今昔陰陽師集 〜清げなる女〜
注意:転生・転移ものではありません。
平安時代で出会うことのない、菅原道真と安倍晴明が現代で、同じ時期に存在していたらなぁ・・・
という作者の嗜好のもと書かれています。
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序詞
あと何度、あの庭の移ろいをみれるだろうか、いや、そう多くないだろう。
乞い願わくば、世間にも他人にも、ましてや自分自身にも興味も関心も持ち合わせていないであろうあの男に、恋人でなくとも、気が置けない友が出来ることを。
今となっては、もう昔のことだが・・・
一
ロウバイ、ナンテン、セツブンソウ、アセビ・・・
その上にポトリ、ポトリ、降り積もっていく白。
歳を重ねた自身の頭のようだ。
菅原道真は茶の入った湯呑を手に、庭を観ていた。
菅原道真ーー
職業:大学教授。
京都市内の大学に勤務、歳は五十を過ぎたくらいだが、見た目は四十代に見えなくもない・・・はず。
結婚はしたが、なんやかんやで現在、独身生活を送っている。
趣味はツーリングと読書。
道真は庭を映していた眼を、自分の隣に座る男に移した。
その男、安倍晴明は、道真と同じく私邸の庭を眺めている。
勤務先の大学で出会った。
何を思い、何を考え生きているのか。
その若さで、この邸宅をどうしたのか、至極惹かれるが、知らない方がいいと思える。
三十路前だったと記憶している。
大学生に紛れたら溶け込めてしまう外見。
普段は無表情で人を近づけさせない。かと思えば、懐っこい笑みを浮かべて人に近く事も。
数年前までの自分なら先ず関わろうとしない男。
道真は飲み干した湯呑を置いた。
急須が勝手に浮き、道真の空の湯呑に茶を注ぐ。
何度見ても鮮やかだが、落ち着かないものだな・・・
それに、面倒だからと言う理由で、式神を使っているのは如何なものか・・・
「道真さん、何か話したいことがある顔に見えますが、また気になる事でも持ってきたんですか?」
庭を見つめていた晴明が、表情を変えず問いかけた。
俺はそんな顔をしていたか・・・
暫し考えた後、道真は口を開く。
「お前の力で人を探すことは出来るか?」
「人探しですか?・・・・・・逃げた元奥様を探すのなら協力出来ませんよ・・・」
晴明は少し眉を潜めた。
何故寄りを戻す気もないのに、探さねばいけないのか、探したくもない。
「違う。知り合いの探し人だ」
それを聞いた晴明は、ため息を一つ吐いた。
「その方の爪や髪の毛等、身体の一部があれば出来きますが、探してどうするんです?」
「いなくなった女性を見つけ出して交際したいらしい」
「・・・犯罪行為なら協力できません。お引取りを」
晴明は厄介事は御免だと、早口でまくし立てる。
「言葉が足りてなかったのは謝る。詳しく話すから協力してくれないか?」
伺ってもわからない晴明の顔色を見ながら、道真は問いかける。
「話を聞いた後で、判断してもいいなら」
「すまん、助かる・・・」
道真の話によると、こういう事だった。
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二
丹波清雅、三十五歳。大学在学時にモデルとしてスカウトされ、後に俳優としてデビュー。
二十代後半から注目され始め、現在国内外を問わず活動している。
今でこそ、人気俳優であるが、人気が出る前は演技に興味はあるが熱をあげることはなく、遊び歩いていた。
遊び歩くのが嵐山のため、法輪寺に参拝する事は欠かさなかった。
そんな長月のとある日、法輪寺に参拝した帰りに急な雨に見舞われ、全身ずぶ濡れになった清雅は、近くの旅館に泊まることにした。
温泉に入り、食事も終え、急に宿泊を決めた宿にしては趣のある部屋で一人、酒を飲む。
飲んでいるうちに、だんだん夜も更けてくる。
そのまま飲んでいてもよかったが、清雅は面白半分で旅館の中を見て回ることにした。
見て回っていると、ロビーに置かれたソファに座り、本を読んでいる女性がいる。
