ああ、おかしいと妹は笑います。ここにきて、やっと兄はからかわれていると気がつきました。
「でも本当のことでしょう?」
妹が笑えば、兄も違いないと笑いました。
そんな二人の前に、あの兄妹ウサギが姿を見せました。
「あら、兄さん。お団子は用意できなかったけれど、ウサギさんよ」
「風情だな」
二人は笑顔でウサギたちを見つめていると……。
「人間の兄妹さん、おらたちを覚えていますか?」
兄ウサギがピョコンと跳んで前に出ると、二人に話しかけました。
「おらたちは昔、あなたがたに、おっかあを助けてもらったウサギの兄妹です」
ぺこりと妹ウサギが頭を下げます。
もしかしてと、人間兄妹は思い出しました。
昔、実りのよくない年がありました。食うに困る中、仕掛けたワナにウサギが一匹かかったのです。
「ウサギが獲れたぞ。これで今晩のメシに困らねえ」
兄の言葉に、ウサギはポロポロと涙を流しました。
「どうか見逃してください。私には幼い子どもたちがいるのです。夫を亡くし、私まで失っては、幼い子どもたちだけでは生きていけません」
「兄さん、兄さん」
それを聞いた妹が指さした先の草むらからは、二匹の幼いウサギが泣きそうな目でこちらを見ていました。なにも言わず、近づいてもきませんが、その幼い瞳が母親を食わないでほしいと訴えていました。
「おらたちも、おっとうがいねえ……。おっかあがいなくなれば、生きていけねぇのは分かる……」
兄はウサギをワナから離しました。
「さあ、おらの気が変わらないうちに、逃げてくれ。おらたちは腹がへっているんだ。次ワナにかかったら、今度こそ食っちまうから気をつけろ」
「ありがとう、ありがとうございます」
「人間さん、ありがとう」
「この恩は忘れません」
ウサギの一家は腹をすかせたまま立ち去る二人に、何度も何度もお礼の言葉を述べ、二人の姿が見えなくなるまで頭を下げ続けました。
「ああ、あの時のウサギの子どもたちか。大きくなったなあ」
「あの時は腹を空かせていたのに、おっかあを見逃してくれ、ありがとうございました」
「気にするな。おらたちもおっとうがいねえ。おっかあがいなくなったらどうなるか……。他人事じゃなかったからよ」
「それにあの後村へ帰ったら、運よく近所の人が大きなイノシシを捕らえていてね。それを皆に振る舞ってくれ、あたしらも困らなかったのよ」
「それは良かった。だけど、お二人への恩はまだ返していません。今晩、あの時の礼をさせて下さい」
妹ウサギが月を見上げると、それが合図だったように、月から真っ直ぐ縁側に光りが降ってきました。
光の筋が消えた時、そこにはなんと、お団子が山のようにありました。
「月のウサギどんにお願いし、用意してもらいました。どうぞ皆で食べて下さい」
「色の違う団子がお一つあるでしょう。それをおっかさんに食べさせて下さい。月のウサギどんがこさえた、特別なお団子です」
少し黄色い団子の中、確かに一つだけ、薄い桃色の団子がありました。
「どうぞお元気で」
そしてウサギ兄妹は帰りました。人間の兄妹はありがたいことだ、明日、おっかあと一緒に食べようと、皿へ団子を移しかえました。
翌朝、起きた母親にさっそく前夜のことを話し聞かせました。
「まあまあ、月のウサギさんが、こんな立派なお団子をこさえてくれたとは……。ありがたくちょうだいしようね」
母親はさっそく、薄い桃色の団子を口にしました。ごくりと飲みこんだ、その途端です。
「あら、あらあら?」
悪かった母親の顔色が、みるみる赤味をさし、明るくなりました。
「体も軽いわ。まるで病気になる前に戻ったようだわ」
驚いて医者を呼ぶと、病気が治っていると言われました。
「きっと月のウサギどんが、おっかあの病気が治る団子をこさえてくれたんだ」
「ウサギさんたちに、なんとお礼を言ったら……」
感謝しつつ食べた他の団子も、母親の病気が治った喜びも手伝い、たいそう美味しいものでした。
そして、妹の嫁入りの日がやって来ました。
白無垢姿で歩いている妹の姿を見ようと、あの兄妹ウサギも草むらからそっとうかがっていると、妹に見つかりました。
「ありがとう、ウサギどんたち。おっかあの病気も治り、無事今日、妹も嫁げる。お前たちのおかげだ。本当にありがとう」
微笑む妹の視線に気がついた兄は駆け寄ると、兄妹ウサギに礼を言いました。
すっかり健康になった母と兄、そしてウサギに見送られながら、妹は嫁ぎ先へと歩き続けました。
その後、家族はウサギを見かけると優しく接し、どんなに空腹になっても、けしてウサギを捕まえることはしませんでした。それが家族にとって、自分たちを助けてくれたウサギたちへの恩返しでした。
「いいかい、月のウサギどんはすごいんだよ。病気を治す団子をこさえることができるんだ」
「その特別なお団子を食べるとね、病気が治るのよ」
兄妹は子どもたちに十五夜のたび、語りました。
「ウサギどんは、お前たちのばあ様を助けてくれたんだ」
「だから、けっしてウサギを傷つけてはダメだからね」
子ども達は月を見上げ、餅をつくウサギにいつか会い、美味しい団子を食べてみたいと思うのでした。