第十五章:レイラ・フェアフィールド/01
第十五章:レイラ・フェアフィールド
――――レイラ・フェアフィールド。
英国出身で、両親は既に死去している。詳しい死因は不明。
……それらの経歴は、かなり後になって調べた際にやっと分かったことだ。少なくとも、幼い頃のレイラは自分の出身も、両親の顔も何も知らなかった。
だから――――レイラの記憶が始まるのは、とある研究機関の施設に収容された後から。『プロジェクト・ペイルライダー』の暗殺者候補として育てられていた頃からだった。
レイラは物心付いた時には、既にペイルライダーの訓練施設に収容されていた。そこで暗殺者候補として、年端も行かぬ頃から様々な訓練を施されていたのだ。
…………レイラには、ある特殊な能力が先天的に備わっている。
それは、凄まじく鋭敏な気配察知能力。生まれつき全ての感覚が常人のそれを遙かに凌駕するレベルで鋭敏な彼女は、誰かの発する気配だとか殺気だとか、自分から見た相手の位置関係など。それらを全て、肌で感じ取ることが出来るのだ。
空気の流れを肌で感じられる、空気の色が分かるとも言い換えても良いか。
そんなレイラの気配察知能力は常軌を逸していて、例えば……数百メートル離れた先の相手にノールックで拳銃を向け、眉間ド真ん中に命中させられるほどだ。
それほどまでに優れた能力を、彼女には生まれつき備わっていたのだ。
まあ、その優れた感覚のせいで匂いに敏感で、特に煙草やアルコール類の臭いなんかを苦手としている、といった欠点もあるにはあるが……。
とにもかくにも、当時の研究チームはそこに目を付けたのだろう。結果としてレイラはそんな類い稀な能力を買われ、『プロジェクト・ペイルライダー』の暗殺者候補として物心つく前より育てられることになったのだ。
――――そうして施設で訓練の日々を送る中、レイラはありとあらゆる技術を叩き込まれた。
射撃や格闘術などの戦闘技能は当然として、乗り物の乗りこなし方や上手い尾行術。相手を意のままに操る交渉術や科学知識、他には一般常識の座学などなど……。レイラはおよそ暗殺者として必要と思われる全ての技能を、幼い頃より叩き込まれていたのだ。
まして、彼女は優秀だった。元々の頭の出来が良いのか、レイラは教えられたことをすぐに身に着けることが出来たのだ。
それこそ、まるでスポンジのような吸収力と言ってもいい。
故にレイラはすぐさま大成し、まだ三歳にも満たぬという頃には、既に存在していた成功例第一号『ファースト』に続く第二の成功例……『セカンド』になると目されていたほどだ。
…………そんな幼少期を過ごしたレイラにとって最も思い出深いのは、やはり毎日寝起きしていた宿舎の部屋だろうか。
殺風景な部屋だったのを覚えている。床も壁もコンクリート打ちっ放しで、机とベッドが二セットあるだけの殺風景な部屋。本来は二人部屋なのだろうが、レイラは偶然にもずっと一人で部屋を使っていた。
そんな――ペイルライダーの訓練施設では珍しい一人部屋という空間の中、レイラが特に楽しんでいたのは読書だった。
暗殺者を育てる訓練施設といっても、被験者にはある程度の自由は保障されている。施設の外に出ることは許されないものの、外部の娯楽用品を取り寄せるぐらいのことは許されていたのだ。
例えば映画のビデオだとか、携帯ゲーム機だとか……。ある程度高価なものも要求できたのだが、レイラが選んだのは本だった。
何も文庫本だけではない。分厚い歴史書だったりとか専門書だったりとか、或いは漫画だったりとか。レイラは様々な本を要求しては、暇を見て延々と自室で読み耽っていた。
幸いにして、語学の訓練のお陰でどの国の本でも読むことが出来たから、レイラはとにかく色んな書物を読むことが出来ていた。
そのせいで宿舎の部屋は、いつしかとんでもない量の本で埋め尽くされることになってしまったのだが……まあ、それはまた後の話だ。
とにかく、当時のレイラの趣味らしい趣味といえば読書だった。
ある意味で、レイラは外の世界のことを、本を通して知ったと言ってもいい。レイラは外の世界がどういう世界で、どういうヒトたちが生きていて……どういうルールに縛られているのかということを、本を通して理解した。
同時に、誰かを殺すということが外界のルールに反した行為であることも、レイラはすぐに知った。
だが……別に嫌だと思うことは無かった。どのみち自分には暗殺者としての生き方しか出来ないのだから、と。
それに何よりも、見たこともない外の世界のルールなんて、根本的にはどうでも良かったのだ。
だから――――初めてヒトを殺した時も、取り立ててショックを受けることもなかった。
実地訓練と称して行われた、初めての暗殺。何処の街だったか、詳しい場所は覚えていない。当時のレイラはそういったことには一切興味が無かったから、説明はされたものの覚えてはいなかった。
内容は……確か、市内のホテルに宿泊しているどこぞの捜査官を暗殺するというものだったか。
レイラは油断を誘うため、家族連れの観光客を装ってホテルに潜入した。両親役は万一のバックアップ要員として付いてきた、試験官を兼任する男女二人だ。
そうしてレイラはホテル内の誰にも警戒されずに標的の傍まで近づき、宿泊する部屋のドアを開け、中に押し入った。
押し入った先、バスローブ姿でソファに座ってくつろいでいた捜査官を、レイラは持たされていたベレッタ・1934の自動拳銃――当然サイレンサー付きだ。それで瞬時に射殺した。
何の躊躇いもない、眉間目掛けて三発同時のトリプルタップ。標的の男は自分の身に何が起こったか、理解する間もなくあの世に逝っただろう。
これで試験は終わり。そのはずだったのだが――イレギュラーが発生した。
仲間の捜査官数名が、たった今レイラが仕留めたばかりの男を訪ねてきたのだ。
複数でチームを組んでいるとは、事前情報になかった話だ。バックアップ兼任の試験官二人は即座に撤退を選択しようとしたが……しかしレイラは違った。
二人の試験官を部屋の隅に隠れさせ、敢えて男の仲間たちを部屋に招き入れたのだ。
入ってきた二人の男たちは、レイラに射殺された男の姿を見てハッとする。そうして戦闘態勢に入った二人が腰のホルスターに手を掛けたところで――部屋のドア、その裏側に隠れていたレイラが背中から撃ったのだ。
完全な不意打ちだ。まだ幼いが故に小柄な、そんな自身の体格を生かした隠れ方でやり過ごし……騒ぎを起こさぬまま、背後から仕留めてみせた。
そうして想定外の事態にも冷静に対応し、そして見事に処理してみせたレイラ。まだ幼い彼女の鮮やかな手際を見て、二人の試験官が思わずこんな言葉を漏らしていたのを……何故だか、レイラは今でも覚えていた。
「これは……逸材としか言いようがないな」
「ええ。最初にターゲットを始末した時も一切迷いが無かった。それに、不測の事態にも冷静に対処できる判断力……間違いない、彼女は天才だわ」
「やはり……セカンドは彼女で決まりだな」
その言葉の意味を、当時幼かったレイラはまだ理解していなかった。
ただ、自分は命じられたままに標的を始末しただけ。その上で邪魔な二人も処理してみせた。レイラにとっては……ただ、それだけのことに過ぎなかった。