他に類を見ないその女に、清雅はひと目で惹かれ、声をかけた。
歳は清雅と同じくらい。容姿は美しく、品がある。
声をかけられた女は、驚きはしたが、清雅に興味を持ったようだった。
清雅は寺に参拝した事、自分が俳優である事等を話し、女も一人旅でここを訪れた事、自分は夫に先立たれた事等々お互いに話した。
そろそろ部屋に戻ろうかという時、清雅は女に、一目惚れしたので交際して欲しいという事を伝えた。
女は最初断った。
がしかし、清雅は諦めない。
(せめて身体だけでも・・・いや、無理やり関係に持ち込むのでは犯罪になってしまう・・・)
そんな事を考えている清雅を他所に、女はしばし考えてから清雅に問いかけた。
「何か主演された作品は何かありますか?」
何故そんなことを急に聞くのだろうと思ったが、隠してもしょうがないと思い、正直に答えた。
「いえ・・・まだありません。事務所の方から言われて俳優をやるようになり、あまり演じる事に真剣ではなかったので」
「それなら主演を取ってきてから、まだ心変わりしていなければお付き合いしても良いです」
そう女から告げられ、清雅は受入れた。
主演作が決まるまで会わないと約束し、女性と清雅は連絡先を交換して別れた。
それから清雅は女に逢いたい思いを抑え、演技の勉強を真剣に行う。
合間に、様々なオーディションを受け、二年後、映画で主演をつとめた。
清雅は直ぐに女に連絡をした。
逢瀬の日、清雅は法輪寺に参拝して、二年前と同じ旅館に宿泊した。
だが、女は現れなかった。
翌日、清雅が事故にでもあったのかと心配になり連絡すると
「昨日は申し訳ありません。ですが、映画一本決まっただけでは、私たちの関係は長続きしないでしょう。将来的にも不安が残ります。
ですから、日本だけでなく海外でも活躍して、更に、お芝居に磨きをかけてください。
そして、名立たる賞を三つ頂いた時に、まだ私と交際したいと思うのであれば、貴方の望みどうりに致します。
その間、連絡も欠かしません」
という返事があった。
それを聞いた清雅は憤慨したが、惚れた方が負け、とでも言うように、清雅は泣く泣くその申し出を受け入れた。
それからまた清雅は女に逢いたい想いを抑え、熱心に仕事に打ち打ち込み、演技を磨き、数年を経て海外で賞を三つ受賞した。
受賞したことで慌ただしくなり、やっと纏まった休みが取れたのが一年後になってしまった。
そして、清雅は女に逢うため、約束を取り付け、法輪寺に参拝してから、また同じ旅館に泊まった。
今回は前と違い女と同室に泊まる。
女は数年経っても初めて会った時と変わらず美しい。
食事をしながら酒を飲んでいると清雅が交際の返事を聞く前に、女が演技の事、出演した作品などの事について聞いてくる。
清雅は話しているうちに、気が抜けたのか酒が回り、寝入ってしまい、翌日、日の高くなった頃に目を覚ました。
(用事があるので先に出ます)
書き置きを残して女は居なくなっていた。
電話をしてみると知らない相手が出た。
女が連絡先を変えたのかと思ったが、電話口の相手からは二十年以上この連絡先を使用しているとの返答がきた。
それが四日前のこと。
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三
「道真さん、お断りします。それ、遠回しに交際を断られてますよ。清雅さんの諦めが悪いと思いませんか?」
話を聞き終えた晴明は、遠慮なく答えた。
道真も話を聞いた時点で思った、どう考えても断られている。
探す云々の話ではないのではないか、と。
だが、気になることもあった。
「一途、という捉え方もある」
「自分の告白を袖にされて、自尊心が傷つき、躍起になっているという言い方もできますよ」
晴明は無表情で道真を見つめた。
眼を向けられた道真は晴明に目線を合わせた。
「頭はまぁまぁだが、地位も、名誉も、金も手にしている男に求婚されて姿を消したのは何故か気にならないか?」
「いいえ、全く」
