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第二章:気になる彼女と、近づく互いの心と/05

 憐を連れて低層商業棟のエレヴェーターに乗り込み、レイラが彼とともに向かった先は――六階にある映画館だった。

 こんな場所にあるのだから当然といえば当然だが、最近主流のシネマ・コンプレックス……シネコンという奴だ。市街の中心部にある映画館というだけあって音響設備も充実しており、この近辺じゃあ恐らく一番良い映画館だろう。

 レイラが憐を連れてきたのは、そんな映画館だった。

「えっと、チケットは……」

「必要ないわ。もう予約してあるもの」

「えっ?」

「最近は便利ね、ネットで何でも予約出来てしまうのだから」

「その……奢って貰うのは、流石に悪いです」

「気にする必要はないわ。誘ったのは私だもの」

 そんな映画館に足を踏み入れた後、憐は早速チケットを券売機で買おうとしたのだが……どうやらレイラ、先に座席を予約してしまっていたらしい。彼女曰くネット予約で、だ。

 ともなれば、必然的にチケット代は彼女持ちということになる。それを憐は申し訳なく思ったのだが、しかしレイラはそんな調子で。どうやら有無を言わさず二人分を自分が持つつもりらしい。

 そんなこんなで、二人は上映の間に喉を潤すためのドリンクなんかを売店で買い求めた後、早速スクリーンに向かっていったのだが――――。

「えっと……レイラ、これってどういう」

「個室だけど、それがどうかしたのかしら?」

「えっ……えっ、あの……えっ?」

 ――――レイラが憐を連れて行ったのは、何故か個室席だった。

 いわゆるカップルシートという奴だ。完全個室で映画が楽しめる特別な座席。部屋の中央に据えられている二人掛けのソファも普通席より明らかに上等なもので、何より他人の目を気にしなくて済むのが一番の利点。

 劇場によってはプレミアムシートだとかプラチナシートだとか、そんな名前で呼ばれている個室席だが……まあ、言ってしまえば文字通りのカップルシート。専ら、互いに想い合う男女がデートの一環として利用するような席だ。

 無論、特別待遇の個室だけあって、お値段の方もべらぼうに高いのだが……憐が気にしているのはそこじゃない。

 ――――なんでまた、カップルシート?

 それだけが憐の頭を支配していて、故にこの反応と……今にも頭から湯気が噴き出さんばかりの、茹でダコもかくやといった真っ赤な顔だった。

 こんなの、明らかにデートだ。昨日誘われた時から薄々分かっていたことだが……明らかにデートだこれ。

 ともすれば、憐はこんな風に顔を真っ赤にして思考もフリーズ。今にもバタンと倒れてしまいそうなぐらいの、完全なオーバーヒート状態に陥ってしまうのも必定といえよう。

「……? 何をしているの憐、早くこっちに来なさい」

 だが肝心のレイラの方といえば、そんな憐の初々しい反応を気にも留めぬまま、さっさと席に腰掛けてしまっていて。入口のドアの辺りで硬直している憐の方を見ると、動かない彼にさっさと来いと手招きをする。

「はっ、はい……!」

 とすれば憐は彼女に呼ばれるまま、カチンコチンに硬直した身体でぎこちなく歩くと、レイラの隣にぼんっと腰掛ける。

(……個室なら、万が一のリスクも低くて済む。我ながら良い判断ね)

 だが、そんな憐の穏やかじゃない内心とは打って変わって――――レイラがこの個室カップルシートを選んだ理由は、実に合理的な判断から来るものだった。

 単純に言えば、これもまた護衛という観点からの選択だ。

 普通の映画館のスクリーンならば、暗闇に紛れての襲撃が懸念される。それでもレイラの研ぎ澄まされた感覚ならば、例え暗闇の中だろうと容易に察知し……返り討ちにすることは可能だ。

 とはいえ、リスクを少しでも減らすべきなのもまた事実。故にレイラが取った選択肢が、このカップルシートという個室空間だった。

 二人きりの空間ならば、襲撃のリスクは極限まで減らすことが出来る。このカップルシートを利用するために、わざわざ遠い都市部のこの映画館を選んだぐらいだ。ただ映画を観るだけなら、もっと近場に劇場は幾らでもある。

 流石にシート代金は高く、普通に観るより何倍も掛かってしまったが……しかし、この選択は間違いではなかったと、レイラは改めてそう思っていた。

 それに――――実を言うと、映画を観たいというのも単なる口実だ。

 レイラの真の目的は、彼を……久城憐をもっと知ること。彼がどんな人間で、どんなことが好きで、そして……どんな笑顔を見せてくれるのか。それが知りたくて、レイラはわざわざ休日に彼を連れ出していた。

 チョイスした映画だって、既に観たことのある作品だ。内容は大体頭に入っている作品で、それでも楽しめるには楽しめるが……レイラの真の目的は、もっと近くで憐のことを観察したい、という部分に尽きていた。

「――――えっ、そう来るの……?」

 実際――――レイラのその目論見は、見事に達せられていた。

 あれだけ緊張で固まっていた憐も、イザ上映が始まってしまえばスクリーンで流れる映画の内容に夢中になっていて。そんな彼の横顔を、レイラはすぐ傍から眺めることが出来ていた。

 映画の内容はハリウッド制作の大作カーアクション映画。既に何本もシリーズが作られている、世界的に大人気の作品だ。

 スクリーンの中、繰り出される大迫力のカーチェイスシーンに憐が夢中になっている中……レイラはすぐ傍から、彼の横顔を時折チラリと見つめてみる。

 映画を楽しむ憐の横顔に浮かぶのは、屈託のない笑顔だ。あまりに無邪気な笑顔は、その中性的で……幼さの残る顔立ちにはあまりによく似合っている。

 レイラはそんな彼の横顔に、彼の浮かべる屈託のない笑顔に、かつての師の面影をそっと重ねてみた。

(恭弥……)

 口に出すことはせず、内心で師の名前を……今は亡き秋月恭弥の名を呟いてみる。

 恭弥はついぞ、レイラにこんな無邪気な笑顔を見せてくれることはなかった。だが……すぐ隣で笑う憐の笑顔は、その顔つきは、何処となく恭弥と似ているような気がする。

 久城憐の何処か幼く、それでいて底知れぬ優しさを秘めた、そんな彼の横顔に……僅かにだが、レイラは師の面影を感じ取っていた。

 確かに彼は、恭弥の息子だ。今は亡き師匠の遺した、たったひとつの忘れ形見。この出会いが運命か、それとも仕組まれた必然か……それは分からないが。少なくとも、レイラはこの出会いに感謝しようと思っていた。生きる意味を見失っていた自分に、再び生きる意義を与えてくれそうな……そんな、彼との出逢いに。

(恭弥……貴方は私に生きろと言った。だから私は今日まで生きてきた。こんな私が、道具でしかなかった私が、何のために生き続けるのか分からなかった……。でも、それが貴方の願ったことならと思って、私は今も生きている)

 ――――でも。

(でも、今は少しだけ……生きる意味のようなものを見つけられた気がするわ。貴方の忘れ形見を、憐を守るためなら……私は、どんなことだって)

 薄暗い個室の中、二人きりのカップルシートの中。レイラは人知れず、そっと決意を新たにする。

 その胸中に使命感や、師のためにという気持ち以外の……もうひとつの強い感情が生まれつつあることに、まだ気付かぬまま。

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