「では、なぜその女性の連絡先は違う相手のものなのか気にならないのか?二十年も前からだぞ」
「どっちにしろ道真さんが気になるから探したいんですね」
晴明は最初から自分に引き受けないという選択肢はなかったんだろうと、ため息をつく。
諦めて晴明は引き受けることにした。
「清雅さんから、さらに詳しい話を聞いた方が良さそうですね。連絡取れますか?」
「そう言うと思って、清雅にはここに来るように伝えてある。あと三十分もすれば現れるぞ」
道真も何度か思った事だが、なんだかんだで晴明は押しに弱いらしい。
少し強引ではあるが、こいつを外に連れ出すにはこれくらいが丁度良いと思っている。
「・・・・・・・・・」
すっ、と
晴明は冷たい表情をさらに削ぎ落として、道真がお茶請けにしていた団子の残り一本を奪い取り、一口食べた。
「おい、晴明」
道真は、じとっと、した目を晴明に向ける。
「ふぁんふぇふふぁ(なんですか)?」
「食べ物を口に入れたまま喋らない。お前の返答も聞かずに引き受けたのは悪いと思っているが、俺の楽しみに取っておいた最後の一本を食べる事はないだろ」
道真は空になった皿を見つめてから晴明を見る。
晴明は素知らぬ顔でもう一口団子を食べた。
清雅が晴明の家を訪れたのは、それから約二十分後のこと。
四
道真と清雅が向かい合い、晴明は道真の右手側のソファに座っている。
「道真さん、安倍さん引き受けて下さりありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありません」
清雅はそう言うと、二人に向かって頭を下げる。
スラリと長い手足、長身で痩せてはいるが、適度に筋肉があり、顔立ちも整っている。
表情は少し緊張しているように見て取れた。
「早速本題に入りましょう。女性を探して欲しいという事ですが、詳しく話を聞かせて頂けますか?」
「はい…名前は天津美香さんといいます。数年前に嵐山の旅館で出会いました・・・・・・」
清雅が話した内容は、先ほど道真が話したものと同じものだった。
道真は何か思うように庭を見ている。
晴明は少し考えてから口を開く。
「清雅さん、二つ、伺います。一つ目は法輪寺へ参拝したのはその女性に会った日が初めてですか?」
「法輪寺へ参拝するのは幼少の頃からです。何かに付けては拝みに行ってます」
「分かりました。では、二つ目に毎回旅館が同じなのは清雅さんが決めたからですか?」
「いえ、美香さんの方から、前回と同じ旅館の同じ部屋で、と言われて予約を入れています」
晴明は少し考えた後、何か納得したようにうなずく。
「清雅さん、その旅館に予約を入れて下さい。出来れば近日中に」
清雅は戸惑いつつ答えた。
「丁度、明日泊まる予定をしてます・・・仕事に戻る前に、もう一度法輪寺にお参りしようと思っていたので」
清雅、お前四日前も行ったのではなかったか、と道真は心の中で思った。
「それなら私も旅館にご一緒させていただきます。部屋は別に取りますのでお気になさらず」
清雅は驚いたが、晴明は気にせず進めていく。
それを見ていた道真は閉じていた口を開いた。
「晴明、説明しろ。清雅も困惑してるぞ」
「すいません、清雅さん。まだ、仮定の話を説明したくはないので、明後日の朝までお待ちいただけませんか」
晴明は普段変えない表情を、ここぞとばかりに変えて、困った顔を作る。
清雅は晴明の圧に押されて、何も言い返すことが出来なくなった。
道真の顔を見ても、申し訳なさそうな顔を向けられる。清雅は仕方ないとため息を吐いた。
「美香さんに逢えるのなら、説明は明後日でかまいませんよ」
「ご理解頂けてよかったです。それならまた明日、例の旅館で・・・」
そう言って晴明は清雅を帰した。
道真は水に濡れた庭の梅の木を見つつ、茶を飲む。
「晴明、明日、俺も行っていいか?」
「初めからついて来る気だったでしょう?どうせなら嵯峨まで足出してください」
五
翌日、晴明は道真の運転するバイクで、例の旅館を訪れた。
誘ったが、晴明は旅館にいるというので、道真は一人で法輪寺に参拝することにした。
途中、清雅を見かけたが、切に拝んでいたため声をかけることは辞め、境内を見て回った。
夕方になり旅館に戻った道真は参拝した事を後悔する。
「足が痛い」
「あそこの階段、地味につらいですからね。足腰大丈夫ですか?」
「お前、わかってたから一緒に来なかったな」
「それもありますが、少々忙しかったので」
それもあるのか、だったら行く前に言っておいて欲しい。
「・・・・・・なんだそれは」
道真は晴明の手に持っている二体の人形を指さす。
「内緒です。道真さん、髪の毛一本頂きますよ」
「いっっったっ!」
晴明は言うが早いか道真の髪の毛を抜き取ていた。
「抜く前に返答を聞け。そして毎度毎度、もう少し優しく抜いてくれないか」
「抜こうと声をかけると、抵抗するのは道真さんでしょう?」
道真は涙目になっている。
まだ引き受けた事を根に持っているのか。
ハゲたらどうしてくれる、コノヤロウ・・・
晴明は手に持っていた人形の一つに、道真から抜き取った毛を入れ、もう一つに自分の髪の毛を入れていた。
「何かにつか「内緒です」」
道真が聞こうとすると、にっこりという効果音がつきそうな笑顔で晴明に答えられる。
こういう時の晴明は何を言っても無駄なことを知っているため、道真は口を噤んだ。
六
夜になり道真と晴明は、清雅が取った部屋に来ている。道真と晴明の部屋は偶然にも、清雅の部屋の隣に取れた。
晴明は夕方持っていた物を、清雅の前に出し、話し始めた。
「清雅さん、今日はお酒を呑まずに寝てください。その際に、この人形を枕元に置いて下さい」
「・・・分かりました。ですが、こんな事で本当に美香さんに逢えるんですか?」
清雅は少しイライラしながら晴明を伺う。
「私の仮説が正しければ、明日の朝には説明出来ると思います」
それでもまだ、清雅は納得していない表情を作っている。
「清雅、すまん。晴明を信じてくれ」
道真に頼まれ、清雅は渋々引き下がった。
七
自分達の部屋に戻ると、道真は晴明に声をかけた。
「晴明、温泉に入ったら、部屋で一杯やらないか?先日福井で買った酒を持ってきた」
「折角ですから、いただきます」
道真と晴明は温泉から上がり、部屋の備え付けのコップで酒を飲んでいる。
晴明はふっ、と思った。
「清雅さんとはいつから知り合いなんですか」
「ん?清雅が赤ん坊の時からだ。清雅の父親が俺の家のかかりつけ医で、よく親父さんに世話になってたからな。そのせいか、あいつの受験の時は家庭教師を頼まれてた」
「それでですか。清雅さんが道真さんに頭が上がらなく見えたのは」
「そうか?」
「そうですよ」
そんな取り留めのない話をして酒を飲んでいた。
途中から道真の標準語がくずれ、学生への繰り言が始まるのは毎度の事なので、晴明は気にしていない。
ただ、用もなく部屋に話に来る学生が、毎年数名いるくらいには、自分が慕われているとは思わないんだろうか、と晴明は思う。
酒を飲み交わし、夜も明けようかという時、晴明はコップを傾けている道真を見つめ、静かに声をかけた。
「道真さん、手、握っていいですか?」
「・・・ごふっっ?!」
道真が噎せたため、晴明は近くにあったタオルでこぼれた酒を拭く。
「汚いですよ」
「なんでお前に手を握られる必要がある!握るなら好きな奴の手にしろ!」
「俺も握るなら小さくて柔らかい手がいいですよ。訳は後で説明します。なので、握っていいですか。清雅さんに渡した人形について知りたくないのであれば、それでもいいですが、どうするんです?」
晴明が手をさしだしている。道真はおずおずと手をのばし、晴明はその手を握った。
「俺が良いと言うまで、少しの間、目を閉じていてください」
「わかった」
晴明は道真が眼を閉じたのを確認すると、空いている手を口元に持っていき、印を組むと小さく何かを唱え始めた。
八
「道真さん、もう目を開けていいですよ。手は離さないでください」
晴明の声に道真は目を開けると、驚きで言葉を失った。
道真の泊まった部屋と同じ造りの部屋。
違っているのは、床に清雅が寝ている。
・・・・・・なぜ、清雅がいる・・・
そしてなぜ、上から清雅を見下ろしている。
落ち着こう、まず、晴明に聞こう。
「これはどういう事なんだ、晴明。なんで俺達は清雅の部屋にいるんだ」
「部屋ではなく、夢の中にお邪魔してます。あ、清雅さんには見えませんよ」
そんな事は聞いていない。
なぜ、夢の中に邪魔する必要がある。
「道真さんが、美香さんが気になると言ってたからですよ」
晴明が心を読んだかのように答えた。
気になるのと、清雅の夢の中にいるのと、なんの関係があるんだ、と道真は抗議の声を上げる。
道真と晴明が言い合っていると、突如、床の間が明るくなり、夢の中の清雅が飛び起きた。
光の方を見ると虚空蔵菩薩が座している。
法輪寺に降臨した際に智恵、福徳、技芸等を望むなら自分の名を唱えなさいと仰ったとか、そうでないとか。
ついっ
と、道真達の方を一瞬見た気がしたが、菩薩は清雅を見下ろして語り始めた。
「貴方が逢いたがっている美香は、私が姿を変えた姿です。お前は才能を持っていても、遊び歩いて、才を磨こうともしていなかった。
それなのに、演技が周囲に評価されないといつも私のところに来て演技を上手くしてくれ、役が当たるようにしてくれ、都合のいいことばかりせがんでくる。
思案し、それならお前が自ら学ぶようにすればいいと思い、お前の女好きを利用するため、あの姿になったのです。
ですから、美香のことは忘れて、これからも怠けることなく演技を磨き、その道を極めていきなさい」
そう言って消えた。
同時に、道真達も何かに吸い込まれるように、自分達の部屋に戻っていた。
九
晴明が何事もなかったかのように、さっと、立とうとした。
が、立てない。
道真が手を握ったまま離さない。
と言うより、目が開いたまま微動だにしない。
「手、離してもらえませんか?・・・・・・・・道真さん?起きてます?」
「あぁ・・・すまん。いや、それよりもどういう事だ。清雅の夢の中に入ったのは、この際置いとくとして、あの虚空蔵菩薩は何だ?お前が見せたのか?清雅になにかしたのか?」
意識を取り戻した道真が、矢継ぎ早に話し出した。
「いえ、俺は何も。道真さんが法輪寺参りを楽しんでいる間に、清雅さんに鍵をお借りして、部屋に掛け軸掛けたくらいです」
それは何かしたという事ではないのか。
そして、掛け軸になんの意味があるんだ。
「・・・何かわかってるんだろ、説明しろ」
道真は晴明の返答に呆れて説明を求めた。
コンッ、コンッ、コンッ!
部屋のドアをノックする音がした。
「道真さん、安倍さん。起きてますか?!」
控えめではあったが、焦った清雅の声がする。
「説明しますが、清雅さんがいらっしゃったので一緒に話しましょう」
十
清雅は部屋に入るなり、虚空蔵菩薩が夢に出てきて、今までのことは自分がした事だと仰ったと語った。
そして、眉に皺を寄せて晴明に問いただした。
「安倍さん、昨晩、俺の部屋か、人形に何かしたんですか?!」
まぁ、そうなるよな。
清雅の様子を見ながら、道真は数分前の自分の反応を振り返っていた。
人が自分以上に慌てる様子を見ると、自分は冷静になれるというのは本当だったな・・・
「人聞きが悪いですね。あれだけ美香さんに会いたいと仰っていたのに」
「やはり何かしたんですか?!」
「私は何もしてませんよ」
晴明は冷淡な顔をして答えている。
あぁ、これは・・・と道真は思い、仲裁に入った。
「晴明・・・意地が悪いぞ。疑ったのは悪かった。説明してくれないか?」
道真と晴明はしばし見つめ合うと、晴明がため息を吐いた。
「分かりましたよ。信じる信じないは、清雅さん次第なので」
そう前置きをして晴明は話し始めた。
「昨日、清雅さんが法輪寺にお参りに行っている間に、旅館の方に、先日、清雅さんが泊まった時とは変わった事や変えた事はあるか尋ねたんです。
そしたら、掛け軸を他の物と付け替えたと、仰っていたので、もとの掛け軸に戻していただきました」
「そういえば、掛け軸が来た時と夕方でちがっていたような・・・・・・」
清雅が呟くと、晴明が頷く。
「元々の掛け軸は虚空蔵菩薩が画かれたものでした。清雅さんは法輪寺によく参拝すると伺っていたので・・・もしかしたら、もしかするかなと。清雅さんに渡した人形はただの悪夢避けです」
悪夢避けの人形とはなんだ・・・しれっと、嘘をついたな晴明。
「それなら・・・あれは本当に虚空蔵菩薩だったんですか・・・」
「先程申し上げましたが、信じるかは清雅さん次第です。ですが、私はこれ以上、何も出来ませんよ」
「・・・・・・分かりました・・・」
清雅は晴明を見つめて、水の足りなくなった花のような状態でそう呟き、部屋に帰って行く後ろ姿を、道真は何とも言えない表情で見送った。
十一
「晴明。お前、掛け軸の話を聞く前に、検討がついていただろう?」
道真は振り返って問いただした。
晴明は既に、先程いた所に座っている。
「それを言うなら道真さんもでしょう?名前を聞いた時、何か考えていたじゃないですか」
「思うことはあったが、ありえないだろ」
道真は呆れと期待と驚きが入り交じった何とも言いがたい表情をしている。
「あれだけ俺を連れ出して、不可思議なものを見ているのに今更言いますか。・・・誰も森羅万象を知る事は出来ません。なら、何事も有り得ないとは言い切れません」
晴明が静かだが、芯の通った声で、そう答えるのを聞いた道真は、一つため息を吐き、壁に背を預けた。
「虚空蔵菩薩の化身とされているのが、明けの明星。
明けの明星は金星。金星は一説には天津甕星とされている」
「やっぱり知ってましたか」
「五日程前に姿を消したのは昼間だったからか?」
「でしょうね。昼間は太陽が明るくて見えませんから」
晴明はそう言うと、少し口元を上げて道真を見た。
先程から立ったままだった道真は、旅館の冷蔵庫から一本水を取り出して、もとの位置に座った。
「それなら、数年前に清雅が旅館に来た時はどうなんだ?掛け軸は部屋になかったのか?」
「かもしれません。数年前に修繕に出した事があると旅館の方が仰っていましたから、丁度清雅さんが泊まった時なんでしょうね」
道真が水の蓋を開け、空になっている自分と晴明のコップに水を注ぐ。
それにしても・・・
「なぜ清雅だったんだ?他の人間でもよかっただろ」
「仰っていたじゃないですか。いつも私のところで都合のいいことばかり云々って。高頻度でせがまれて鬱陶しかったのではないですか」
「屈折した捉え方をするなよ」
晴明の険のある言い方に、道真は眉をひそめ晴明を咎める。
頭を軽く掻きながらため息を吐いて、晴明は道真を見た。
しばし二人で沈黙したのち、至極つまらない事のように晴明が口を開いた。
「清雅さんの虚空蔵菩薩への信仰心と、演技の素質を見透されての慈悲ではないですか?宇宙のように寛大な。子曰、苗而不秀者、有矣夫。秀而不實者、有矣夫。でしたっけ?・・・」
「要するに、わからないんだな・・・菩薩の気まぐれか?」
「菩薩が出てきたなら、そうなんでしょうね」
晴明はコップの水を飲み干した。
十数年前の清雅を振り返ると、菩薩の気まぐれには感謝したいが、今後、清雅は大丈夫だろうか。
道真は水の入ったコップを見つめ、清雅の事を思った。
「いずれにせよ結局は、自分次第か・・・」
コップから目線を外し、手持ち無沙汰にコップで遊んでいる晴明を、道真は見つめた。
そういえば、こいつは論語もいけたのか・・・
あぁ・・・そうか・・・
水面下で必死に水かきを動かしているのに、水面上では優雅に見せているあの白い鳥。見た目は似ても似つかないが、そういう男だな・・・
俺は存外こいつのことが好ましいらしい・・・
そんなことがあったなぁと自分の日記に書かれていた。
終
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【今昔物語集 巻十七 本朝付仏法】
「比叡の山の僧、虚空蔵の助けに依りて智を得たる語」
をお読み下さい。
*道真さん、晴明は出てきません。